【自称】転生(してきた)魔王の世界征服計画(仮)

ながる

第1話 まれによくある

「おはようございます」


 ウェッジウッドのカップとソーサーをそのにぶつからない位置に置いて、腋に挟んでいたファイルを開いた。

 つらつらと本日の予定を読み上げれば、大きなあくび。目尻に浮かんだ涙を眼鏡の脇から指で拭って、は気の抜けた顔をこちらに向けた。

 そういう表情は以前と変わりなくて、まだ慣れない。


「――以上。ご質問は」

「はい」


 机の上にあげた足をわざわざ組み替えて、ゆるゆると手が上がる。


「朝食と、まあ、シャワーの時間はまだわかる。なんでトイレの時間まで分単位で決められてるの……」

の魔王様が、決められたことを何一つ守らなかったからですね」

「HaHaHa。さすが。我こそが法、というわけだな!?」

「いえ。極度の面倒くさがりだったので」


 冷ややかに見つめれば、アホっぽい笑顔はひきつった。

 咳払い一つして、魔王様はカップに手を伸ばす。優雅な所作で傾けられたカップを見ながら、さん、にぃ、いち、と心の中でカウントダウンした。


「……ぶっふぉっおぅ?!?!」


 盛大にコーヒーを吹き出して、ようやく机の上から足が降りる。ゲホゲホと咳込みながら立ち上がった魔王様へタオルを差し出した。


「時間でございます。シャワーとお着替えを」

「はっ? いや、待て。俺はこぉひぃは嫌いだと言ったよな? 紅茶にしろと、昨日も――」

「そうでしたでしょうか。気を付けます。さあさあ、お時間もございませんので」


 背を押してシャワー室に押し込めば、一瞬だけ恨めしそうな視線をよこした。知らないふりで恭しく頭を下げる。

 少なくとも七回、同じやり取りをしていた。

 どうして毎回確かめもせず口をつけるのか。アホなんじゃないか。香りでだって判りそうなものなのに。

 彼が『魔王様』になってから、生活的スケジュールは概ね滞りなく進むようになった。秘書、兼、助手、兼、監視役としては非常にやりやすいと言う外ない。個人的な心労はまた別のところにあったりするのだが。


 私は窓の手すりにかけてある雑巾を手にして、そこから見えるほとんど更地となった周囲の景色に、溜息をついた。



 ○ ● ○



 私がトール・サガミと別れようと決意したのは、つい最近のことだ。

 東洋の島国の血が濃いのか、熱心な研究者だった彼が寝食を忘れて実験に耽るのはいつものことだった。外見にも頓着せず、無精ひげは伸びてきたらつまんで抜く程度。洗ってもアイロンなどかけられたことのない白衣はいつもヨレヨレだ。

 片手で食べられる物を差し入れしたり、目にかかる髪を指摘すれば、そこにあるハサミで切ってくれと頼まれたり。なんとなく世話を焼いているうちに、なんとなく関係を持って……

 細い銀縁眼鏡の奥の、神秘的(当時はそう思った)な黒い瞳を近くで覗き込んだから、うっかり騙されたに違いない。


 トールはクリーンエネルギーの効率的な発電、蓄電の研究をしていた。ある時、何の拍子にか物質移動を成功させてしまう。どれだけ遠くてもほぼ一瞬で移動が完了する、対の装置。さすがに生物までは移動させられなかったけれど、物流に大革命が起こると絶賛された。

 あちこちから技術を請われ、うっかりタダで開示しようとする無頓着さに、慌てて間に入る。特許を取り、大企業と契約を結んで……トールは大金持ちになった。

 サガミ研究所ラボを立ち上げ、何人かの研究員を誘って独立し……彼は大好きな研究を淡々と続けた。

 人が増えれば増えるだけ、奥に引っ込んでいく。「愛してる」と一度も言ったことのない唇が、こちらも見ずに「任せた」という言葉を紡ぐたび不満が募っていった。


 私はあなたの何。


 突きつけた質問に即答できず、目を泳がせながら明日まで考えさせてくれと、まだ先延ばしにするトールに愛想が尽きた。

 きっぱり別れて、研究所も辞めて、次の人生を歩もうと決めた、その夜。

 トールは研究所の敷地内で雷に打たれて、三途の川を渡りかけた。

 ただの散歩だったのか、何か実験していたのか、詳細はわからずじまい。

 三日後目覚めた彼は、左腕にできた雷紋(雷に打たれた人にできる枝状に広がる火傷の痕)を高々と見せつけ、自らを別世界からやってきた魔王だと名乗ったのだ。


 呆気にとられる周囲をよそにベッドの上に立ち上がり、この世界の征服を宣言し、高らかに笑う。包帯だらけの身体に病院着。まったく様にならない。

 すっとんできた医者に鎮静剤を打たれそうになって、彼は逆上した。


「無礼者!!」


 軽く腕が振られると、病室に突風が吹き荒れた。ガラスや蛍光灯が割れ、巻き上げられて外へと飛んでいく。

 今度は窓枠だけになった窓へ手が差し伸べられる。誰も動けず、同じ方へ向けられた視線の先、穏やかだった街並みは白光に包まれ、きれいさっぱり無くなった。細かな地響きのようなものが建物を揺らし、隕石が落ちたみたいに丸くクレーターが出来ている。

 誰かが飲み込んだ悲鳴の息遣いに、トールは満足そうに笑った。


「愚鈍な虫けらどもよ。あそこに居なかった幸運を喜べ。さあ! 跪いて我に忠誠を誓え! 我に従う者だけが生を謳歌できるのだ!!」


 少し角度を変えた腕の先、二つ目のクレーターができるのと同時に、私はトールを平手打ちしていた。

 ……訂正する。

 平手打ちのつもりだったのだ。握られたこぶしは開かれずに、みごとな右ストレートが彼の顔面にめり込んだ。「ほげっ」と情けない声を上げて、よろけた彼は壁に背を預けたままベッドの上に崩れ落ちた。ふたたび意識をなくした彼を、その場にいた医者はテキパキと拘束してから通報している。プロだ。


 まあ、警察だって突然街の半分が消え失せたところに訳の分からない通報だ。ご当人は意識もないし、隔離部屋が用意され、数人が交代で見張りに着く程度の対応だった。

 翌日、呼び出されて病院に行ってみれば、黒服サングラスの『政府特殊諜報機関』なる組織の連中に囲まれた。


 ――曰く。


 トール・サガミはSクラス警戒対象に認定された(誰に?)。

 兵器並みの能力(?)を把握するために、しばらくは味方の振りをする(はぁ)。

 サガミ研究所ラボはエネルギー暴走の対策も万全だし、彼の家も併設されている(嫌な予感)。

 これまでパートナーとしてやってきた貴女の協力は不可欠だ(来ると思った)。

 彼を隔離し、上手くご機嫌を取りつつ、なんとか情報を引き出してくれ!(丸投げぇ?!)


 別れるつもりだったと、そんな話は聞いてももらえなかった。

 恋人の言うことなら聞くだろう。不埒な誘いもそう苦もないはずだ。そういう臭いを撒き散らして、非正規職員のIDカードを渡される。

 ピンヒールでその足に穴を開けてやろうかと思ったけれど、示された給料と特別手当の額に思いとどまった。


 かくして私は自称『転生魔王』の秘書として働くことになったのだ。

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