3 旦那さまの家族。

 帝都に着いたのは夜になった頃だった。すやすやと眠る深雪を、崇正が「着いたよ」と起こした。


「さぁ、降りよう」

「……はい」


 瞼を擦りながら、崇正に手を引かれて、深雪は汽車から降りる。涼しい風が頬を撫でて、そのお陰で段々と目が覚めて行った。


「はぐれるといけないから、手は離さないようにね」

「はい……」


 ――旦那さまの手は大きいな。深雪はそう思う。小さくて細い自らの手がすっぽり埋まってしまったからだ。でも、そんな包まれているような感じが深雪には心地よく感じられた。


「駅からはそう離れていないから、すぐ着くよ」


 駅を抜けて街へと出て、仄かな街灯で照らされる道を歩く。すると、崇正に言われた通りにすぐに着いた。


 煉瓦積みの家だった。

 木造ではないその佇まいは、異国情緒に溢れており、深雪は思わず「わっ」と驚いた。


 楪家の屋敷は当然のこと、座敷牢を抜け出していた時に周りで見かけていた周りの民家も木造家屋ばかりだったものだから、このような建物を見たことが無かったのだ。


「……さぁ入ろう。中で家族が待っている。父も母も普段は別邸に住んでいるけれど、今日は深雪を連れて来ると言って呼んでいるから」


 家族、と言われて深雪は少しビクつく。玄関を前にして足が重くなった。


「どうしたの?」

「いえ、その、わたしは狐憑きだから……」

「それならもう皆知っているよ。伝えてあるから。少なくとも、今日来ている中で気にする人はいないかな」


 深雪の頭上から帽子をひょいと取った崇正が、背中を押して来た。家の中に入ると、一組の夫婦が深雪を見た。崇正の両親だろう。


「……あら」

「うむ……?」


 崇正の両親は、深雪を見て少しばかり驚いていた。

 ただ、それはいきなり現れたからという感じの驚き方で、深雪の耳に対してではないようだ。

 本当に大丈夫……なようだ。


「一人一人紹介していこうか。まず、この人が父の源之助」


 最初に崇正が紹介してくれたのは、どっしりとした感じの義父であった。ヒゲを蓄えて綺麗に整えている人で、厳正な印象を受ける人物だ。

 けれど、実際は見た目と少し違うようで、義父は深雪を見るとすぐににっこりと笑った。


「いやいや、なんと美しい人だこと」

「あ、あの、頑張ります」


 何を頑張るのか、自分自身でも良く分からないけれど、深雪は取り敢えずそんなことを言った。


「いや、頑張らなくても大丈夫さ。……それにしても、崇正もとうとう結婚か。なんだか時間はあっという間に過ぎるな」

「まぁその、こういう人なんだよね。……次に母。藤って言う名前だよ」


 義父の紹介が終わり、義母の番となった。

 藤は少しほっそりしているものの、品性があるような人であった。名前と合わせているのか藤の華色の着物を着ており、雰囲気が上品だ。


「あら、よろしくお願いね」

「は、はい。ご指導ご鞭撻のほどを……」


 義父の時の受け答えもそうだが、こういう時に、深雪は何を言えば良いのかが分からなかった。だから、それっぽい言葉をどうにかして出した。選んだ言葉が適切かどうかは分からない。


「あはははっ、面白い子ね。……そんなに気構え無くても大丈夫よ。普段は別邸に住んでいるし、夫婦の邪魔をするつもりもないわ」


 言って、義母の藤は柔らかく笑む。どうやら、嫌われるようなことだけは避けられたようである。


「あとは……最後に善弥ぜんやだね」


 と、崇正が言う。次が最後の紹介になるようだ。


「善弥!」


 崇正が呼ぶと、奥の方からひょこりと――凄く綺麗な顔の子が現れた。歳は14くらいだろうか。お人形みたいな整い方をしたその子は、梳いた後のようなさらっとした長い黒髪を持っていて、詰襟の学生服を着ていた。


「……妹さまですか? ……なんだか、男の子みたいな名前と服装に見えますが」

「男だよ。弟」


 ――え゛っ。


 深雪は思わずのけぞる。それぐらい、善弥は男の子には見えなかった。男の子の格好した女の子、と言った方がしっくりくるのだ。

 深雪が衝撃を受けていると、善弥が崇正を見て言った。


「……今の声って崇兄たかあにさま? やっと帰って来たんだ。父さまや母さまや俺を呼びつけておいて、こんなに遅くなるのもどうなのよ……って、そっちの人は……あぁ、そういえば奥さん連れてくるから来いって話だったね。狐憑きだっけ? 本当に連れて来たんだ」

「……本当にってどういう意味?」

「そんな睨まないでよ。狐憑きが云々って意味じゃないからさ。俺そういうの偏見無いし。……そうじゃなくて、単に崇兄さま女っ気が全然ないし疎いから、何かこう、見栄とか張りたくなって結婚相手連れて来るってウソついたんじゃないかって思っててさ。そしたら、本当に連れて来たから、あ本当だったんだって」


 善弥は崇正から視線を切って、深雪のことをまじまじと上から下まで眺め始めた。


「ぜ、善弥、失礼だぞ」


 そう崇正が制止をかけるも、善弥は構わずに、品定めするような目で深雪を見て来る。そして、狐耳のところで目線が止まる。


「……この耳……あぁそうか、崇兄さまってそういえば猫の耳とかも触るの好きだし、獣の耳が好きでそれが決め手――」


 じっと見られるなんて慣れてないこともあって、深雪がわたわたしていると、気づいたら善弥は縄でぐるぐる巻きにされて宙釣りにされていた。


「な、なにをするんだ崇兄さま」

「余計なことを言おうとしたから」

「俺はただ事実を……」

「余計なことを言おうとしたから」

「はい……」


 あんな風にぐるぐる巻きにされて大丈夫かな。深雪がそう思っていると、源之助も藤も、やれやれと言った表情で溜め息を吐いた。

 こういった風景は日常のようだ。

 善弥には少し悪いけれど、深雪は、なんだか少し良い意味でおかしくて笑顔になった。


 のだけど。

 宙づりにされた善弥が放った言葉で、場の空気が一気に固まった。


「……ところで、初志兄はつしあにさまにちゃんと理解して貰えたの? めちゃくちゃ反対してたよね。『長男の俺が許さぬ』とか『崇正にはもっと相応しい女子おなごがいる。物の怪に騙されておるのだ』とかさ。

 呼んでないってことは、会わせるつもりが無いんだろうけれど、ずっとは無理じゃない? 顔合わせる機会はそのうち絶対に出て来ると思うけど」


 深雪はぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 どうやら、今日呼ばれていない家族が一人いたようだ。

 浅葱家長男の初志。

 その男は、崇正の家族の中で唯一深雪のことを快く思っていない人物でもあった。

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