第1話 風間さんと風の翼【4】

『じゃあいいね、すれ違ったら始まり。』

 七瀬がそう機嫌よく言うと、芽衣子はじゃあ、いつも通りね。と変わらぬ口調で返してくる。それに負けないからと返した後、少し後ろを振り向いて疑似Gに耐えている風間さんと視界の端で目を合わせた。

『そういえばさあ、部活紹介ってあんまりしっかりやらなかったよね。今更だけど。』

 うんうんとシートに押し付けられる中で風間さんは話を合わせるために頷いた。

『準備がへたくそだったってのもあるけど、こういうのは……。』

 言いながら七瀬はゆっくりと旋回を終了する。下が正しく下になったと思った次の瞬間、体感する下と視界で理解する下は逆さまになった。

『体で理解しないとッ……』再び上下が天の運行に同期するスロットルを押し上げる。『分かんないのよ!』

加速と共に高ぶった七瀬の態度の豹変がこれから起るであろうことを想像させた。ゲームにそれなりにいる「アツくなる人」に振り回されるであろう自分が振り回されるバケツの底に張り付くカエルになったような気分になった。

『行くよ、芽衣子、今日は貴女が私に頭を下げる番よ。』

口調の割には随分ゆっくりとしたコース変更。聞くと、旋回で速度を失わないためだという。それは、何故かと問う。

『運動エネルギー。』七瀬は回答する。『習ったでしょ。中学で、斜面を転がるビー玉でどうこう。ドッグファイトっていうのはそれと原理的には同じなのよ。』

 正面に芽衣子を捕らえる。向こうもこちらを鏡合わせにしたような軌道だ。『高度で貯金して旋回で吐き出して、降下で散財する。それをエンジンでちょっとずつ足していく。』

 ものすごい勢いですれ違う。上昇する。向こうも、同じだ。

『実に単純。でも、それをどう「管理」していくか、これは人によって少しづつ違うし、それで生まれる隙も人それぞれ違う。』

 再び交差右旋回。芽衣子も鏡写しの動きを取る。

『つまりは、空を、解釈すること。それが、空戦。』

 芽衣子はそう付け加える。七瀬はあー名言は卑怯!と抗議する。お互い抗議しながら操縦桿を手放さない。

 互いに運動エネルギーと位置エネルギーを相互に変換して相手がこの千日手に嫌気がさす瞬間を待つ。その軌道を表示したらさながら、遺伝子めいた二重螺旋がそこにあるだろう。先に動いたのは七瀬の方だった。自分が上昇するパターンに入った時、思いっきり旋回方向を変えてループから飛び出す構えを見せた。芽衣子が対応する。選んだのは降下。無理して後ろを取ろうとはしない事を地面を天井に見る風間さん。

『さあ、追いかけるわ。ちゃんと見ていて。』

スロットルを一番奥まで押し込む。そして、降下。降下する芽衣子を追う。

芽衣子機はHUDに入らないようにゆっくりと円を描きながら地表を目指している。それを追っている筈なのに、相変わらず体はシートに押し付けられている。

『もう少し、もう少し……。』

 狙いを定める七瀬。降下は永遠に続くと思ったが、突然芽衣子は急な上昇に移る。追撃する。風間さんの目の前で相変わらず芽衣子がゆっくりとした円を描きながら上昇。それに追いつこうと七瀬は加速する。距離が詰まる。エンジンの穴がはっきりと見えるぐらい。しかし、巧みに動く芽衣子はHUDの中におさまらない。一度だけ二つまで数えたが、それ以上は明らかに留まってくれない。

 芽衣子は水平に逆さのまま進路を戻す。そのまま七瀬は芽衣子をぶち抜いて上昇、上から襲い掛かる態勢。

『仕留める!覚悟!』

 その時芽衣子は急旋回。悪あがきかと七瀬は問うも、答えはない。その代わり、目の前を目にもとまらぬ速さでとびぬけた芽衣子は更に高い所に上っていく。七瀬は慌ててスロットルを押し込む。

『……しまった。』

 風間さんと七瀬の頭の上を急な角度で上昇する芽衣子の機体が見えた。風に乗ってふわっと上昇する機体がそこにあった。特徴的なシェルエットが木の葉のようにひらひらと舞って、それから魔法のように減速し、ぴったりと風間さんの後ろについた。

『ずっと速度を残していたんだ。』

 追われる側になった。襲い掛かる芽衣子を振り落とさんとロールを繰り返す。が、離れない。もう勝負は決まっていたのだ。

『ヨタヨタよ飛んでいたのは、この距離を稼ぐため……ああ。』

 無線から、いーち、にー、さーんと声が聞こえる。そして、はい、終わり。の一言。

 それを聞いた七瀬は前席でああああああと項垂れると今度はシートに力いっぱいもたれかかり、同様に嘆いた後、大きなため息とともに平静を取り戻した。

『あの、大丈夫ですか。』

『あ、ええ。大丈夫。今度こそ勝てると思ったんだから。』

立ち直った七瀬は、今この部にいる中では芽衣子が最強であり、それなりに強い自分がどう頑張っても手玉に取られて負けてしまうというを愚痴ると『一体どんな魔法なんだか。』とぼやいた。すると打てば返ってくるように『特に変なことはしていないわ。』と返ってきて、七瀬は着陸前の最後の悪あがきに『嘘つけ』と返した。


「お疲れ様。」

地面に降り立った風間さんは、ふらふらと数歩歩いた後、そのばで転倒した。

「まー最初は誰でもそうだから、気にしないで。まだ、あっちよりはましだから。」

七瀬が指さした先では滝が戦闘機の真下でそのまま目を回していた。なんでも、ドッグファイトが始まった時には既にこんな感じだったらしい。

一方風間さんのその顔は地面を離れる以前とは……少しだけだが……澄んだものになっていた。

「さて、これで体験はおしまいかしら、まあ、選択は強いないわ。特に最初の方、飛ばせるようになるまでは大変よ。」

 風間さんは少しだけ考えた後、「入ります。」と小さな声で言った。

「快感を得たいなら他のEスポーツの方がいいよ。むっちゃむずかしいから。それでもいい?」

「でも、」風間さんはほんの少しだけ普通のゲーム部に後ろ髪をひかれた。だが、その誘惑をぎりぎりで振り切って、「今まで見たことのない世界だったから、だから、挑戦してみたいです。」と言った。

 芽衣子は無理しないでね。と笑顔、七瀬は怪訝そうな顔で「絶対無理させる気でしょ。」と突っ込む。芽衣子はみっちり教え込むのは最初だけよ、最初。と返すも納得しない様子だった。

 直ぐに答えようとした風間さんに、まあ、ゆっくり考えてね。との七瀬の言葉でゲームは終了した。


 ゲームを出ると、外はすっかり夕方になっていた。

 風間さんは二人に挨拶して学校を後にした。滝と一緒だ。空を見ると夕日に照らされた雲の間を飛行機が飛んでいた。

「ねえ、滝、あの飛行機はどれくらい高いところを飛んでいるのかな」

 さあね。と投げやりに滝は答えた後、すっごく高いところだろうなあ。と答えて風間の視線を追って空を見た。

 飛行機雲を引いて、とても高い空を飛行機が飛んでいた。

「意外だな、お前、飛行機なんて興味なかっただろう。」

「さっきまでは、ね。」

 依然飛行機を見つめたまま風間さんはこう語った。今まで空は天井に書かれたものだと思っていた。でも、そうじゃない。そこのは世界がある。あの飛行機の飛んでいる所にも手が届く。それがとても新鮮な感覚なんだ。と。

「そうか、そうならいいんじゃね?」

「おれも付き合うよ」

「え?何で?」

「腐れ縁って奴だ。」

 ありがとう、と風間さんは答えてそのまま歩き始めた。それから少しだけ置いて、流行りの歌を口ずさんだ。最近やっている子供向けアニメの歌、やけに幅広い年齢の人に響いたのか聞く機会は多い。滝もそれに続く。

 飛行機は依然、夕日の前、雲の後ろを雲をひきながら飛んでいた。

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