第3話 サブロウ

「慈海というのは何者だ」

「息子に女友達がいたという話は初耳です」

 立花の疑問に嗚呼琉の父親が答える。

「何故、UFOというモチーフが繰り返されるのだろう」阿部教授は心理学的なアプローチを考えた。

 心理学者ユングはUFOについてこう語っていた。

『この種の心的現象は、ある補償としての意義を持っているのかもしれない。現在の意識状況、すなわち、いつでも普遍的な破局につながり得るという、一見出口のなさそうに見える世界の政情に対して無意識が自然発生的に出す答ではないだろうか』と。『不安から救われたい』という目撃者の願望を投影しているのではないかと。

 つまりUFOは目撃者の心自体が作り出す物だというのだ。

 しかしユングはUFOが円形である事に意義を見出していた。

 嗚呼琉の目撃した黒いUFOは歪だという

 歪でシンメトリーとは、シャンデリアやかさを開いた松ぼっくりの様な形だろうか。

 そこまで考えていて、阿部は立花の冷ややかな眼線に気づいた。

 空咳を一つする。

 阿部教授は安楽椅子の嗚呼琉に厳かに話しかけた。

「嗚呼琉君。十五歳の君は速やかに自動車事故の事を思い出すのだ。轢き逃げに遭いそうになった事だ。シルバーのセダンだ」


★★★

 十五歳の嗚呼琉はある日、病院の外で轢き逃げ事故に遭いそうになった。

 町を歩いていた時の事だ。

 両親はいない。普段なら一人で外にいるというのは考えられないシチュエーションだった。

 いや、と嗚呼琉は慈海が一緒にいたのを思い出した。

 人や車の通りの少ない十字路だ。

 嗚呼琉の側の歩行者用信号は青の点滅を始めていた。

 色褪せた横断歩道を渡る為に歩みを速めたその瞬間。

 エンジンの唸りとタイヤの軋み。

 シルバーのセダンが彼を轢く軌道とスピードで急カーブを描いた。

 危うく嗚呼琉と慈海は轢かれそうになる。

 そのストレスだけで嗚呼琉の弱い心臓は止まりそうになった。

 バクバクと異常な鼓動を心臓が打つ。

 嗚呼琉は視界にそのセダンのナンバープレートを捉えた。

 確かに一瞬、憶えた。

 だが次に起こった出来事がそれを思考の隅に追いやった。

 けたたましいブレーキの音と共にセダンが急停車した。

 そして四つのドアが翼を広げる様に同時に開いた。

 全てのドアから同じ男が一斉に降りてきた。

 黒いスーツと黒い帽子、黒いサングラスを身につけた、同じ体格の白人の男達だった。

 それぞれのドアから数えきれない人数が降りてきた。内部の物理的許容量を遥かに超える数だ。

 まるで四匹の巨大な黒ムカデが這い出てくる様に同じ姿、手足が行列する。

 いつのまにか交差点からは他の人間や車は姿を消し、大きく円を描いて囲む黒服達の中心に嗚呼琉と慈海はいた。

 数十人の黒い人間の輪が、それ以外の気配がなくなった交差点で嗚呼琉と慈海を取り囲んだ。

 コピーされた様な黒服の男達。

 メン・イン・ブラック。

 嗚呼琉はあの黒いUFOを目撃して以来、この様な者達が自分達の日常を監視している事に薄薄気づいていた。

 嗚呼琉は頭上を仰いだ。

 いつの間にか蒼灰色の空高く、あの黒いUFOが静止しているのに気がついた。

 取り囲んだ黒服の群が歩を詰める。

 全員のその右手には銀色の銃が握られている。一体成型のその銃のフォルムはオカリナの様だった。銃口と思しき場所は穴はなく、代わりにスムーズに尖り、嗚呼琉と慈海を追いつめていた。

「我我と一緒に来るんだ」

 男達が一斉に同じ言葉を言った。

 外国人の様な片言のイントネーションだが、声は奇麗にそろい、強調されて聞こえる。

「さもなければ、四重螺旋の者には死が待つのみ」

 音もなく、更に輪が縮まる。

 その時だ。

「そいつらと一緒に行くな!」

 若い男の声が届いた。

 黒服の男の輪が切れた。

 明らかに違和感のある男がその黒い輪を断ち切る位置に立っていた。

 まるで七十年代のヒッピームーブメントか、九十年代のその再ブームの如きファッションをした長髪の男だ。

 大きく丸いサングラス。赤紫のシャツに裾が水仙の様なラインの白いスラックスを履いている。スラックスの裾にはミュシャの絵の様な花束の刺繍がついている。

 その男はまるで緊張した現状に似合わないにやけた笑みを浮かべている。鼠色のパーカーでいる自分達がみすぼらしく思える。

 彼がステッキの様に腰の前でアスファルトの地面に突き立てているのは黒く長いこうもり傘だ。

「眼をつぶるんだぜ、イェイ!」

 そのこうもり傘が彼の身体を覆う如く開いた。

 と、思った瞬間に眩しい銀色の輝きが路上にあふれた。

 嗚呼琉の眼が一瞬、眩んだ。

 慈海もそうだっただろう。

 数十発のストロボフラッシュが一斉に焚かれたみたいに、周囲を囲んでいた男達の黒服がその銀色の海の中に溶けた。

 その瞬間に、慈海と嗚呼琉の腕が赤紫のシャツの手に掴まれた。

「こっちだぜ。イェイ」」

 二人は若い男の手に引かれて、走らされた。

 黒服の包囲の輪はアクシデントに耐え切れずにちぎれてしまった様だ。

 三人はその隙を走り抜け、銀色の輝きから脱出した。

 嗚呼琉と慈海は離れた場所に停めてあった、赤いミニ・クーパーに押し込められた。その時、車体と首の肌をこすり、嗚呼琉はかすり傷を負う。

 運転席でヒッピーがハンドルを握った瞬間、ダッシュするミニ・クーパー。

 車道を疾走し、交差点は見る見る内に後方の景色となる。

 黒服の男達の姿は全員消え去った。

 車で追ってくる気配もない様だ。

 いつの間にやら風景には通行人の姿や他の車両が復活している。

 慈海と一緒に後部座席に詰め込まれた嗚呼琉は、事態の急変に戸惑うばかりだった。

 嗚呼琉はパニックと身体ストレスで心臓が病的に高鳴り、荒い息をしていた。

「俺の名はサブロウ」サングラスの男が車列の流れにミニ・クーパーを合流させ、速度を安定させる。「やにわには信じられないだろうが、お前達の味方だ」

 必死に呼吸を整えながら嗚呼琉はそのサブロウという名前から彼を日本人だと連想した。三郎。しかし、サブロウという日本人風の名をつけられた外国人かもしれないと一瞬だけ考え、彼の風貌からやはり日本人の三郎だろうと結論する。

 しかし、味方とは。

 サブロウの運転するミニ・クーパーが何処へ向かっているかは解らない。

 車から見える景色は既に知らない町になっていた。

 心臓の鼓動は脈を計るまでもなく解る。

「ある人物に頼まれて、お前達を助けに来た」サブロウは前方を見すえたまま、振り返らずに嗚呼琉に話しかけている。助手席に載せている、コウモリ傘。「嗚呼琉君、ここはお前が見ている夢の世界だ」

「夢の世界?」

 嗚呼琉は背をさすってくれる慈海の助力もあって、落ち着きながら息を整えた。体調の悪さはわずかに後をひく。常備している吸引性の頓服薬もポケットから出し、脈を安定させる。

 そうしながらもこのヒッピーはドラッグでもやってラリっているのかと不安になった。そういえばハイ気味な感じもするが。病的な躁の気分だ。そんな人間に走る自動車のハンドルを任せる事の危険さを感じてゾッとする。

「おっと、頬をつねれば夢か違うか解るなんて思うなよ。夢ってのは実際、痛覚も五感も感じるもんだ」

 嗚呼琉は自分の頬をつねるつもりはなかったが、今日のこれまでの記憶を思い出していた。

 朝、起きてからの記憶はある、はずだ。

 尤もそれは記憶はある、という実感こそあれ、詳細を思い出せないものだった。

 これでは朝から連続する記憶が確かにあるのか、現在進行形で過去の記憶を作っているのか、判別出来ない。

 といって、この妙な男の突拍子もない発言をそのまま許容する気は起きなかった。

「言っておくが俺はラリる類いの薬なんかやっちゃいないぜ」

 ミニ・クーパーが見知らぬ交差点を右へカーブする。

 果たして、ここはサブロウの言う通り、夢の中なのか。

 風景や実感は極めてリアルだ。

 これが夢なら今、嗚呼琉は明晰夢を見ている事になる。

 しかし明晰夢の、今にもうっかりすると完全に眼醒めてしまうという覚醒と睡眠のぎりぎりのせめぎあいの感覚はない。

 これは、夢だ、と自覚しても気分の何も変わらない。

 するとやはり、この現実感は夢ではないのだ。

「自分が夢だと認識しても覚醒しない明晰夢もあるんだぜ」サブロウが嗚呼琉の心を読んでいるかの様に気楽に話しかけてくる。「嗚呼琉君。GRITSがお前を待っているぜ、イェイ」

「グリッツ?」

 嗚呼琉は見知らぬ相手が自分の名を読んだ事へ軽く驚いた。

 しかしそれでも想定内だ。いきなり自分を巻き込むからには相手が自分の素性を知っている事はおかしくないだろう。

 それより、彼の突然出したGRITSという名の方が気にかかる。

 グリッツ。何だろう。

「そうだ、それよりも」嗚呼琉はこの危急の事態で疑問を思い出す。「あの黒服の男達は何なんだ」

「MIBだ」サブロウはミニクーパーのスピードを比較的高速で安定させながら答える。「メン・イン・ブラック。UFOからお前達へ放たれた刺客だ」

 サブロウの答は嗚呼琉の予想していたものだった。

 しかし予想の範囲内でありながら、最も突拍子のない現実離れした答だ。

「UFO? 宇宙人だというのか」

「UFOが宇宙からの物とは限らないぜ。UFO……本来は未確認飛行物体の事だが、俺達は所属が確認されている未来技術的な飛行機体の事も敢えてそう呼ぶ。『ユーフォー』だ」

「ユーフォー?」ユー・エフ・オーとは微妙に違う雰囲気。

 MIBだの、UFOだの、自分は何てふざけた夢を見ているんだと呆れたのが嗚呼琉の素直な感想。ここが夢の世界だというのなら、早く醒めてくれ。自分は寝直してもっとまともな夢が見たい。

「MIBの言っていた『四重螺旋の者』って?」

 慈海がサブロウに質問する。

 彼女は嗚呼琉が夢の中でしか会えない、夢が創造した架空の登場人物なのだろうか。

 そういえば、過去の記憶に彼女はいない。

 四重螺旋。

 その言葉から素直に連想するのは二重螺旋のDNAだろう。

 しかし四重螺旋。

 どういう事なのだろうか。

 そもそも、夢の中の聞き覚えのない言葉に意味を求めるのは間違いかもしれない。

 嗚呼琉は二人掛けの後部座席の隣に座った慈海が、ジッとサブロウの後頭部を見つめているのに気づいた。

 オーラが見えているのだろうか。

 彼女は口を開かない。

 その玲瓏な眼でじっと見すえてるだけだ。慈海は嘘をオーラで見分けられるのだろうか。

「あなたは六対の……」

 何かを言いだそうとしたのをサブロウが口を出して途切れさせる。

「四重螺旋。それは恐らく誰もが持っているものだ。だが、見える人間は限られている」サブロウの、きっぱりとした口調。「イェイ」

 サブロウがイェイと言う度、ふざけているのかと嗚呼琉は怒りたくなった。

 しかし緊迫した現実でのムード的な緩衝材でもある気がする。その言葉は。

 サブロウには訊きたい事が色色ありすぎる。

 そもそもサブロウは何者なのだ。

 嗚呼琉は今一番すべき事はサブロウが言っていた「これは夢である」という言葉を素直に受け止めて、謎は謎のまま、一刻も早く眼醒めるべきではないかと思った。全ては白日の忘却の彼方とするのだ。

「お前は何者だ」

「まだ秘密だ。少なくとも今のお前らの敵ではないぜ」

 もう、その言葉だけで嗚呼琉には十分だった。

 夢から醒めろ!

 嗚呼琉は眼を閉じ、なけなしの全身の力を眼の奥に込める。

 脳が裏返しになる様なそんな意識の集中。

 全ての不条理を捨て、現実に回帰せよ。

 その時、外部から突き刺す様に眩い光の奔流がとびこんできた。

 白い光が、ミニクーパーの全ての窓から射し込み、内部を満たす。

 塗り潰される。

 サブロウが、嗚呼琉が、慈海が。

 嗚呼琉が座っているシートの感覚がなくなり、白光の中で宙に浮いている感覚を味わう。

 これもUFOだ。

 嗚呼琉は思った。

 新しいUFOの出現の光だ。

(嗚呼琉よ)

 眩しい光の中、抑揚に乏しい言葉が頭の中に直接響いた。脳内、か。

 光の中を見つめる。

 方向はフロントガラスの前方、彼方から声が届いている気がする。

(今からお前は試される)

 影が出来ない光を浴び、白く塗り潰されながら嗚呼琉の脳に声が届く。

(我は……)光は自分の名前を名乗った様だ。しかし、それには嗚呼琉には発音出来ない、理解出来ない言葉だった。(今、世界の主役はお前だ。GRITSに乗るがいい。そして、お前の四重螺旋を冒そうとするものと戦うのだ。鵺姫(ぬえひめ)を討つのだ)

(お前は何者だ)嗚呼琉の声は光自体が吸収材となっている如く、音にはならなかった。唇のみが動く。

(現実を疑うのだ。ただし夢を疑うな。これからお前を導くものがGRITSの他にも現れる。それは『ウーキー・ニーキー』。過去からやってくる未来の船だ)

 脳に響く言葉と共に、嗚呼琉の身体は宙に浮いている。あやふやだ。

 嗚呼琉は手を伸ばす。

(近づくな。近づけば、神秘のベールをめくれば、覆われていたものは陳腐化する)

 脳内の警告を無視する手は前方席の上を通り抜けて、冷たいフロントガラスに触れた。

 その時に気づいた。

 白い輝きはフロントガラスの向こう、停止したミニクーパーの寸前にある丈の低いカーブミラーに太陽の光が反射したものだと。

 その取るに足らない正体の白光の眩さが皆を呑む。

 慈海は。

 サブロウは。

 解らない。

 白い光は嗚呼琉を翻弄する。

 そして、彼を夢から覚醒させた。

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