第21話 三日月
おでん屋さんを出て、二人で駅のほうまで歩く。
「新島さん、いつもすてきなところに連れてってくださって、ありがとうございます。おでん、すごくおいしかったです」
「はは」と笑った新島さんの声は乾いている。
私は新島さんの大きな手をそっとにぎった。冷え性の私の指とは対照的に、暖かい。私たちは、しばらく何も言わずに歩いた。酔っ払いの声だとか、お店から流れてくるBGMだとか、都会の喧騒の音が聞こえる。四角に区切られた空に、三日月が浮かんでいた。
「僕の仕事って、クライアントさんが何を希望してるのかを理解するのが、一番重要なんです」黙って歩いていたら、新島さんが話し始めた。
「でも、言ってることと本当に思ってることが同じとは限らなくて。技術的な質問の背景に、僕への不信感があったり。無茶な提案をされて、よくよく話してみたら、社内の事情がからんでたりとか。そういうのを、根っこから解きほぐして、解決していくのも僕の仕事なんです」
そう言うと、新島さんは、ひょいと私の手を新島さんの春物のコートの中につっこんだ。最近、だいぶ暖かくなってきたけれど、朝晩はまだ冷える。
「だから、いつも『この人は本当は何を考えてるんだろう』って考えながら会話してるんですよね。職業病みたいなものかもしれません」
新島さんはそう言って、少し笑った。
「川瀬さん、前に言ってましたよね。その場の雰囲気に合わせた会話をするのが苦手だって。僕は、逆かもしれないです。本当の気持ちを言うのが苦手かもです。というか、自分が本当は何考えてるのかとか、よくわからないんですよ。川瀬さんが元気なさそうだったんで、元気になってほしいな、と思ってたのは本当です」
私は、わかりましたと言うかわりに、つないだ手にぎゅっと力をこめた。
「明日、土曜日ですよね」と新島さんが聞いた。
「そうですね」
「仕事、お休みですか」
「はい」
「今日は、僕んとこに泊まってきません?」
「はい」
「え?」
新島さんが驚いた顔で私を見るので、私も驚いた。
「今日は、最初から、そういうつもりじゃなかったんですか?」と私がいうと、
「……えっと、はい。その、そうなったらいいなと思ってました」と新島さんが言った。
「ふふふ」
「実は、家をちゃんと片付けてあります」と新島さんが笑った。
「見てみたいです」と私も笑った。
****
新島さんの家は、2DKのマンションだった。中は天井が高くて、都心にしては十分に広々していた。
部屋に入るなり、コートとバッグをかけてスリッパを出してくれて、「お酒がいいですか? それともハーブティーかなんかのほうがいいかな。あ、どうぞ座ってください。」と甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
大きくて気持ちよさそうなスウェード素材のソファーに座っていたら、カモミールティーと一緒に、ミント味のチョコレートを出してくれた。新島さんは、ウイスキーをグラスに入れて持ってきた。
新島さんと一緒に、チョコレートを食べる。
「合いますか? ウイスキーとミントチョコ。」と聞いてみたら、すかさず
「おいしいですよ。試しますか?」と中腰になるので、「いや、大丈夫です」と私が制する。
「僕のひとくち飲みます?」と聞かれて、私は首を横にふる。
「映画でも観ます?」と聞かれて、私はまた首を横にふった。
なんだか、だんだんおかしくなって、私はふっと笑った。
「新島さんは? 新島さんは映画観たいですか?」
「え? 僕ですか? 僕は別にどちらでも」
「新島さんはなにがしたいですか?」と私が笑いながら聞くと、新島さんは困った顔になって、後頭部に手を当てた。
その困った顔に、キスをしたのは私のほうだ。新島さんが、すぐにキスを返してきて、私はそれを受け止める。ミントチョコの味がする。新島さんも同じ味がしてるかな。
キスをしながら、新島さんの手が私のブラウスのボタンを外す。一個目、二個目、三個目、で手が止まる。続きを促すように、私も新島さんのカッターシャツのボタンに手をかける。そのときになって、避妊具のことが頭をよぎった。
新島さんが、唇をはなして、私を見つめた。それから私を抱きしめると、耳元で「寝室に行ってもいいですかね」とささやいた。それから「その、避妊具とかあるんで。」と、私を安心させるように付け加えた。なんで私が考えてることが、こうもわかっちゃうんだろう。
ベッドのシーツは、洗ったばかりの匂いがした。新島さんは、私が反応するところを探すように、指で、口で、体のいろんなところを探っていく。私が吐息をもらすと、そこをせめられる。腰を浮かせると、背中にある手に力が入る。私を気持ちよくすることに全力を注ぐ新島さんに、なんだか意地悪がしたくなった。
新島さんの耳に少しだけ歯を立てたら、新島さんが驚いて私の顔をみる。びっくりした新島さんの鼻を舐める。くちびるを少し噛む。それから、新島さんの顔、首、肩、とかんだり舐めたりしていたら、新島さんに押し倒された。
新島さんの舌が、やや強引に口の中に入ってきて、私はそれをていねいに吸う。今度は新島さんのほうが、私の顔に鼻をこすり付けたり、胸に顔を埋めたりしてきた。なんだか、犬や猫がじゃれあってるみたいだ。
私はそのほうが好きだ。奉仕されるようなセックスよりも、ずっと。
(つづく)
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