第12話 罪

 ルーシーは、生まれたとき「静」という名前だった。正しい発音じゃないけど、あえてカタカナにするなら「ジン」と読む。「『静』を日本語読みにしたら、私の名前と一緒だよ」とルーシーに教えてあげたことがある。私の名前は「しずか」と平仮名なんだけど。


 ルーシーは中国の広東省で生まれて、まだヨチヨチ歩きのころ、両親と一緒にオーストラリアに引っ越してきた。その当時、ルーシーは田舎に住んでいたから、近所にアジア人が一人もいなくて、小学生のクラスでは、ルーシーが唯一の有色人種だったそうだ。


 以前、「中国語話せるの?」と聞いたら、ルーシーは首を横にふった。

「両親は広東語と北京語が話せる。私もせめて北京語が話せるようにって、無理やり勉強させられてたけど、全然ダメ。簡単な会話だったら理解はできるけど、話すのは無理。」

「えー、もったいない」と私が言ったら、ルーシーは苦笑いをした。

「お母さんにもそう言われる。でも、とにかく普通のオーストラリア人になりたかったからさ。もう少し勉強しとけばよかったとか、思わなくもないけどね」とルーシーは言っていた。


 日本語の名前は、英語圏の人でも発音できる。でも中国語の名前は、英語圏の人には、ほとんどの場合正しく発音できない。そのせいか、オーストラリアに住む中国人は、みんな英語名を持っている。


「今じゃ家族からも『ルーシー』と呼ばれてるから、『ジン』と呼ばれるのは、お母さんから怒られるときだけ」とルーシーは笑って言っていた。


 私にとって、ルーシーはルーシーで、「アジア人」でも「中国人」でもなかった。そのどちらでもあるんだけど、そういうことは、私にはあまり重要じゃなかった。あえて言うなら、私と初めて仲良くなってくれた「オーストラリア人」だ。だから、ルーシーが、私とルーシーのことを「アジア人」と括ったことに、私は少し驚いた。そして、私が「アジア人の女」だから、心配してくれたことにも。


 ルーシーから言われた言葉に、私はどうしようもなく傷ついた。でも、どうして傷ついているのか、うまく説明できずにいる。ピエトロに関する話は、ぜんぶ、昔のことだ。殺人とか窃盗とか、罪を問われるようなことをしたわけじゃない。たくさんの女性とセックスをしたことも、結婚してすぐに離婚したことも、他人にとやかく言われるようなことじゃないと思う。


 ルーシーにピエトロのことを「犬みたいなヤツ」だなんて言われて、ショックだったのか。あるいは、ルーシーが私のことを「男のいいようにされてる被害者」みたいに思っているのが悲しかったのか。モヤモヤする頭の中で、そのどれも違う気がしていた。


 携帯を見ると、ピエトロからの着信が数件あった。かけ直そうとして、メールにしようと思う。メールを打ってたら、なんて言っていいかわからなくて、私は携帯の電源を切った。

 

 自分の部屋に引き上げるとき、ルーシーが「ごめんね」と言った。私は肩をすくめて「おやすみ」と言った。


「おやすみ」とルーシーが言うのを聞いてから、私は部屋のドアを閉めた。自分のベッドに横たわって目を閉じると涙があふれてきた。今ここに、ピエトロにいて欲しいって思った。それと同時に、ピエトロにまた会うのが、ものすごく怖かった。


(つづく)


****


お題は「罪」でした。

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