第11話 ルーシーの爆弾発言
翌日、ルーシーが眠っている間に、細々とした用事を済ませて、買い出しに出かけた。晩ご飯を作っていたら、ルーシーがシャワーを浴びる音が聞こえてきた。さっぱりした顔のルーシーがリビングに入って来た時は、すでに夕方の6時を回っていた。
「また、一日を無駄にしちゃった。」とルーシーが言いながら、電気ケトルでお湯を沸かし始める。
「おはよう、ルーシー。気分はどう? 大丈夫」
「大丈夫。昨夜はそんなに遅くならなかったし。ジェシーは?」
「私はぜんぜん元気だよ。誰かさんと違って、そんなに飲まなかったもん。」と私が言うと、ルーシーは「ぶふっ」と気の抜けた笑い声を出した。
晩ご飯は、手作りのニョッキと、トマトとバジルのソースにした。どっちも、ピエトロに教えてもらったレシピだ。それに簡単なサラダを付ける。デザートは、人気のパティスリーで買ったレモンタルト。
「ワイン買ってあるけどいる?」昨日、あれだけ飲んでたから、あんまり飲まないほうがいいけどなぁと思いながら聞いたけど、「いる。」と即答された。まあ、そう言うと思ってたけど。
「学校はどう?」だとか、「これおいしいね。」だとか当たり障りのない話をして、和やかな時間がすぎる。
「ねえ、ピエトロとなにがあったの?」やっとのことで、その短い質問を口から押し出せたのは、ワインのボトルがほとんど空になったころだ。
「パーティーで会って、酔った勢いでセックスした。もう、何年も前の話だけど。」とルーシーがあっさり白状した。
「それで?」
「あいつ、いろんな女とヤリまくってたよ。私も人のこと言えないけど。」
「……それから?」
ルーシーの言っていることは、聞いてうれしいようなことじゃないけど、要領を得ない。ピエトロが、昔誰とセックスしてたとしても、今の私には関係のないことだ。それがわからないほど、ルーシーは子どもじゃない。
ルーシーは私を見つめてから、ため息をついた。
「もう昔のことだし、今は落ち着いたのかもしれないけど。あいつ、もう三十代半ばでしょ? ジェシーより十歳くらい年上じゃない? 気持ち悪いよ。いい年して、若い女ばっかり狙うなんて。」
「私は、そういうふうに思わない。」
私がそうきっぱり言うと、ルーシーはダイニングテーブルに頬杖をついた。どうやって私に説明しようかと思案しているように見える。
ピエトロは、そんな人じゃない。きっとルーシーは何か誤解してるんだ。そう思ってるのに、胸の端のほうから、ジワジワと不安な気持ちが広がっていく。墨を一滴、水に落としたみたいに。
「ねえ、ジェシー。私がいろんな男から言い寄られるのはさ、簡単にヤレそうだって、思われてるからだよ。実際にそうだし、私はそれでいいんだけど。でも、ジェシーは知ってたほうがいい。アジア人の女って、それだけで甘く見られるんだよ。」
アジア人の女。その言葉に胸がざわつく。
「世の中には、簡単にヤレそうだから近寄ってくる、犬みたいなヤツもいっぱいいるし、ただ酒が飲めると思って、パーティーに来るセコいヤツもいっぱいいるんだよ。」
「ピエトロは、そんな人じゃないよ。」冷静に断言したつもりだったのに、声がふるえた。にわかに、胃の奥のほうでなにかがせり上がって、首から上が熱くなっていくのがわかる。一瞬、ルーシーの顔をひっぱたいてやりたい衝動にかられた。
「私も、あなたとは違う。」代わりに、そんな言葉が出る。それと同時にルーシーの表情が一瞬で硬くなって、私は自分の失言に気づく。
ごめん。喉まで出かかったその言葉と一緒に、涙が出そうになって、私は唾を飲んだ。結局、「ごめん」という言葉は、ルーシーが言ったいろんな言葉と一緒に、澱のように体の中に沈んでいった。
深呼吸をしてから「ピエトロはアジア人の女じゃなくて、私が好きなんだよ。」と言った。泣かないように言葉を選びながら。そのことに、不安なんてなかった。私が愛されているというよりは、ピエトロはそういう人だからだ。彼は、誰のことも一括りにしない。
「ピーター、結婚してたよ。」
「え?」
頭に登っていた熱が一気に冷めた。
「アジア人の女と。その娘が永住権取れる前に離婚したって。その娘が、ピーターのこと最低男だって言いふらしてた。けっこうみんな知ってる話だよ。」
心臓がバクバクする。アジア人の女。離婚。最低男。ルーシーの口から出てくる単語が、頭の中でぐるぐる回って、どんどん体の中に溜まっていく。
「ジェシーは、お人好しだから心配なんだよ。無防備で。犬みたいなヤツと付き合って欲しくないの。一回寝ただけの女の誕生日パーティーにまぎれこんだり、ピエトロとかって名前変えたりして。気味が悪いよ。」
無防備。犬みたいなヤツ。一回寝ただけの女。言葉が、どんどん溜まっていく。こめかみや胃のあたりに、肉体的な痛みを感じる。
ふと、ルーシーが泣きそうな顔をしているのに気づいた。ルーシーをこんな顔にさせるなんて、私はどんな顔をしてるんだろう。憐れまれている。そう認めたとき、体の中で重なっていた数々の言葉が、くっきりと染みになった気がした。洗っても決して取れないような染みに。
(つづく)
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