雨#4

ピート

 

 月曜の朝、週明けという事もあって、少し体が重いなんて事を言いながら出勤する輩も多いようだが、僕は月曜の朝が待ち遠しくて仕方なかったりする。

 何故かって?理由は至って簡単な話で、好きな女性に会えるからだ。

 会える……正確には一緒に仕事をしてるだけで、会話も仕事に関する話ぐらいだ。

 彼女……二年先輩の桜井さんは、新入社員の僕の教育係。

 他人から見れば、他愛の無い関係でしかないんだけど……それでも、僕にとっては桜井さんと過ごせる時間は貴重だったりする。

 勿論、仕事に関しては真面目にやっているつもりだ。

 だって、僕がミスをすれば、教育係の桜井さんが怒られるかもしれない。

 なにせ、主任はかなりのやり手のようだし……特に誰かを叱りとばしたりしてる姿は見た事がないんだけど……営業成績を見ると愕然としてしまう数字を出している。

 まぁ、有り難い事に叱りとばされるような事もなく、二ヶ月が過ぎようとしてるんだけどね。

 長い研修期間も今週で終わる。

 実際、一人で仕事もそれなりにこなしているし、桜井さんに何かにつけて質問するような事も無くなってしまった。

 どうしてかって?同じ質問を何度もすれば、僕は真面目に桜井さんの話を聞いていなかった事になるからだ。

 で、研修が終わってしまえば、桜井さんと話す機会は今以上に減ってしまう。

 研修が終われば、僕は誰と組んで営業に回る事になるのか?

 桜井さんとこのまま一緒に……それが僕の希望ではあるんだけど。

 気持ちを伝える勇気はまだ無い。でも、研修のお礼も兼ねて一緒に食事ぐらいは……なんて事を考えてる。

 週末の休みを利用して、いくつかのお店をチェックしてみたりもしたんだけど、どうやって誘おうか?

 そんな事ばかりを考えてた。

 デスクに座り、今日の予定、訪問先の確認をしていると、桜井さんが出社してきた。

「おはようございます、桜井さん。今日も一日よろしくお願いします」

「おはよう。相変わらず出社するの早いわね。もう書類のチェックは済ませたの?」

 僕は少しでも早く仕事を覚えたいのもあって、出勤時間を随分と早めにしていた。

 そんな事を言う桜井さんの出勤時間も他の先輩の事を考えるとかなり早い。

「はい、今確認し終わったところです」

「そう、じゃ少し早いけど、このまま外回りに行きましょうか」

「朝礼はいいんですか?」

「主任には連絡しておくからいいわよ」

「でも約束の時間、午後からじゃないですか」

「真木君……」

 少し怒ったような表情だ。……生意気言ったからかなぁ。

「は、はい。その生意気言ってすいません」

「そうじゃなくて」

「なんでしょうか?」

「朝御飯食べた?」

 悪戯っぽく微笑むと、桜井さんはそう言った。

「え!?朝御飯、ですか?僕、普段食べないんですよ」

「ダメじゃない。朝食はちゃんと摂らないと、外回りしてて倒れちゃうわよ」

「すいません」

「謝らなくていいから、朝御飯食べに行きましょう」

「え?」

「今朝、食べてくる時間無かったのよ。さ、主任来る前に行くわよ」

 桜井さんはホワイトボードに予定を書き込む。

『新店訪問→営業A社B社 帰社予定18:00』

 新店ってなんだろ?そんな話は聞いた記憶がない。それに帰社予定時刻も随分と遅めに書き込んである。

「真木君、行くわよ」

「は、はい!」

 カバンを手に、慌てて桜井さんの後を追いかけた。

 なんかいつもと桜井さん違うような……気のせいなのかな。



「あの桜井さん、朝食食べにって?」

「真木君は何食べたい?私はパンでもご飯でもどっちでもいいんだけど、普段食べてないって言ってたし、ドトールにでもしようか?」

「はい、その方が……って、本当にご飯食べてていいんですか?」

「真木君」

「は、はい」

 僕は桜井さんの『真木君』って言葉に弱い。ジッと見つめながら呼ばれるからだろうか?

 ついつい視線を外してしまう。

 それは照れ臭いってのが一番の理由なのかもしれないけど。

「ご飯はしっかりと食べないといけないのよ。ただ……」

「ただ?」

「自分が寝坊したってだけで勤務中に休憩増やすのはマズイかもしれないけどね」

 クスリと笑うと桜井さんは続ける。

「でもね、頭の回転が私の場合鈍るのよねぇ。これは業務に支障をきたすと思うワケ、わかる?」

「はぁ」

 屁理屈のような気がしないでもないけど。でも、お客さんの前でしっかりと受け答え出来ないのは致命的だよなぁ。

「ま、屁理屈だけどね」

 ケラケラ笑いながら、歩く桜井さんはなんか可愛い。

 仕事してる時の凛とした感じの桜井さんとは全然違う。ってか、こんな桜井さんは初めて見た。

「サボリですか?」

「そういう言い方はしてほしくないなぁ。でもね、外回りなんてそんなもんだと思うわよ。やるべき事を済ませて、空いてる時間は有効に使う。顧客放っておいてサボってるのは問題だと思うけど、忙しくなってきたら休憩なんか取れない日が続くんだしね」

「そうですね」

「腑に落ちないかもしれないけど、サボる……じゃなくて、息抜きも覚えておかないとね」

「桜井さん、ボードに書いてた新店訪問て」

「気にしなくていいから、ゆっくり朝食とりましょ」

 向かっていたドトールは会社からそんなに遠くない。

 こんな会社の近くで朝食だなんて、誰かに見つかったらどうするんだろう??



 店内に入り、オーダーを済ませる。

 トーストとアイスティー、桜井さんが頼んだのも同じような感じだ。

 出勤前の会社員がやはり多い。

 下は混んでいるので、二階席へ移動する。

「真木君、それだけで本当に足りるの?」

「普段食べませんし、軽く入れるぐらいにしておきます。桜井さんはいいんですか?」

「私?大丈夫よ。食べないとダメだけど、朝からしっかり食べるワケじゃないから」

「今日の訪問スケジュールって、A社とB社だけでしたよね?変更があったんですか?」

 ホワイトボードの書き込みが気になったからだ。

「真木君」

「は、はい」

 だからジッと見つめられると照れ臭いんだって……視線を外しそうになる前に桜井さんが口を開いた。

「予定以上に真木君の仕事覚えがいいから、事務所に残っててもあんまりする事がないのよね」

 悪戯っぽく桜井さんは微笑み、僕をまた見つめる。

 そんな風に見つめられたら……思わず抱きしめたくなっちゃうよなぁ。

「桜井さんがしっかり教えてくれたからですよ」

 いかんいかん、馬鹿な考えを振り払いつつ、桜井さんにお礼を伝える。

「確かにそれはあるかもねぇ」

 偉そうにではなく、冗談だけどね。ってのが表情に出てる。

 今までの凛とした桜井さんとのギャップが……。どうしよう、めちゃくちゃ可愛い。

「いや、本当に桜井さんのおかげですよ。僕、営業って初めてだったから、凄い不安でしたもん」

「真木君がどの部署に配属されるかは詳しく聞いてないけど、とりあえずこのまま二課で半年は勤務だから、しっかり営業を頑張ってもらわないとね」

「え?そうなんですか?」

 研修が終了したら、部署配置が決まってるもんだと思ってた。

「知らなかったの?研修で二課に回された子は、研修後、そのまま半年は二課勤務がほぼ決まってるのよ」

「どうしてですか?」

「二課はね。見てて気付いたと思うけど、一課とは仕事のやり方が違うでしょ?」

「はい、なんか色んな事を一気に覚えさせられたような気が……」

「最初に業務の流れをしっかり把握させる事から二課での研修は始めるのよ。これが一課だと、とりあえず同行しての外回りの研修になるわ。で、必要に応じて書類作成なんかを、業務に応じて教えていくって感じ」

「そういえば、最初の一週間桜井さんだけじゃなくて、色んな人につかされて、仕事を見るようにって主任に言われました」

「ある意味、放ったらかしだったから不安だったでしょ?」

「そんな事ないですよ。すぐに桜井さんが色んな事を教えてくれたじゃないですか」

 そう、何をしてていいのかわからなくて困惑してる時に、桜井さんが声をかけてくれた。

 で、先輩方を紹介しながら、業務の内容を丁寧に教えてくれた。

 お陰で、先輩達の顔と名前が少しずつだけど一致するようになったし、先輩達も何かにつけて色んな事を教えてくれるようになった。

 二課の空気は居心地がいい。もちろん一課だっていいんだろうけど、何かが違うような気がする。

「そりゃ教育係だもの、放置したままにしてたら職務放棄じゃない。って、今放棄してるようなもんか」

 そう言ってケラケラ笑ってる。

「でも、本当に桜井さんがついてくれて良かったと思ってますよ」

「本当に?良かった、実は新人教育って初めてだったの。それに……」

「それに?」

「私より真木君の方が年上だしね。すっごい緊張した」

「年上?」

 誰が?

 自分を指さす。

 頷く桜井さん。言われてみると心なしか幼く見えるような気もする。

「知らなかったでしょ?真木さんって呼ぼうと思ってたんだけど、なんか真木君って感じだったんだよねぇ」

「桜井さんていくつなんですか?」

「ふふふ……いくつに見える?」

 澄ました顔で微笑まれると、お姉さんって感じに見えるんだけど、正直わっかんねぇ。

「な~んて、お水のお姉さんみたいな返し方だったね」

 答えに困ってると桜井さんはケラケラ笑いながら続ける。

「真木君の二つ下だよ。で、高校の後輩だったりする」

「な?」

「同じ校舎ですれ違ったりしてたんだねぇ、これが」

「マジで?」

 思わずため口になってしまった。

「うんうん、マジで。真木君って学校じゃ結構有名人だったし」

 いや、そんな事はなかったと……もしかして、っていうか同じ高校なんだよな。

「見た?」

「見た。すっごい感動した」

 帰りたい、すっごい家に帰りたい。なんか急にお腹痛くなってきた。

 なんかじっとりした汗が流れてるような気がする。

「会社のみんなには話してないですよね?」

「うん、まだ話してないよ」

「そのまま内緒にしといてください」

「なんで?」

「むっちゃくちゃ恥ずかしいからですよ」

「そんな事ないと思うんだけど?」

「ホントに勘弁してください」

「で、私の事は気付かなかったの?」

「高校の後輩だって事ですか?」

 うんうんと言わんばかりに大きくうなづく。

「だって、就職先に後輩いるなんて普通考えないでしょ?」

「私は主任に教育係頼まれた時、あっ!?って気付いたのに?」

 ……いや、だって僕は桜井さん知らなかったし。

「そんな事言われても……」

「ま、部活が一緒だったとかじゃない限り、後輩の顔なんて覚えてないよね」

 そう言う桜井さんの顔は少し寂しそうに見える。



「ちょっと待っててね」

 桜井さんは時間を確認すると、携帯を手に店を出ていった。

 ……主任に連絡してるのかなぁ。

 後輩だったのかぁ。なんかイメージが急に変わったよなぁ。

 昨日までのイメージだと凛としたお姉さんキャラだったのに。でも、今日の桜井さんも可愛くていいよなぁ。



「お待たせ」

 何事もなかったように桜井さんが戻ってきた。

「電話ですか?」

「そうそう、主任に報告しとかないとね」

「大丈夫なんですか?ここでゆっくりしてて」

「その為に二階席にしたんだよ?外から見えないし」

 確信犯だ。

「ところでさ、真木君」

「は、はい」

「敬語やめない?私の方が年下っていうか。……後輩だし。ってか、私が敬語使えよって話だよね」

 そう言うとまたケラケラ笑ってる。

「いや、桜井さん先輩だし」

「真木君だって先輩なんだよ?」

「社会人として桜井さんの方が先輩じゃないですか」

「……」

「……」

 なんか気まずい……ってか変な感じだなぁ。

「じゃ、真木君は私の事、恵先輩って呼んで」

 そう言いながらニヤニヤ笑ってる。

「なんで下の名前になってるんですか」

「じゃ、敬語無しで」

「いや、それはまずいでしょ」

「まずくないって」

 堂々巡りだ。

「桜井さんて、部活かなんかやってたん……ですか?」

「なんで『ですか?』が後にくっついてくるかなぁ。私の知ってる真木先輩はもっと後輩を引っ張ってくって感じだったのに、『やってたん?』でいいじゃん」

 なんで、敬語使うか使わないかでもめてるんだろう?

 ってか、桜井先輩のイメージがどんどん変わってく。

 これじゃ、駄々こねてる子供と変わらない。

 いや、聞き分けがいい分、小さな子供の方がマシかもしれない。

 そんな風に思うと、急に別の意味で桜井さんが可愛く見えてきた。

「桜井さんて」

「何よ?」

「その、……可愛いですね」

「な、何を、言い出すのよ!」

 アッという間に顔が赤くなる。

 可愛い……ってか、桜井さん知ってるような気がする。

「桜井さんて、もしかして、バスケ部にいませんでした?」

「正解♪思い出してくれた?」

 なんだか嬉しそうだ。

「いや、思い出したっていうか。……さっきの照れた顔で思い出した」

「真木先輩、私の事励ましてくれたんだよ?覚えてる?ってか、思い出した?」

 仕事してる時の凛とした桜井さんはいない、ここにいるのはきっと学生の頃の桜井さんなんだ。

 でも、悲しいかな。後輩の女の子を励ました記憶はない。

 学生時代、僕は演劇部員だった。

 役者ではなく、脚本を書くのが僕の仕事、今考えるとあんな台本でよくもまぁ、みんな演じてくれたものだと恥ずかしくなってくる。

「僕が?……励ましたんですか?」

「覚えてないの?」

「……すいません」

「凄く嬉しかったのになぁ。真木先輩のあの励ましがあったから三年間バスケ頑張れたのに」

「いや、桜井さんとの事が思い出せないんじゃなくて。学生時代って女の子との接点があんまりなかったんですよ」

「だったら余計に、覚えててくれてないの寂しいじゃないですか」

「僕が本当に桜井さんを励ましたんですか?」

「私が勘違いしてると?」

「いえ、そういうワケじゃないんですけど……」

「『諦めて後悔するぐらいなら、全力でやってから後悔した方がいい』って言ってくれたじゃないですか」

「……それって。もしかして屋上⁇」

「練習しても一緒に入った子達に全然追いつけなくて、なんか悲しくて悔しくて、屋上でボ~っとしてたらなんか涙が溢れてきて。……で、そんな私を励ましてくれたんじゃないですか」

「『どうしたんだい?』って言った?」

「そうですよ、優しく『どうしたんだい?』って話しかけてくれたじゃないですか」

 思い出した。どうしよう、桜井さんは勘違いしてる。

 僕は桜井さんがそこにいた事を意識してない。

 脚本を書いて、その後の本読みを一人でしてた時の事だ。

 僕は役者ではなかった。でも、違和感が無いかどうかを確かめる為に脚本を書いて、台本に仕上げる前に一人で本読みをしていた。

 部員にも内緒で。そう、一人で屋上で。

 桜井さんが聞いたのはその本読みのセリフだ。

 なんか背中にイヤな汗が……。

「桜井さん……」

「思い出したの?」

「その、あっ!」

「どうしたの?」

「雨です」

「え!?」

 窓の外を見ると、さっきまでの快晴が嘘のように激しい雨が降り始めていた。

「真木君、傘持ってきた?」

「持ってきてないです」

「だよねぇ、あんなに天気良かったもんねぇ」

 どうやら話題を変える事が出来たようだ。

 事実を話したら、桜井さんはきっとガッカリする。

 なにせ、結局、お蔵入りさせた脚本のセリフがそれだからだ。

「困ったわねぇ」

 と言うものの、桜井さんの表情に困った様子は微塵も感じられない。

「あんまり困ってるように見えないんですけど」

「うん、実はね」

「実は?」

「今日訪問予定になってるA社もB社も、昨日用事があったついでに顔出してきててね」

「まさか」

「今日話してまとめる予定だった商談、ほぼ片付いちゃってるのよねぇ」

「……桜井さん」

「先輩でしょ?」

「……恵先輩」

 めっちゃ恥ずかしいなコレ、自分でも顔が赤くなってるのがわかる。

 さっきとはまた違う汗が流れてるような気がする。

「ふふふ~ん♪何、真木先輩?」

「今日は外回りしないって事ですか?」

「うん、ちなみに営業報告の書類も作成済みだったりする」

「今日はどうするんですか?」

「飛び込みの営業でも、良い機会だからしておこうかなぁとも思ったんだけどねぇ」

「どうするんです?」

「雨降りなんだよねぇ」

「そんなの理由にしちゃダメですよ」

「雨の日の営業ってあんまり気が乗らないんだよねぇ」

「そういう問題じゃないと思うんですけど」

「うん、そういう問題じゃないと思うぞ、桜井君」

 この声は?

「主任!?」

「主任!?」

 桜井さんと同時に声のする方を振り返る。

 そこには高瀬先輩と林主任がコーヒーを載せたトレーを片手に立っていた。

「まったく。ダメじゃないか、桜井君」

 と言いつつ、主任自身が少し居心地悪そうな顔をしてる。

「二人とも気にしなくていいわよ。私たちも朝御飯食べにきてるんだから」

 そう言う、高瀬さんの持つトレーにはミラノサンドやら、サンドイッチなんかが載っていた。

「まぁ、外回りなんてそんなもんだわな」

 軽い口調で主任は僕らの隣のテーブルに座る。

 そしてその向かいに高瀬さんが。なんだかとても自然な感じだ。

「主任、ちゃんと営業は行きますから」

 慌てた様子で桜井さんが言い訳してるのが可愛い。

「サボるのを公認するワケにはいかないけど、メリハリきかせて仕事する為には適度な息抜きも必要だから構わないよ。僕も高瀬君も見ての通りだしね」

 主任の笑顔初めて見たような気がする。

 心なしか表情が柔らかいような……。

「で、桜井君は真木君に高校の後輩ってネタをバラしてたのかい?」

「あれ、もう話しちゃったの?もう少しそのままかと思ってたのに」

 二人とも知ってるって事は……。

「桜井さん?」

「違うでしょ?真木先輩?」

 ジッと見つめられる。

 怒ってる。でもさ、主任も高瀬さんもいるのにそんな下の名前でなんて呼べるワケが……イヤな汗がね。

「いや、だって……」

「桜井君、意地悪しちゃダメだよ」

「そうだよメグちゃん、あんまり意地悪しない方がいいよ?ねぇ、真木君?」

 悪戯っぽく高瀬さんが微笑む。

 アイコンタクトって感じだ。

「主任も高瀬さんも、僕が桜井さんの高校の先輩って知ってたんですか?」

「そりゃ僕は管理職だからね。履歴書見たし」

「私?……ねぇ、メグちゃん?」

 楽しそうだ、どう見ても高瀬さんは楽しんでる。

 主任と二人で働いてる時の凛とした高瀬さんはいない。

 まぁ、同じ凛としてても僕は桜井さんの方が、いやいや今はそういう事じゃなくて。

「真木君が先輩だって事は私が高瀬先輩に話したの。教育係なんて初めてでどうしていいか不安だったんだもん」

「真木君から見てメグちゃんはどう?良き教育係だった?」

「もちろんですよ。事細かに説明してもらえて、凄く助かりました」

「だって、良かったねメグちゃん」

 高瀬さんは嬉しそうに微笑むと、主任に何かを囁いた。

「さて、僕と高瀬君は打ち合わせしたい事もあるから、席を移動するよ。二人とも息抜きは程々にね」

「じゃ、メグちゃん頑張ってね」

 クスクス笑いながら高瀬さんは主任と窓際の席に移動していった。

「真木先輩」

「なんですか?」

「名字じゃないでしょ?」

「主任いるし恥ずかしいじゃないですか」

「二人の時しかさっきみたいに呼んでくれないの?」

 ……いや、二人の時しかって。なんか付き合ってるみたいだし、いや、そうなりたいとは思ってるんだけど……。

「……」

 ジッと見てる。……視線を痛い程感じる。

「・・・…恵先輩」

「うんうん♪」

 凄く嬉しそうだ。

「凄く恥ずかしいんですけど。絶対顔赤くなってると思うし」

「照れてる真木先輩も可愛くていいんだけど」

「いや、そういう問題じゃなくて」

「イヤ?」

「そんな事はないんですけど。なんか色んな事でいっぱいいっぱいって感じなんですよ」

「色んな事?」

「その、研修期間もうすぐ終わるじゃないですか」

「敬語はやめてくれないのね。まぁ、譲歩しよう。うん、今週で終わりだね」

「それでですね……」

「何?あっ!もしかして教えてない事とかあった?わからない事は研修終わっても聞いてくれたらいいから」

「いや、そうじゃなくてですね」

「うん?」

 言葉を待つように僕の顔をジッと先輩が見つめる。

「そんなに身構えられると……話にくいじゃないですか」

「だって気になるんだもん」

「その、お世話になったお礼に。しょ、食事でもどうかなぁと思って」

 噛んだ、絶対顔赤い。うわぁ~顔見れねぇ~。

「いつ?」

「いや、先輩の……」

「先輩?」

 言い直せと?

「……恵先輩の都合が良ければなn」

「いいわよ」

 間髪いれず返事がもらえた。

「彼氏とかに怒られたりしません?」

「彼氏いないから大丈夫」

 やった♪フリー確定♪

 でも恥ずかしくて顔見れねぇ。どんな顔してくれてるんだろう?

「で、なんで小さくガッツポーズしてるの?」

「!?え?」

 慌てて顔を上げる。

「やっとこっち見てくれた。そういうセリフは顔見て言って欲しいんですけど?」

「ガッツポーズ?」

「やった!って感じで拳握りしめてたし」

「あ、いや、そ、そんな……」

「冗談だよ、真木先輩の照れた顔とか慌てた顔って可愛いんだもん」

「な?しょ、食事の話は?」

「それはOKだよ。お店は真木先輩に任せたらいいのかな?」

「嫌いなモノとか苦手な料理とかは?」

「あんまり辛いものじゃなかったら大丈夫だよ」

「じゃ、金曜、仕事終わってからでいいですか?」

「なんだデートのお誘いじゃないのかぁ」

「な?今なんて?」

「デートのお誘いかと思ったのになぁ」

「え?あ、いや、だって先輩めいw」

「迷惑じゃないし。それに先輩じゃないでしょ?」

「恵さん、迷惑じゃないかなぁと……」

 思いきって名前で呼んでみた。……怒ってない、よね?

「へへ♪もう一回」

「へ?」

「今のもう一回」

「・・・…恵さん?」

「うんうん♪二人の時しか名前で呼んでくれないなら先輩とか無い方がいいや。ね、真木先輩」

 本当に嬉しそうだ。そして嬉しそうな顔を見てるとこっちも嬉しくなる。

「その、じゃあ次土曜日って空いてますか?」

「空いてなくても空けるから大丈夫♪」

「いや予定入ってるなら、他の日でも都合の良い日に合わせますから」

「真木君の、真木先輩の誘いなんですよ?いいですか?私にとって憧れで、手の届かない人からの誘いなんですよ?」

「いや、それは学生の頃の話ですよよ。僕は別に普通の。いや、普通かどうかも、もしかしたら微妙だけど」

「そんな事ないよ!あの日励ましてくれた言葉が本当に嬉しかったんだから」

 そんなに喜ばれると益々申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「その事なんだけど……」

「思い出した?」

「ごめんなさい!」

「!?」

「励ましてたワケじゃないんです。本読みしてて、結局納得いかなくてお蔵入りさせたんだけど……その中のセリフなんです」

「セリフ?」

「うん。黙ってた方がきっと良かったと思うんだけど。なんだか申し訳なくて」

「そうだよねぇ、急に話しかけられてどう答えていいのかわからないのに、そのまま励ましてくれたんだもん」

「本当にごめんなさい!」

「でもね、本当に嬉しかったんだよ?上級生ってのはわかったんだけど、誰かわからなくて……」

「いい思い出にしとけば良かったのに。すいません」

「学祭の時、友達とたまたま観に行ったんですよ、演劇部の舞台」

「観た……の?」

「観ました。で、凄く面白くって、オリジナルって聞いてビックリして、そしたらカーテンコールで先輩が出てきて」

「いや、役者が良かったんだよ」

「そんな事ないよ。あの時の人だ!って、私すぐにわかって、放送部の子に頼んで、入学する前のビデオも見せてもらったんですよ」

「……」

「演じてる先輩も格好良くて」

「だぁ!ダメ!そこまで!」

「先輩?」

 あ!?主任達がこっちを見てる。

 そりゃこんな大きな声出せば見るわな。

「その、演者の自分ってのは封印したいぐらい恥ずかしいんだよ」

「そんな事ないよ、凄いなぁって思ったもん。演じられるから、書けるんだろうなぁって思ってた」

「違うよ、一年の時は人数が少なくて演じる側に回るしかなかったんだ。なんとか役者に見えるのは、当時の部長の演出が上手かったからさ」

「なんでそんなに否定するの?」

「僕は演者としても台本屋としても、自信を持てなかったから」

 正直な気持ちだった。

「でも私h」

「だから嬉しかったんだよ。僕の書いたセリフで恵さんを励ます事が出来たのが・・・…」

 今度は僕が言葉を遮る番だった。

「演者としてどれだけの力量があったのかわからないけど、励ます事が出来てたんだって。……誰かの心に残るモノを作れてたんだなぁってね。ありがとう。そして、本当にごめんなさい」

「……」

「改めてだけど。週末、一緒に食事に行ってもらえませんか?」

「お礼?」

「仕事を教えてくれた恵先輩に対するお礼と……」

「と?」

「僕の作品で誰かを励ます事が出来てたんだって、その嬉しくてさ。もしかしたら、そっちのお礼の方が意味合いは大きいかもしれない」

「結局、お礼だけですか?」

 少し寂しそうに、残念そうに僕を少しだけ見つめるとうつむいてしまった。

「その……僕も期待しちゃうんですよ?そういう風に言われると」

「私は食事のお誘いで、すっっっっごい期待したよ?」

 そんな強調しなくてもさ。

 凛とした先輩の格好良さが好きになったトコだったのに。こんな可愛い部分があるなんてな……。

「じゃ、お互い楽しみな週末にしようよ。もっとお互いの事を知ろうよ。僕は恵さんにこんなに可愛いトコがあるなんて知らなかったし」

「可愛い……ですか?」

「うん。可愛い」

 顔が真っ赤だ。

「……期待していいんですか?」

「楽しい週末にできるよう頑張ります」

「じゃあ、敬語は無しにしようね?」

「そう言いながら敬語になってるし」

「だって、私の方が年下だし・・・結構無理してたんですよ?」

「無理って?」

「だって、ずっと憧れてた人が毎日一緒にいるんだよ?私の事、さん付けで先輩扱いだし。そう呼ばれるのがなんだか恥ずかしいし、顔赤かったらどうしようとか……」

 そう言う顔は赤いままだ。

「そんな風には全然見えませんでしたよ」

「必死で隠してたんです」

 消え入りそうな声だ。

 どんどん可愛い恵さんが、僕の中で大きくなっていく。

「それじゃ、先輩。残り一週間研修よろしくお願いします」

「え?」

「いい加減仕事に切り替えないと、さっきからチラチラ主任達見てますし」

「だね。じゃ、残り一週間ビシビシ教育するからね」

「期待に応えられるように頑張りますよ」

「週末楽しみにしてるからね」

「はい、楽しい週末にしますよ」

 凛とした、でもどこか幼さの残る笑顔だ。

 多分こっちが本当の先輩の笑顔なんだろうな……頑張らなきゃな。

 僕らは主任達に軽く会釈をして店を後にした。



 店を出て、どうするのか先輩に聞こうとしたその時だった。

「真木、頑張れよ」

 主任の声に振り返る。

 後ろに主任が立っていた。

「俺達が気になってゆっくり話せなかったんだろ?」

「いや、そういうワケじゃ・・・・・・」

「ちなみに社内恋愛は禁止じゃないからな?公私混同しなければ、な?」

「そういう事」

 高瀬先輩が後に続く。

「え?いやその……」

「メグちゃんも頑張ってね」

「俺達は会社戻るから……桜井君」

「は、はい」

 恵先輩が慌てた様子で返事する。

「二社とも商談終わってるんだろ?営業報告は明日しっかり聞かせてもらうから、今日は直帰でいい。その代わり……」

「その代わり?」

「二人で業務に支障をきたさないように、色々としっかり話しておいで」

 それだけを言うと、主任は返事も聞かずに高瀬先輩と会社の方向へ歩き出した。



「恵先輩?」

「何?」

「こういうのって有りなんですか?」

 恵さんが会社とは反対方向に歩き出すので、それに付いていくように僕も歩き出す。

 この先はちょっとしたアーケードの商店街が広がる。

「上司がOK出してるから有りなんじゃない?」

「有りなのかなぁ」

「なんで商談終わってるの知ってたのかなぁ?ところで真木先輩は、あの二人が付き合ってるの知ってました?」

「へ?」

 あの二人が⁇そんな風には……気にもしてなかった。

「まぁ、知ってる人のが少ないんだけどね」

「気にも止めてなかったんですけど。でも、言われないとわかんないですよ。高瀬先輩はともかく、林主任は口数かなり少ないですし」

「主任はあれでもみんなと距離近くなった方なんだよ。私は高瀬さんの少し後に入社したんだけど、入社して半年、業務と挨拶以外でまともに話した事なかったもの。なんか近寄りがたい雰囲気が当時の主任にはあってさ」

「今でも近寄りがたい雰囲気はあると思うんですけど」

「まぁ、高瀬さんが言うには主任は優しくて楽しい人みたいなんだけどね」

「想像がつかないんですけど?」

「そのうち真木君も主任の色んな面を見るようになるわよ」

「ところで何処に向かってるんですか?」

「会社から離れたトコに行こうって思っただけで、特に決めてないのよ」

「……じゃあ」

「じゃあ?」

「その……」

「何?」

「雨降ってますけど、高台行きます?」

「高台?」

「高校の裏手の高台。……よくそこで本読みしてたんですよ」

「先輩のお気に入りですか?」

「ま、まぁそんな感じかなぁ」

「じゃ、そこで色んな話を聞かせてもらおうっと」

 アーケードを抜けると雨上がりの空気が僕らを包み込んだ。

 どうやら雨は上がったようだ。

 遠くの空が少しずつ明るくなって、雲の切れ間から陽が差し込む。

 この後の展開もあんな感じだといいんだけど……。

 隣には楽しそうに微笑む恵さんがいる。

 この笑顔が見られる毎日を送りたいよなぁ……。

 そんな事を思いつつ、並んで隣を歩く。

 せっかく主任がくれた時間だ、ゆっくり話そう。

 急ぐ必要なんかないんだから、これからもゆっくり話していけばいい。

 そう、ゆっくりお互いを知っていけば……。





 Fin

  

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