第7話 どちらかというと大反対
ひらひらした白衣の裾が消えて行くのを呆然と見送る。
『力』を執拗に催促するということは、わずかにでもそれが戻ったからに違いない。
魔力は二度と戻らないだろうから、彼に危険はないと自信を持って言えた。
それが。
彼が街を消したのを目の前で見ていた。不安がよぎるのは仕方ない。勇者を排除すると簡単に言う、その言葉がいつ自分たちに向けられるのか。
勇者は普通、悪者を退治するじゃないか。やっぱり魔王様は『悪いもの』じゃないのか。
そうやってよぎった一瞬の迷いを、魔王様は受け取ってしまった。
いきなり現れて、有無を言わさず攻撃してくる人物を、勇者と聞いただけで無条件に良いものと判断するのか。誰であろうと、無断で敷地に侵入して攻撃を仕掛けるものは悪だ。
魔王様はみんなの安全も考慮してくれたのに。自分の城と仲間は守る。そうだと解っていたはずなのに。
初めの攻撃も苛烈ではあったけど、それは自分が害されると思ったからだ。尊大な態度の割には、彼は小心で優しい。
攻撃の音は続いているけれど、魔王様の言う通り、彼のいなくなったこの部屋にはもう飛んでこなくなった。私は、私は――
立ち上がり、彼の消えた窓を覗き込む。
「魔王様!」
彼は、窓の真下で四股を踏むような格好でぷるぷると震えながら固まっていた。
ここは三階だから、死ぬほどではないにしても衝撃はかなりのものだろう。ただの人間(それもかなり運動不足)の魔王様ではしばらく動けないに違いない。
視線を上げれば、ダダンダンダダン、などと某映画の音楽が流れてきそうな、うずくまったままの姿勢で勇者が重そうに腕を上げていた。
魔王様との間に生垣もある。ノーコンというのは本当なのか、彼の攻撃が当たる気配はない。
私は踵を返して外へと急いだ。
○ ● ○
正面玄関から外に出て、建物横に回り込む。周囲はボロボロで酷い有様だった。
相変わらずうずくまったままの勇者は、兜こそ外して転がしているものの、漆黒の鎧は、迫りくる闇に紛れようとするかのように彼を包んだままだ。
ここは某即売会の会場か!
魔王様も、もう生垣の向こうから抜け出して、ぎくしゃくと妙な足取りで勇者に近づいていく。まだ何もしていないはずなのに、二人の様子は、すでにいいだけ戦った後のようだった。
勇者まで三メートルほどの場所まで来て、魔王様はようやく背筋を伸ばして腕を組んだ。斜に構え、顎は軽く上げられる。さげすむような眼差しに、白衣の裾がはためいて、眼鏡がキラリと輝いた。
魔王様に向けられていた勇者の手が地に落ちる。
「どうした。勇者とあろうものが情けない。剣を抜かぬのか?」
勇者は肩で息をしながら、息も絶え絶えに魔王様を睨め上げた。
「き、貴様! 毒の散布に重力操作の罠を張るとは……ずいぶん魔王らしくなったじゃないか」
「……毒?」
魔王様はきょとんとして、そのままうーんと考え込んだ。
待て。どうしてそこで素に戻る。
ちょっと呆れて、足を緩めながら様子を見る。魔王様はポン、と手を打ち付けた。
「お前、転移してきたのか。そりゃ、きついわ。大気成分がだいぶ違う。窒素78%、酸素21%、あと二酸化炭素とかアルゴンとかだし」
「なんっ……! きさ……貴様、は」
「この身体はこの星産だから、最初から適応している。重力にもな。あちらから来ると、酸素は濃すぎだし、この重力も慣れるまでは重かろう」
ようやく、魔王様は魔王っぽい笑みを浮かべた。
「わざわざご苦労。死ぬ前に帰れ? 帰れるもんならな」
「いわせて、おけば!!」
さすがというのか、勇者は怒りに任せて立ち上がり、腰の剣を抜いた。
人間では敵わないと言った魔王様なのに、切っ先を向けられても微動だにしない。慌てて私は駆け出した。今の状態なら、交渉できるかもしれない。
「ちょっと! 待って!」
魔王様の前にずささ、と滑り込み、両手を広げる。
近くで見る勇者の顔は青褪めて、焦点もやや怪しかった。
「む?」
「下僕?! 何しに来た! 下がれ!」
「お加減が悪そうです。いったん矛を収めてもらって、仕切り直しませんか」
「女。魔王の手下か。問答無用! 魔王は斬るのみ!」
一歩踏み込んで上段から振り下ろされる剣が、一瞬で目の前を下りて行った。魔王様に抱えられて下がってなければ斬られていただろう。
遅れてからぞっとする。
「聞く耳持たないから。転移にだってどれだけの人民犠牲にした? 千くらい? いいよな。勇者は。守るものがない」
「黙れ。魔王を斬るのが勇者の仕事。黙って斬られれば、誰も犠牲にならん」
黒く染まり切った笑顔に、禍々しいものを感じて、思わず魔王様の白衣を握りしめる。
これが、『勇者』?
「黙って待ってたのに、寄り道しすぎだろ。こんなところまで追いかけてきて……せっかく、あの世界に魔王はいなくなったのに」
「だからだろ? 大義名分は残しておけばよかった。こちらなら、また……まずは、手下その一、だな」
はぁ、とため息をついて、魔王様は私を背にかばった。
「ハロンとクロロは何してるんだ。シナリオ通りに幕は閉じたのに」
「知ってたのか?」
「一応、魔王なんで」
「……本当に、気に食わない。もちろん殺してやったさ」
「やっぱり……お互い様だな。俺も、気に食わない。……下僕」
突然呼ばれて、手を突き出された。
「冥途の土産に、そのペンダントよこせ」
「……え?」
「いつもつけてる、それ。ぐずぐずするな? さっさとよこせ」
ちらりと振り返った魔王スマイルは今までで一番怒気がこもっていた。
魔王様は知っていたのか。いや。それよりも、冥途の土産だなんて。
身体が動かない。動いても、きっと震えて外せない。
ちらと勇者を見やる。喘ぐような呼吸、脂汗、目はうつろで失神一歩手前。ここから離れてしまえば、それで終わるのでは。
「それではだめだ。虫けらは考えが浅い。勇者が勇者たり得るのは、そのしぶとさ故だ」
魔王様は呆れたように勇者に背を向けると、私の首へと手を伸ばした。
思わず後退る。すぐに捕らえられ、魔王様の指が細い鎖を掬い上げた。カプセル型のペンダントトップが魔王様の手に収まるのと、勇者がふるりと頭を振ったのは同時だった。
「この期に及んで……! 俺に背を向け、女といちゃつくなど、許さん!!」
「魔王様……!!」
勇者の振りかぶった剣が眩しく輝き始めても、魔王様は焦りもしない。ぷつりと鎖の切れる感覚が私の緊張感も切って捨てた。ぶわりと感情があふれ出る。
優しく笑んだ魔王様は、私の涙を拭って首を傾げた。
「マリア。それはダメだ。禍を呼ぶ」
輝きを増す剣が、どんどん彼の表情を見えなくしていくのに耐え切れず、私は魔王様の白衣の襟を掴んで引き寄せ、唇を重ねた。斬られるなら、このまま一緒に斬られてしまえばいい。
しゃくりあげた拍子に離れてしまった唇。そのまま、魔王様は立ち位置を変え、私を勇者の前へと押し出した。
光の中でよく見えるようになった魔王らしい悪い笑み。
「良くやった、下僕。褒めてつかわす」
混乱と絶望の淵で、勇者の嬌笑を聞いた。
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