第2話 時すでに時間切れ

「威厳が、なーーーい!!」


 力いっぱい開けたドアが、跳ね返ってまた閉まっている。

 ひゃんっと情けない声を上げて引っ込んだ魔王様は、次はちゃんとドアノブを握ったままそれを開けた。


「失礼いたします」


 待ち構え、ドライヤーの風量を最大にして彼に吹き付ける。水滴が飛ぶところを見ると、髪を拭くところまでは学習されていないのがわかる。


「魔王様。少し屈んでいただかないと、私では手が届きません」


 ゴォォォという音に魔王様の細かい文句は聞こえない。聞く気もないが。

 目をしぱしぱさせながら、仕方なさげに彼はいじけた子供のようにその場にしゃがんだ。

 頭を下げればいいだけなのに。

 首にかかっていたバスタオルを手に、拭き上げながら風を当てる。少し毛量の多いその黒髪はねこ毛で先に癖が出る。そろそろ切った方がいいだろうかと考えて、そうやって世話を焼くからこうなったのだと苛立ちを覚えた。


「それで。何か」


 ドライヤーのコードを本体に巻きつけながら尋ねれば、彼はすっくと立ちあがって腰に手を当てた。


「何か。ではない! なんだこの飾り気のないシャツに下履きは!」


 下履き、といってもパンツではない。スウェットのズボンを穿いている。嫌なら身につけないくらいの我儘さを発揮してほしいものだが、用意されたものは素直に着るし、食べ物に毒味を要求することもない。


「本日は検診があると言ったではございませんか。着脱のしやすい服装がよろしいのです。新しい白衣は用意いたしましたので」

「む。そうか。魔力が回復しない理由も知りたいしな」


 理由というか。人間には魔力などありゃしないのですが。

 すまし顔で白衣を差し出すと、魔王様は嬉々として手を通した。

 マントのようにひらりとするからか、ずるずる長いのが好きなのか、魔王様は白衣をいたく気に入っていた。何かの拍子にキラリと光る、銀縁眼鏡も。

 何を言っているか解らない? 私も解らない。彼がここぞと思って格好つけるときに、それは光源など無くとも光るのだ。あまり考えるものではない。


 魔王様の精密検査のために出張して来てくれた医者(とスタッフに紛れたあちこちの捜査員や科学者や政府関係者や野次馬)の元に届けて、検査中に別室で私も尋問を受ける。報告などではない。尋問だ。彼が目覚めてから、毎日報告は欠かしていない。それでも、彼らは懐疑的なのだ。




「動きは」

「無いわ」


 簡潔な答えに黒服の男は小さく舌打ちした。

 苛立ちはわからないでもない。街を更地にした手段も、本当に彼がそうしたのかさえ、今は疑わしい。彼の虚言に自然災害が重なっただけ、かもしれない。


「彼の言葉を借りるなら、「魔力が回復しないので使えない」だそうです」


 何度も繰り返した答えを無味乾燥に突きつける。

 病院で再び意識を失った魔王様は、厳重な警戒の元、サガミ研究所に戻ってきた。眠っている間にもろもろの検査をしたけれど、左腕から左顔側面にかけての雷紋(と、顔の腫れ)以外は特に異常もなかった。

 再び目覚めた彼が私を見て飛び起き、「貴様!」と手を向けられたのだが、ぷしゅう、と気の抜けるような音と共に、柔らかな風が頬を撫でただけだった。

 通常業務もこなしていた私は白衣でその場に跪き、頭を垂れた。


「あの場であれ以上被害を出しますと、連合軍に総攻撃されかねませんでした。私はあの場から魔王様を助けたかったのです。ささやかながら、拠点となる城を捧げます。どうぞまずはお身体を治して、じっくりとこの世界を征服してくださいませ」


 何人かの研究者に口裏を合わせてもらった。みんな、トールが雷に打たれて一時混乱しているのだと納得してくれた。

 魔王様も、同じ白衣ユニフォームを着る彼らが、彼を称える集団だと認識したらしい。勘違いもいいところだが、あえて訂正はしていない。人間としてはどうだかわからないが、科学者としては確かに称えられた人物なのだから。

 あれから一週間。私の結論はすでに出きっている。


「無い、で済むものか! ではあの被害はなんだ!?」


 壁の向こうを指す指が微かに震えている。現場には昆虫一匹見つけられないらしい。


「私に訊かれても……一週間過ごして言えることは、あれだけのことをしでかしたのは彼かもしれませんが、もうそんな力は残っていないし、戻ることもないんじゃないかと。すでに風ひとつ起こせる気配もありません。性格的には乗せやすく、あほ……素直なので、手玉に取るのは難しくないでしょう」


 ぐぅ、と男は呻く。

 一週間、研究所の中だけで魔王様は不満らしいものを漏らしたことがない。

 王とは城の最奥で采配を振るう。そういうものだと。城と手下を幾人か手に入れた(と思っている)ことで、彼は今のところ満足していた。


「付け足すならば……」


 私の言葉に男の視線が続きを促す。


「トール・サガミの頭脳は健在のようです。彼や他の研究員の研究を少し説明しただけで理解しましたから。トールの研究を引き継ぐ気もあるようです」


 眉を顰める男に、さらに続ける。


「インターネットの存在は伏せています。外の情報を与えるのはまだ危険かもしれないので。パソコンは研究のための機械、スマートフォンは連絡を取るための機械だと説明してあります」

「トール・サガミの記憶は残ってないのか?」

「わかりません。趣味も嗜好も変わっていますし、知人に会ってもそれらしい反応はありません。……ただ、施設内の配置とか、教えていないことを知っていることがあるので、全く覚えていないことはないのかもしれません」


 男は軽く目を伏せ、自分のこめかみを指で叩いた。


「……わかった……引き続き、連絡を怠るな」


 立ち上がろうとする男に、無駄と知りつつすがるように手を伸ばす。


「私っ、ここを辞めるはずでした。彼が雷に打たれなければ、次の日に辞表を出すつもりだったんです。危険はほぼなくなったのですから、辞めさせてもらえませんか!」

「無理に決まってるだろう……」


 低く、溜息のような言葉は、どろりと重く床の上へと落ちて行った。

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