第18話 通勤

 新島さんが指定した喫茶店は、ホテルの一階にあった。通勤途中、電車からいつも見える大きな建物に、今日初めて足を入れる。


 食事はなんだか大ごとな気がして、「まずはお茶でも」と言ったのは私のほうだ。日曜日の午後、新島さんと会った喫茶店は、ふかふかの絨毯に、座り心地のいいイスやソファーが用意してあって、いつも行くカフェよりずっと豪華な空間だった。大きなガラス窓から中庭を見わたせる作りで、満開の梅の花が咲きほこっているのがよく見える。中庭を歩いたら、きっといい香りがすると思う。


 コーヒー一杯でもバカみたいに高いんだろうな、なんて庶民的なことを考えてたら、

「ここ、実はそんなに高くないんですよ。普通のカフェより百円増しくらいです。音がうるさくなくて、じっくり話ができるから、商談に使ったりするんです」と新島さんが言った。

 それから、「おっさんみたいなチョイスで申し訳ないですけど」と笑って付け加えた。


 普段はコーヒー派だけど、こういうところのティーカップが見てみたくて紅茶にした。出てきたのはアンティークっぽい花柄のティーセットだった。カップが紙のように薄くて、口を付けたときの感触が上品だ。ソーサーに小さなクッキーがサービスで付けてあって、思わず顔がほころぶ。


 コーヒーをたのんだ新島さんと、この喫茶店いいですね、とかお仕事はお忙しいですか、とか当たり障りのない話をしていたら、新島さんが、例の、のほほんとした笑顔で言った。


「川瀬さん、僕と結婚を前提にお付き合いをしていただけませんか?」


 ……はい? 思考が何秒か停止した。


 食事に誘うくらいだから、私のことを気に入ってくれたんだろうとは思ってたけど。結婚を前提って、いきなり過ぎるっていうか、今時こんな台詞を言う人がいるんだ。……いやいや、そうじゃなくて。


 頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになり、無闇にまばたきを何度もしていたら「大丈夫ですか?」と新島さんに聞かれた。


「あ、はい。大丈夫です。いや、でも、その……」


 しどろもどろに言葉を探してる私を、新島さんはおかしそうに見つめている。


「えーと、その、なんで、私なんかと」


 言ってしまってから、これじゃあまるで、ほめ言葉を釣ってるみたいだなと恥ずかしくなって、ティーカップに視線を落とした。


「なぜって、川瀬さんは頭も性格も抜群にいいし、顔もすごくかわいいからです」


 ……はい? 頭も性格も容姿もせいぜい十人並みですが。と百パーセントの自信を持って言えるんだけど、これを言ったら「そんなことありません」となぐさめるパターンから、また誉めちぎられそうなので、それは言わずに抑えた。


「川瀬さん、大丈夫ですか?」今度は少し真剣に聞かれた。あまりの衝撃に思考が一瞬タイムワープしてたみたい。たぶん、かなり長いこと固まってたんだと思う。


「あの、あまりに突然で……」

「そうですよね」

「結婚詐欺だったら、すごいテクニックだなと……思って」最後のほうは小声になった。


 新島さんが吹き出した。ただでさえ新島さんの声はよく通る。その新島さんが、大きな体を揺らして大声で笑った。さすがにまわりにも聞こえて、複数のお客さんと、店員さんがこちらをチラ見する。


「いや、ごめんなさい」新島さんは、まだ笑いをこらえたまま目尻の涙をぬぐった。

「川瀬さんって、本当に次に何を言うかわからない人ですね」

「……そうでしょうか」

「確かに、いきなりでしたね。すみません」

「いえ」

「うさんくさい回答でしたよね」

「え? あ、まあ」

「本心なんですけど、そうだな。本当の理由はもう一つあるんです」

「……はあ」

「これ言うと、気分を悪くされるかもしれないんですけど」


 なにそれ。怖い。私の顔が一気にこわばる。


「そういうところです」新島さんはクスクス笑いながら言った。

「え?」

「川瀬さんって、自分をとり繕うのがめちゃくちゃ下手ですよね」


 ……はい? 目を見開いたから眉毛が上がって、口もOの字に開く。


「ほら、また」新島さんがまた笑う。よく笑う人だ。

「僕が面接に行って、初めて会ったときも『え? イメージと全然違う』と驚いた顔をしていましたよ。顔だけじゃないな、体じゅうで。しかも『うさんくさい人をイメージしてた』とか言って。あれは笑いました」

「あ、ごめんなさい。私……」

「いやいや、謝ることはありません。僕のほうこそ、川瀬さんから、電話やメールではすごく褒めていただいてたんで、『営業うまいな』とか思ってたんです。だから、実際お会いしてみて、この人はちゃんと本当のことを言う人だと思って。すごくうれしかったんです」

「……はあ。私って小さい頃から、集団に馴染むのが苦手で。その場の雰囲気に合った会話とかするのが、あんまり上手にできないんです。社会人になって、少しはマシになったつもりだったんですけど」

「いや、いいじゃないですか。僕、人の顔色とか空気読んで、言ってほしそうなことをつい言っちゃうときあるんです。その場はやり過ごせますけど、不誠実ですよね」

「え? でも、新島さんって気取らなくて、すごく自然体な印象ですけど」

「それは川瀬さんが、そういう僕がいいって思ってるからです。正直な僕のがいいでしょう? うさんくさい僕じゃなくて」


 新島さんにニコニコそう言われて、私も笑ってしまった。


「いろいろ理屈を並べましたけど、あんま理由とかないんじゃないですかね、人を好きになるのに」


 そう言われて、初めて私は顔が熱くなった。


「実は、今、すごい汗かいてます」と言う新島さんの顔も赤い。


「僕、もう三十五になるんで、結婚して子どもがほしいんですよ。恋のかけ引きとか、できればパスしたいんです。川瀬さんは、今独身だと伺ってますけど、その、僕のこと、そういう相手として考えてもらえないですかね?」

「はあ……」

「嫌ですか?」

「嫌ってわけじゃないですけど……。でも、結婚とか考えるには、あまりにお互いを知らないと思うんですけど」

「じゃあ、早くお互いを知るために、まずは一緒に住みませんか?」


 ……はい?


(つづく)

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