第22話 ルーシー来日

「そのイツキって人、ちゃんと会わせてよね」とルーシーが電話口で言った。


 ルーシーと話すときは、新島さんのことを下の名前のいつきと呼ぶ。英語で会話するとき、名字にさん付けは不自然だからだ。


「うん、もちろん」と私は答える。

「三人で遊園地行こうよ」

「あそこ、週末はめちゃくちゃ混むよ」

「平日に有給取って行けばいいじゃん」

「日本人はそんなに簡単に有給取れないんだよ。新島さんは特に」


 なんて話をルーシーとしてたんだけど、新島さんは「閑散期なんで」とあっさり有給を取ってくれた。


 ルーシーがまた私に会いに来てくれる。今回は三泊四日の滞在で、私の家に泊まる。ルーシーが到着する週の金曜日に、新島さんと三人で遊園地に行くことに決まった。


「ジェシー、会うたびに日本人っぽくなってるよね」金曜日、私の格好を見たルーシーが言った。淡いグリーンの春もののニットに、オフホワイトのスカートと、ペタンコぐつ。お化粧もちゃんとしたし、髪はゆるいパーマでふんわりカールさせている。


「変かな」

「ううん。かわいい。私、日本のファッション好きだもん」そう言うルーシーは、全身買ったばかりのアイテムでキメている。カジュアルだけど高価そうな黒のワンピースにシルバーのサンダル。華奢なブレスレットはプラチナで、ところどころについた小さな石はイエローゴールドだと教えてくれた。


 ルーシーは、ショッピングが大好きで、実は、お金もちだ。


「お金のために働いてるうちは、まだまだよ。不労所得増やして、もっとお金に働いてもらわなきゃ」

 観覧車の中で、ルーシーは新島さんに力説して、新島さんは「はあー!」と絶妙な相づちを打って感心していた。


 私が日本に帰ったあと、ルーシーは商売を始めた。肌に塗ったら日焼けしてるように見える、フェイク・タンのローションを、中国で製造してオーストラリアで売っている。これが、めちゃくちゃ当たったそうだ。二年前に結婚して、今は一歳の女の子がいるけど、旦那さんに子どもをまかせて、中国にちょくちょく出張している。そのついでに日本にもたまに来てくれるんだ。


 遊園地にいる間、ルーシーがさみしい思いをしないように、新島さんは英語で話した。ずっと日本に住んでいる新島さんの英語は、ちゃんと伝わるけれど、すごく流暢というわけでもない。それなのに、たまにルーシーを爆笑させたりしてて、コミュ力の高さに感服する。夕方になる頃には、三人とも笑すぎてクタクタだった。


「あー、楽しかった。イツキに全部おごってもらっちゃったし」

 新島さんと別れて、帰りの電車の中でルーシーが言った。

「そうなんだよ。いつもおごってくれるから、ちょっと申し訳ないんだよね」

「いいじゃない。そうしたいんだから、させてあげれば」

「そうかなぁ」

「まあ、でも、少しかわいそうな人ね」

「え?」

「人の顔色ばっかり見て、生きてきたんじゃないかな。子どものころから」

「どうしてそう思うの?」

「ちょっとね、私と似てる」

「はぁ?」


 思い切り顔をゆがめた私を見て、ルーシーはくっくっと笑った。


「タイプは全然違うけどさ。私もイツキも、人が考えてることが、わりと分かっちゃうほうだと思う。誰とでも、まあまあ、うまいことやれるんだよ」

「いいじゃん、それ。うらやましい」

「でもね、『こういうこと、言って欲しいんだろうな』と思うことばっかり言ってるとさ、ときどき、自分がいなくなっちゃうような気がするんだよ」

「ふーん。」

「ジェシーはさ、そういうことができないじゃない。誰に対しても正直すぎるって言うかさ。イツキは、ジェシーのそういうところが、好きなんじゃないかな。ジェシーといると、イツキはイツキのままでいられるのかもね」

「自分じゃよくわかんないけど、そうだといいな」

「結婚するの? イツキと」

「うん、たぶん。私の今のアパートの更新が来月だから、それを機にイツキの家に引っ越す予定。一緒に住んでみてうまく行くようだったら、結婚しようかなって思ってる」

「イツキみたいに、ジェシーを大切にしてくれる人に会えてよかったね。私もうれしい」とルーシーは笑った。


 そこで、駅に着いた。


「これで、安心してピエトロの話ができるよ」と降りぎわにルーシーが言って、

「え?」と私は聞き返した。

「家に着いてから、話すよ」とルーシーに言われて、私は何か言いかけていた口をつぐむ。今すぐにルーシーに聞きただしたい衝動を必死におさえた。


 呼吸が浅い。胸がドキドキする。もう、とっくの昔に終わった話だ。それなのに、名前を聞いただけでこんなに動揺してしまうなんて、自分でもなぜだかわからない。


 私の家までの道を歩きながら、ルーシーが笑顔でまだ話している。ちゃんと聞こえるのに、何を言ってるのか、ちっとも頭に入ってこない。帰り道の間じゅう、私は笑顔を貼り付けて、ただ相づちを打つのでせいいっぱいだった。

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