第二話 マスターの仕事
「マスター。聞いてよ」
「聞いていますよ」
心地よいテンポで音を奏でていたシェーカーから、グラスに淡いオレンジ色の液体を注ぎ込む。
カウンターに座る彼女の前に、グラスを静かに置く。
「シンデレラです」
「夢見る少女か・・・。マスター。私、少女なんかじゃないですよ。汚れちゃっています」
「それなら、なおさら、それを飲んで、汚れを洗い流してください。貴女に必要なのは、夢を見る時間ですよ」
「夢を見るのには、私は・・・。ううん。マスター。ありがとう。夢を見せに行ってくる」
「いってらっしゃい」
女性がドアから出る。
マスターは、店の外まで見送った。最後の客が階段を上がっていく音を聞きながら、看板のライトを落とす。
マスターが店に戻ると、一人の男性がカウンターに座っていた。
「
「ひどいな。ゆっきー。僕のことなんて、どうでもいいのね」
「名前を呼ぶな」
「やだなぁ。ゆっきーは、名前じゃなくて、渾名。ニックネームだよ。だからセーフ」
「・・・。ダメだ。それで?」
マスターは、苦虫をまとめて噛み砕いたような表情をして否定した。
「マスターの時にしている表情も好きだけど、やっぱり僕は今の表情が好きだな」
マスターは、男をにらみつける。はやく、要件を切り出せと催促するような目線だ。
「それで?」
「はい。はい。出会った当時は、こんなに無愛想じゃなかったのに、なんで変わっちゃったの?」
赤ワインとクリーム・ド・カシスを、冷やしたグラスに注いで軽くビルドした物を男の前に置く。
「
「結局、優しい嘘だったのか?」
「嘘に、優しいも何もありませんよ。嘘は嘘です」
男が、普段の軽薄そうな雰囲気からかけ離れた冷たい醒めた声で、嘘を否定する。マスターは肩をすくめただけだ。それ以上の反応はしない。
「そうだな。それで?」
「灰色ですね」
作業していた手を止めて、男を見る。
アイスピックをテーブルに置いた。
「珍しいな」
「でも・・・」
「救い出すのが適切なのだろう?」
マスターも、軽薄そうな男も、お互いの過去に何が有ったのか知っている。知り合った場所で、お互いに話をしている。そして、過去を故郷に置いてきている状況も同じなのだ。
「えぇ残念ながら・・・」
「依頼人は、祖父母か?」
「はい」
「大丈夫なのか?」
「色はついていません」
「わかった。逃がすのか?」
「別の者たちに依頼をしてあります」
「ん?奴らか?」
「えぇ適任でしょ?」
「そうだな。それで?出番はなさそうだな」
男は、おどけた表情をして、マスターにマイクロSDカードを差し出す。
「はぁ・・・。宗教関係は面倒だぞ?」
「わかっていますよ。それに、今回は宗教がターゲットではないですよ」
「どういうことだ?」
男は、懐からスマホを取り出して、新しく導入したプロジェクターに接続する。何枚かの画像を表示させる。
そこには、教会の様な建物が映し出されている。しかし、所謂
「これは、PSIヘッドギアか?」
「古い話を知っていますね。同じ様な物だと思ってください」
「わかった。それで?」
次の画像が表示される。
そこには、先程の奇抜な格好をした男が、スーツ姿でどこから見てもビジネスマンだと思える格好をしている。他にも、いろいろな服装をしている画像が表示される。
「これは?」
「相手によって服装を変えているのですよ」
「相手?」
「”愛の伝道者”らしいですよ」
真面目な表情で説明をしていた男だが、我慢しきれなくなって、最後には吹き出してしまった。
「なんだ・・・。そりゃ?」
「簡単に言えば、説法でマインドコントロール下に置いた家族に”愛”を伝えて歩いているようです」
「意味がわからん」
「”寝取り”が好きで、旦那の前で、奥方を犯すのが、”本当の愛を伝える方法”なのだそうです」
「はぁ?そんなことが・・・」
「出来ているみたいですよ。それに、仕事をしていたら、仕事を辞めさせて、生活保護を申請させて、教団の施設に引っ越しをさせて、生活保護費を搾取する。この”愛の伝道者”が考えた仕組みですよ」
「・・・。あの人が好きそうな奴だな」
「てぐすね引いて待っています・・・。あいつの為と考えると、この枢機卿も哀れだな」
「それで、依頼主の希望は?」
「救出だけで十分です」
「救出だけ?」
新しい画像が表示される。
「この子を救出?」
「救出は、別の方にお願いしています。マスターには、いつもの対処をお願いします」
「わかった。要望はあるのか?」
「派手にやって欲しいそうです」
「それは、依頼主か?」
「はい」
マスターは、黙って男を見てから、何かを諦めた表情になって、ショートグラスを3つ取り出す。
ホワイト・ラムとライムジュースとシュガーシロップをテーブルに並べる。マスターの所作を男は黙って見つめる。見惚れていると言ってもいいかもしれない。
シェイクした液体を、3つのショートグラスに均等に注ぐ。一人前を三等分した。
「
「あぁ」
男はそれだけ言ってショートグラスを持ち上げる。マスターも一つのグラスを持ち上げてから、グラスを掲げてから一気に飲み干す。
男は、テーブルに残っていたショートグラスの横に飲み干したグラスを置いた。
「マスコミ関係は、いつものようにする。ネット関係も火を着けるぞ?」
「お願いします。資料は入っています」
「わかった」
マスターは男から資料を受け取って、従業員用の休憩用に作られた部屋に入る。そこから、更に下層へと移動する。
そこには、バーには不釣り合いな機材が所狭しと置かれて、ファンの音を響かせている。マスターは、一つの端末の前に座ると資料を広げる。
知っている記者に情報を送付する。記者が属している出版社で得意分野があるので、マスターは情報を精査しながら流していく、同時にいくつかのアフィリエイトを大量に貼り付けたいかにも胡散臭いサイトに記事として投稿していく、最初にマスターとなる記事を作成すれば、あとは自動的に記事が投稿されるようになっている。
(派手に・・・。か・・・)
マスターは、教団のサイトを開いた。
別の端末を起動して、サイトのURLを入力する。店舗に戻って、濃いめの珈琲を作って戻ってきた頃には、サイトの解析が終わっていた。
(へぇ・・)
はじき出された情報から、必要な物をピックアップしていく、一つの情報に目が留まる。
マスターは、通話ツールを起動した。
『マスター。調子はどうだい?』
男は、軽い感じでコールに応えた。
「あぁ情報の拡散は終わった。サイトを調べていて、面白い繋がりを見つけた」
『ん?情報にもなかった物?』
「あぁ憶測の範囲だし、拡大解釈だけどな」
『なに?なに?教えて!』
「あぁ・・・。サーバが置かれている場所が・・・」
マスターは、得た情報を男に伝えて、証拠を男に送付した。
自分にできることはここまでだと伝えて通話を切った。
(ふぅ・・・)
端末の横に置かれている、フォトフレームの中で笑っている”中学生らしき男女”を見つめている。マスターは、新しく持ってきたカップをフォトフレームの前に置いて、自分のカップをあわせる。醒めて苦くなった液体を喉に流し込む。
マスターは、自分が持っていたカップをフォトフレームの前に置いてから、端末の操作に戻った。
教団に捜査当局が強制捜査に踏み切ったというニュースが躍り出た。それだけではなく、その教団は世界的な人身売買組織との繋がりも疑われた。
そして、教団に場所や情報を流していた疑いで、大臣経験がある議員の秘書が捜査当局に拘束された。その大臣は、ある一部では有名なペドフィリアだ。教団の求めに応じて大臣が教団の施設で講演会を開いていた事実が明るみにでて、大臣は逃げるように入院した。
新聞に情報が流れてから数日後、マスターは男と一緒に、都会から離れた田舎町に来ていた。
男は終始ニコニコしている。手には、どこで買ったのかわからないがソフトクリームが握られている。
二人の前を、祖父母に連れられた子供がニコニコしながら歩いている。
時折、祖父母に話しかけている様子だ。二人は、何も言わないで、その場を離れた。
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