第6話 一同無言の沈黙
災難である。
他にもいくつかデータが飛んだようで、あちこちから問い合わせが来た。魔王様の頭をリアルシェイクしつつ、どうにか全ての復旧を終えたのは三日後。次世代機構想は魔王様の「たぶん……」というなんとも情けない記憶頼りだったけれど。
ちょっと席を外して戻ってみれば、魔王様は手をキーボードにかけたまま寝落ちしていた。外は逢魔が時。オレンジ色の縁取りの雲が夜を誘っていた。
画面に“D”の文字を生産し続けている手をそっとずらし、がっくりと落ちている顔を覗き込む。目の下の隈に無精髭。よく見たトールの顔がそこにあった。
いやだできない憶えてないと、数時間おきに泣き言をいう魔王様の首根っこを掴んで机に向かわせ続けた結果がこれだ。
集中していれば、少しの先導できちんと確立した理論に辿り着く。問題は、それが元のトールほど長続きしない点だ。次の集中のために、仮眠に糖分、癒しの動物映像(ニュースや娯楽映画などは見せられないので、もっぱらネイチャー動画を見せて生態系を学ばせていた)を所望されれば下僕()としては出さねばならない。
無理やり机から引き離さなければならなかった以前と、どちらが大変ともいえないのは確かだが……
「頑張りましたね……」
メガネフレームにぶつからないように、頬に小さくキスを落とす。
秘めていた計画を聞いてしまった時は恐ろしさも感じたけれど、それでも一緒にいて脅威は感じない。今の様子を見ても、彼の計画を実行できるまでにはまだまだかかるだろう。その間に改心させればいい。できると、思っていた。
そっと、服の下のペンダントに触れる。
こんなもの、使わなくても大丈夫。
この三日で、自分に言い聞かせるくらいには、私は魔王様にトールを重ねていた。
彼が寝ている間に定期連絡を済ませる。
クソ忙しかったので三日ぶりだ。催促メールの多さにうんざりしつつ、この三日の動向を伝える。魔王様の研究への動機は除いて。
バレたら寝返ったのかと疑われそうだが、出来上がったものをどう使うかなんて、魔王様も人間もそう変わらない。きっと。
送信を終えて一度電源を落とす。自分も仮眠をとっておきたかった。
何やら小さくうなされ始めた魔王様に視線を移すと、「んがっ」と鼻を鳴らして頭を起こした。ぱちぱちと瞬きした寝惚け眼は、自分の掌など見つめている。その口が何か言おうとした、瞬間。閃光と轟音が響き渡った。建物が震え、電気が消える。すぐに非常灯がついた。
あの日と同じ状況に、反射的に私は窓へと駆け寄った。
見下ろす庭には芝にできた新しい雷紋。その中心部に誰かがいる。
「トール……?!」
「違う。ばかもの」
後ろから不意に抱き締められ、視線の先でうずくまるようにしていた人物が顔を上げたのと同時に、体ごと景色が反転した。ガシャン!と背後で強化ガラスの砕け散る音が響き、足元に欠片が積もっていく。思わずつぶった眼を開いて振り返れば、頭から白衣を被った魔王様の顔が間近に迫っていた。
しかし、その目は私を見ていない。背後を窺う冷ややかな瞳と、白衣にすっぽりと収められた様子に、割れたガラスから守られたのだと知る。
「まおう……さま」
「黙れ。下僕」
そのまま身体ごと一緒に屈みこまされる。外から飛んできた何かが天井に穴を開け、チッと舌打ちが耳元でする。
「アレと見間違えられるなど、吐き気がする!」
「まさか、お知り合いですか!?」
「知り合いなどであるものか。そりより、下僕。お前俺に何をした」
「はい?」
「俺がちょっと意識を失っている間に、何かしただろう!」
動転した頭をどうにか落ち着かせて考える。
「き、キーボードから手を退かせて、作業を中断、保存してからスリープにして閉じて……毛布を掛けようと思ったら手が邪魔ででも動かしたら起きそうでそうしたらこっちの作業も進まないしめんどくさいなって仕方ないから肩から掛けるだけにしたけどそもそもなんでそこまで気を遣わなきゃいけないんだって腹が立ってきたからいつか呪いをかけてやろうと髪を一本だけ抜いてやりました――それがっ、何かを呼び寄せる儀式だったとは……」
青褪める私を魔王様は半眼で見下ろした。
「どういうことだっ……って、よくないが、まあ、よい。そして、違う! アレが来たのは関係ない。そうではなくて、何か、特別な……いつもはしないようなことをしなかったかと……」
言葉の途中で、天井に穴を開けたものが、今度は連続で飛んできた。蛍光灯に当たり破片が降り注ぐ。魔王様により強く抱きすくめられ、何で鼓動が高まっていくのかわからなくなる。
「魔王様、それより逃げた方が……」
おそらく当たり前の提案をしてみたが、彼は鼻で笑うだけだった。
「アレは俺を狙ってる。動けば、被害が大きくなる。なんで突っ込んでこないのかは判らないが、魔法で狙っているうちはそう心配ない。ノーコンだからな」
ポケットでスマホが鳴る。震える指先では上手く掴めなくてもたもたしていたら、魔王様の手が添えられた。スワイプして自分の口元に近づける。
「地下に全員避難しろ。マリアは責任もって俺が守る。いいと言うまで出てくるなよ? 所長命令だ」
相手も確かめず言うだけ言うと、通話を切って私のポケットに戻してしまう。
「魔王様……」
きゅん、としかけた私を向かい合わせに抱き直し、魔王様は詰問するように目を眇めた。
「さあ、邪魔は入らん。言え。いや。やれ。もう一度……三、五? ええい。十回くらいやれ!」
「え? やるんですか?」
混乱も手伝って、魔王様の髪に手を伸ばし、ぶちっと何本か抜いてやる。
「った! ち、違う! それじゃないっ!」
きゅっとつぶられた目元に涙が浮かんで、思わず手を伸ばす。邪魔なレンズを回り込んで頬に触れた時、思い出した。
「あっ!」
「思い出したな? さあ、何をした」
ずいと顔を寄せられ、視線を外して少しのけぞる。
それは、十回やれとか言われると、ちょっと……
「ななな、なんでやらなければいけないのです。こんな時に!」
「こんな時だからだ! アレは勇者だ。ただの人間の俺では歯が立たん。排除しようと思えば、力が必要だ!」
息を吸った一瞬に、いろんなことが頭を駆け巡った。
不思議なことに、魔王様は私の中を走り抜けた思考を読み取ったようだった。
雨霰と続く攻撃で破壊音が響いているはずなのに、二人に落ちた沈黙が部屋中に広がっていく。
「排除されるべきは、魔王の方、か」
傷ついた顔をした魔王様は、ふらりと立ち上がり、私の頭の上でひとつ指を鳴らすと、窓の向こうへ身を躍らせた。
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