第23話 写真

「ねえ、ルーシー、ピエトロの話って?」


 家に着いてから部屋着に着替えて、お茶を淹れたタイミングで聞いた。


「ジェシーってさ、今でもピエトロに未練とかあるの?」

「え? そんなんじゃないけど。なんで?」

「聞きたそうに、ずっとソワソワしてたからさ」ルーシーはニヤッと笑って言った。気づいてて、わざと今まで何も言わなかったんだ。

「だって気になるじゃない、あんな言い方されたら。ピエトロになにかあったの?」

 私は口を尖らせて言った。


「ううん。元気だったよ。私の友だちのグループ展に、ピエトロも参加してたの。展示見に行ったらいたからさ。すっごく久しぶりに会ってきた」

「それで?」

「それで……って、まあ、大したことじゃないんだけど。ジェシーの絵があったよ。最初は写真かと思ってびっくりした。グループ展を機に、古い絵の整理もしてたら出てきたって言ってた」


 ピエトロに何かあったんじゃないかって、いろんな想像をしてたから、少し拍子抜けした。でもって、グループ展に私の絵があったなんて、ちょっと気になる。


「ピエトロって、もう結婚したのかな」と私が聞くと、ルーシーは肩をすくめた。

「知らない。聞いてない。っていうか、本当に未練があるわけじゃないよね?」

「え? ちがうよ。元カレだもん。どうしてんのかくらい気になるでしょ」

「相変わらずだったよ。もう四十代だから、さすがに少しは落ち着いた感じだったけどさ。週三日で高校生に絵を教えてて、あとは自分の絵を描いてるって言ってた」

「ふーん」


「元カノの絵を売るって、どんな心境なんだろうね」とルーシーが聞いた。

「捨てるのもなんだしってことなのかな。売って、スッキリしたかったのかもね」

「かもね。で、見る? ジェシーの絵。写真撮ってきたんだ。ピエトロってあんな絵がうまかったんだね。見直しちゃった」


 そう言いながら、ルーシーが自分のスマホの画面を見せてくれた。


 そこに写っている七年分くらい若い自分の顔を見て、私は息をのんだ。知らないうちに自分の口を、自分の手でふさいでいた。中から積上げるなにかを、あわてて堰き止めるみたいに。


 腰から上のシンプルな肖像画だった。一緒に暮らしたあのアパートの、小さなバルコニーで、笑ってふりかえってる自分と目が合った。いつ描いたんだろう。私の見覚えのない絵だ。


 でも、確かにピエトロの絵だ。パッと見、写真のように見えるけど、写真では決して表せない世界。


 少し間の離れた一重の目。そばかすに小さな鼻。薄いくちびる。もっと美人な顔と取り替えたいと、あのころ何度も願ったファニーフェイスだ。


 化粧っ気のない、幼さの少し残る顔には、独特の危うさがある。でも、勝ち気な目をしていた。あなどっちゃいけないと思わせるような、強い瞳。肩で切りそろえた黒髪が風になびいて、眩しいくらいの白い肌を引き立てている。そのふっくらとしたほおや、桜色のくちびるに、思わず触れてみたくなった。


 美しかった。ピエトロの目から見た私は、たまらなく魅力的だった。


「ジェシー、どうしたの?」と心配そうな顔のルーシーに聞かれて、何か言おうとしても声にならない。涙があふれて止まらなかった。絵を見ただけで自分がこんな気持ちになるなんて、ちっとも予想してなかったから、自分でもびっくりする。


 私が両手で顔を覆うと、ルーシーが私を抱きしめてくれた。ルーシーの胸で、私は声を殺して泣いた。


 愛されていたのに、あんなにも。どうして信じてあげれなかったんだろう。私が理由もなくピエトロを好きになったように、私が愛されることに、理由なんていらなかったのに。

 

 私は、自分のことをつまらない人間だと思うあまりに、ピエトロの気持ちまで、取るに足らないものだと勘違いしてたのかもしれない。ゴミのように捨ててきてしまったのかもしれない。


 ルーシーにすがりつくようにして、私は泣き続けた。泣きながら、ある衝動が胸に生まれるのを感じて、私は静かに決心した。


(つづく)

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