第3話 確定的に明らか

「例の物は」


 少しだけ声量を落として男が問う。頷けば、ぽんと肩に手を置いて彼は出て行った。

 そっと首元のカプセル型のペンダントトップに触れる。服の中で見えないそれは、いつもひやりと冷たい気がした。

 待合部屋へと戻り、魔王様の帰還を待つ。モバイル端末で別の仕事を始めれば、時間は気にならなかった。


「げ……下僕……」


 か細い声に顔を上げれば、真っ青な顔をした魔王様が床に這いつくばっていた。


「お前……裏切ったな。血を抜かれ、変な機械に突っ込まれ、振り回され……」

「魔王様の健康のためです。下剤は飲みましたか?」


 仕方なく肩を貸そうとすれば、怯えた犬のように少し下がって唸り声を上げる。


「これ以上何を飲まそうと言うんだ!」

「下剤を飲まないと、もっとひどい目に遭いますよ……」


 引き起こして薬を差し出しても、彼は手を出さなかった。ぷいと背けられた顔を無理やり戻そうとする。ぎりぎりと顔が変に歪んでも抵抗を続ける魔王様。

 はぁ、と一息吐いて手を離し、震えた声を作ってみた。


「魔王様が糞詰まりから死んでしまうなんて間抜けなこと、私にはとても耐えられそうにありません……」


 ぎょっとした魔王様がこちらを向き、潤んだ瞳を見てうろたえる。


「下僕……」


 一歩近づき、開きかけた口を見逃さない。顎を捕まえ、薬を放り込むと、水を流し入れて今度は閉じる。ヘッドロックしようとした腕は間一髪避けられ、水と薬は吐き出されてしまった。


「魔王様!」


 イライラしながら、新しい薬を取り出して詰め寄る。予備ならいくらでもあるのだ。


「……くっ……下僕の分際で……!」

「飲まなきゃ腸の中でバリウムが固まって大変なんですって。大人しく飲んで下さい!」


 後退るその足がもつれてよろけたのを私は見逃さなかった。捕まえて白い錠剤を口元にあてがうも、その口は引き結ばれたまま開こうとしない。

 この! 頑固者め!

 いつもの素直さはどこへやら。この錠剤は毒だと決めつけているらしい。

 鼻をつまんでやろうとして、いやいやと振られた顔から眼鏡が飛んでいく。かしゃん、と軽い音にも構わずにお互いの攻防は続く。

 検査に体力を奪われていたらしい魔王様はやがて力尽きた。鼻をつままれ、呼吸ができなくなって、とうとうぷはっと口を開く。すかさず錠剤を突っ込み、吐き出されないうちにと、今度は自分の口に水を含んでから彼に口移しで水を送る。まだ小さく抵抗していた動きは、それで完全に止まり、目を見開いたかと思うとごくりと喉が鳴った。水しか飲んでないかもしれない。舌で口内を探って確認してからようやく彼から離れる。

 手間かけさせやがって。

 一仕事終えた感覚で口元を拭って、落ちた眼鏡を探す。よかった。割れてはいなかった。


「魔王様? お水は多めに飲んでくださいね」


 まだ呆然と佇む魔王様に眼鏡と水を差し出すけれど、反応が返ってこない。首を傾げて眼鏡を白衣の胸ポケットに突っ込んだ、その手を掴まれた。


「毒ではありませんって。毒を盛るなら、もっと判り辛くやりますよ」

「マリ……ア……?」

「? はい」


 初めの自己紹介からこっち『下僕』呼びしかしなかったのに、名前で呼ぶなんてどこか具合でも悪いんだろうか。酸欠でも起こしたかな?


「具合悪いですか? 吐きそう?」


 顔色は検査直後よりはいいように見える。焦点を合わせようとしているのか、その眉がわずかに寄せられた。


「前に……前にも、俺に水を……」

「はぁ? 何のことです? 子供ではないんですから、もう手こずらせないでください」


 私の手を離させ、代わりに紙コップを持たせる。


「三十分から一時間ほどで効き始めますからね。お部屋に戻りますよ」


 促して歩き始めれば、魔王様は黙ってついてきた。気味が悪いくらいおとなしかったけれど、体力的にも精神的にもダメージを食らったせいだろうと気にしなかった。ただ、黙って少しうつむき加減に歩く姿が、トールを思い起こさせて……少し居心地が悪かった。




 まあ、それも下剤が効き始めるまでの短い時間だったけど。

 魔王様がそわそわし始め、額に脂汗など浮かべているのを見て、ふっと息をつく。


「我慢なさらずにトイレに行って下さいね。出すためのお薬ですからね」

「……っげ、下僕め!! やはり、毒を飲ませたな!? くそっ……俺様としたことが……!」

「なに様でもいいですけど、そういうものですから」


 がばりと立ち上がり、文字通りトイレに駆け込む。しばらくすると甲高い悲鳴が上がった。面倒くさいけれど、私も腰を上げる。

 軽くノックしてから声をかけた。


「魔王様? 大丈夫ですか?」

「……めだ……もう……め……だ…………俺は……ぬんだ……」


 耳を澄ませば、めそめそとした呟きが聞こえる。


「白いものが出るのは普通ですからねー。それを出すための下剤ですよー」


 ぴたりと声がやんだので、やれやれと席に戻る。もうしばらくしてから魔王様は颯爽と白衣をひるがえして(トイレから)出てきた。


「いいか! これでいい気になるんじゃないぞ! 俺はこんなことでは屈しないからな!」


 ビシリと突きつけられる指先にちらりと顔を上げて、すぐに数式に視線を戻す。


「はいはい。ちゃんと手を洗ってくださいね。それと、出しきるまでまだ何回か波が来ますから」

「なん……だと」


 言ってる傍からきゅるりと可愛らしい音が響く。

 魔王様は今度は我慢せずにぐるりと踵を返したのだった。

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