第三話 夜を隠す


「マスター。いつもの!」


 カウンターに座る女性の注文を受けて、ブランデーの瓶と、カカオ・ホワイトリキュールの瓶をカウンターに用意した。ブランデーをシェーカーに適量30mlを注いで、カカオ・ホワイトを半分15mlを注いで、生クリームを適量15mlを注いだ。シェイクしてショートグラスに注ぐ。


 女性は、シェイクしているマスターの手元をうっとりとした目線で眺めている。


「ホワイト・アレキサンダー」


 女性は、白く甘い香りがする液体を暫く見つめた。


「ねぇマスター?」


「どうしました?」


「アレキサンダーは、”初恋の思い出”という意味よね?」


「そうですね。他にも、”完全無欠”という言葉もありますね」


「なら、ホワイトにしたら?どういう意味になるの?」


「私は同じ”初恋の思い出”だと考えています」


「え?」


「”初恋”には、寂しい思い出や、綺麗な思い出や、忘れられない思い出があります。だから、思い出の数だけ色が有ってもいいと思いませんか?」


「・・・。そうね。マスター。ありがとう」


 女性は、ホワイト・アレキサンダー初恋の思い出を一気に喉に流し込んだ。

 マスターは、女性がグラスをカウンターに置く前に準備していたチェイサーを女性の前に差し出した。


「マスター。ありがとう。もう1杯。お願い。おすすめで・・・」


「かしこまりました」


 マスターは、ドライ・ジンとライムジュースを取り出した。ライムを冷蔵庫から取り出す。

 ドライ・ジンとライムジュースを、氷を入れたカップに注ぎ入れて、軽くステアしてから、スライスしたライムを添える。


「ジン・ライムです。見た目と違って、強いお酒ですので、ゆっくりと氷が溶けるのを待ちながら飲んでください」


「ありがとう。ねぇ”意味”は?」


「”色あせぬ恋”です」


「ふふふ。素敵ね。マスター。ありがとう」


 女性は、ゆっくりと初恋を消化するように、ジン・ライムを喉に流し込む。

 二人しか居ない空間に、氷が溶ける音が響く、女性は、氷が溶けるたびに、自分の中に有った”蟠り”が溶けて行くように感じた。


 グラスをカウンターに置いた女性は、今日、客で来た初恋の人物から言われた”元気?”の言葉に答えられなかった自分が消えているのを感じた。初恋は初恋で、思い出なのだ。白くするのも、黒くするのも、自分の心次第だと考えた。そして、せっかくの思い出を”黒く”した自分を、ジン・ライムで綺麗に流して、”白い”思い出だけが残った。


「マスター」


「いいですよ。まだデポジットはあります」


「そう・・・。また来る。今度は、”フロリダ元気”に相応しい私で来るね」


「わかりました。お待ちしております」


 女性は立ち上がって、マスターに挨拶をしてから、店を出た。地下に響く足音が徐々に遠くなっていくのをマスターはグラスを磨きながら聞いていた。


 どのくらいの時間が経過したのだろう。

 カウンターには、一人の男が座っている。


「マスター」


「なんだ?」


 女性に対しての言葉遣いと違って、粗野な言葉遣いで男に応じる。


「冷たいな」


「お前が来るなんて珍しいな。それで?」


「相変わらず、僕たちの見分けができるのですね」


 ドアから、男が入ってきた。先に来ていた男と瓜二つだ。服装まで同じにしているために、暗い店内では同一人物か、鏡に写っていると思える。


「それで?」


「マスターが欲しがっていた情報を持ってきたのに?」


 先に店に入って男が、店の奥に飾られている”ドライフラワーの紫苑”を指差しながら書類ケースを取り出す。


「それで?伝言は?対価は?」


「必要ないって!」


 ドアから入ってきた男が、答える。


「・・・」


 マスターは、何も言わずに、男から書類ケースを受け取る。


「あっマスター。兄さんには、報酬は必要ないけど、僕は欲しいな」


「なんだ?」


「そうだね。マスターのおすすめを一杯、奢ってよ」


「・・・」


 マスターは、黙って一杯のカクテルを作る。

 ラムベースのカクテルだ。


「カサブランカ」


「マスター。意味は?」


「知らん」


「ハハハ。カサブランカ・・・。確かに、資料に対する思い出としては、できすぎているね」


 最初に居た男は、出されたカサブランカを一気に煽って、男が開けているドアに向かってコップを投げる。廊下の壁にぶつかって、グラスが割れる音が響く。


「”甘く切ない思い出”?マスター。いつまで、あんたは!」


 ドアから入ってきた男が、最初から入ってきた男の胸元を掴む。


「黙れ!」


「だって、兄さん!」


「いいから黙れ!俺たちは、過去は捨ててきた・・・。違うか?」


「だからこそ!マスターの態度は・・・」


「マスターは、協力者だ。履き違えるな」


「っく・・・。でも・・・」


「すまない。マスター。弁償は、俺のデポジットから引いてくれ」


「わかった。すまない。俺も、大人気なかった。今日は、帰ってくれ、頭を冷やしたい」


「あぁ」


 二人の同じ顔の男は、帰っていった。二人が、階段を上がっていくのを確認して、マスターは店の電気を落とす。

 そして、カクテルを作り始める。スパークリングワインとオレンジジュースで作る、バックス・フィズだ。


「聡子。お前と飲みたかったよ」


 マスターは、2つ作ったバックス・フィズを一つ取り上げて、紫苑に掲げてから飲み干す。


「お前の好きなオレンジジュースのカクテルだ。知っているか?カクテルには、”言葉”がある。バックス・フィズは、”心はいつも君と”だ。俺には相応しくない。お前と一緒にいてやらなかった・・・」


 マスターは、渡された書類ケースから資料を取り出す。

 飯塚聡子。旧姓井原聡子の死に関する情報だ。もう20年以上前の情報が含まれている。マスターも知っている情報もある。


 テーブルの上に、”バハマもう一度会いたい”を作った。そして、メッセージ代わりに、”ジプシー暫しの別れ”を作った。


 マスターは、店に鍵を掛けて、夜の街に溶け込むように消えていった。


 翌日、男は同じ顔の弟を伴ってバーに向かった。


「兄さん」


「黙れ」


「でも・・・」


「頼む。黙っていてくれ、俺は・・・。お前まで失いたくない。もう、俺たちには、お互いしか居ない・・・。違うか?」


「・・・。兄さん」


 昼間の繁華街は、夜の喧騒が嘘のように静かだ。

 男は、マスターが昼間にしか店を開けない理由を聞いていた。


「兄さん?」


「お前は、マスターが昼間にバーを開けている理由を知っているか?」


「え?夜に仕事が・・・。あれ?指示されたからじゃないの?」


「違う。マスターは、協力者で、俺たちの組織の人間ではない」


「・・・。うん」


「マスターは、夜が嫌いなのだと・・・」


「え?怖い?」


「あぁ夜は、人の醜い部分を曝け出す」


「・・・」


「夜に、寂しい者たちを引き寄せる街がある」


「・・・」


「この街は、寂しい者たちが集まって出来ている。マスターは、この街の”夜を隠したい”らしいよ」


「夜を隠す?」


「そうだな。この街には、寂しさをごまかすために人が集まる」


「・・・。そうだね。夜に、人は人を求める」


「そうだ」


「そうか、だからマスターは昼間に、夜の住民たちを相手に・・・」


「それだけじゃないが、夜ではない時間に、夜を感じる場所で、寂しい者たちの相手をする」


 二人は、雑居ビルに到着した。

 この時間に開けている店は、バーシオンだけだ。


「いら・・・。なんだ、お前たちか?仕事か?」


「今日は、二人でマスターの妙技を見に来ただけ・・・。それに、1ヶ月ぶりだよ?もう少し、感動してよ」


「それで?」


「オールド・パルを」「僕は、サイドカーと言いたいけど・・・」


 男は、奥に飾っている”紫苑”を見てから、注文を変える。


「マスターに、ジン・トニックを・・・。僕には、テネシー・クーラーを」


「かしこまりました」


 飲み干したグラスが3つだけがカウンターに並んだ。

 そして、マスターは、ドライ・ジン、レモンジュース、生クリーム、オレンジフラワー・ウォーター、シュガーシロップ、卵白、ソーダを取り出して、一つのカクテルを作る。


「マスター」


 男の前に”ラモス・ジン・フィズ”が置かれた。


 男は、黙ってマスターの気持ちを喉の奥に流し込んだ。

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