第2章
第16話 六年後
「『絶対に会いに行くね』って、みんな言うでしょ? 知ってるかもしれないけど、あれ、95%が社交辞令だから。もしかしたら、旅行のついでに会いに来てくれる人が一人か二人いるかもしれないけど。でもね、私のは社交辞令じゃないから。本当に会いに行くからね」
オーストラリアを去る前、ルーシーは飛行場で私をぎゅっと抱きしめて、そう言ってくれた。果たして、ルーシーの言ったことは本当だった。びっくりするくらいたくさんの人が、私との別れを惜しんで「絶対に会いに行く」って言ってくれたけど、本当に会いに来てくれたのは、クラスメートが二人、旅行のついでに来てくれたのと、ルーシーだけだった。ルーシーはあれから三回ほど、私に会いに来てくれている。
日本に帰るのがあんなに怖かったのに、帰ってみたらふつうにいい国だった。母国を「ふつうにいい国」だなんて思う感覚は、外に出ないと持てなかったかもしれない。この国は、安全で、便利で、清潔で、みんな親切だ。
集団になじむのが苦手で、どこか少し浮いてしまうのは相変わらずだったけど、私以外にもそんな人はたくさんいるって気づいた。みんなどこかしら少し変わってて、別にそれで困らないんだ。大人になるって、そういうことを許容できるようになることなのかもしれない。
オーストラリアではあれだけ苦労したのに、日本に帰って就職活動したら、すぐにいくつも仕事のオファーが来た。自分のことを価値がない人間だと思って落ち込んでいたのに、仕事のオファーが立て続けに来たとたん、すっかり自信を回復した私は、つまり幼かったんだと思う。
バイリンガルを専門に斡旋する人材コンサルティング会社に就職して、もう六年になる。人事の仕事なんて、子どものころから一度も憧れたことなんてなかったけど、就職してみたらすごくいい職場だった。もう辞めようかと思うようなことも、もちろんあったけど、今のところ仕事が好きだ。
****
「どんな大恋愛も、死にたいくらい苦しい失恋も、過ぎてしまえば、どこにでもあるよくあることなんですよねぇ」
会社の帰りに立ち寄った居酒屋で、コタニがそんな台詞を口にした。コタニ、こと小谷由香は同期の娘だけど、私よりも三つ年下だ。タメ口でいいと何回言っても、私が年上だからという理由で敬語をやめてくれない。見た目はふわっと可愛らしいのに、中身は体育会系だ。
「コタニ、もしかして、また別れたの?」
「昨日の夜です……」
「……そりゃ大変だったね」
「今回は絶対うまく行くと思ったんですよ」
「けっこう続いてたのにね」
「五ヶ月です。最長記録かもしれません」
「何があったの?」
コタニはお酒が飲めないのに、失恋するといつも私を居酒屋に誘って、私に事の顛末をぜんぶ話す。コタニと知り合って六年になるけど、何回こうやって話を聞いてあげたかわからない。モテるからすぐに恋人ができるけど、誰とも半年以上続いたことがないんだ。
「私、どっか悪いんでしょうか?」なんて涙目で聞かれたら「そんなことないよ。そのうちきっとコタニにぴったりの人が現れるよ」といつも答える。一応、本心ではあるんだけど、最近はさすがに「なんでこんなに長続きしないんだろう」と疑問がわかなくもない。何年も一緒の職場で働いてるけど、そこそこ優秀で、ものすごく善良なコタニに、なにか欠陥があるようには思えないんだけど。
「私、今、ほんとうに辛くて。今度こそうまく行くと思ってたから。結婚したいって思ってたんです」
「そうだね。言ってたよね」
「絶対に二度と恋愛なんてできないって思うんですけど、私ってすぐに人を好きになっちゃうから、あっという間にまた次の人ができるんです、きっと」
「……そうかもね」
「もう、疲れちゃいました。こういうの繰り返したくないです」
「まあまあ、今は傷を治すのが先だよ。あんまり考え込まないで、何か好きなことでもしなよ。次の人で最後になるかもしれないじゃん? 今回だって五ヶ月も続いたんだし」
がっくりうなだれるコタニをなぐさめながら、私だって人のことは言えないなと思った。
ピエトロと別れて、私も毎日泣いてたし、体重が五キロも落ちた。でも、だんだんちゃんとご飯が食べられるようになって、新しい仕事に奮闘してるうちに、もう泣くこともなくなった。そのうち新しい恋人ができて、ピエトロのこともあまり思い出さなくなった。
あんなに死ぬほど辛かったのに、振り返ってみたら、どこにでもよくある失恋だった。
その新しい恋人とは続かなくて、三ヶ月もしないで別れた。その後も、何人かの人と付き合って別れた。三十手前で付き合い始めた人とは、最初から結婚するつもりだった。二年ほど付き合って、そろそろ……という話を本格的にするようになり、「やっぱり、まだ結婚したくない」と言われて、先月、別れたばかりだ。
彼と別れて悲しい気持ちよりも、あてが外れたという気持ちのほうが強くて、そのことがショックだった。
「運命の相手」なんて信じてはいないけど、大恋愛だなんて、人生にそう何度もあるものじゃないかもしれない。仕事にしても、恋愛にしても、私は自分から欲しいと思うものがあまりない。流されて、なんとなく好きになっていることが多い。あれほど強く、欲しいと思った相手は、後にも先にもピエトロだけだった気がする。
かわいい顔でしょんぼりしているコタニを元気付けながら、私にもコタニにも、今度こそピッタリの相手が見つかりますようにと願った。
(つづく)
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