第3話 幻想

 明け方、私はヘロヘロの意識で体を引きずるようにして、歯もみがかないままベッドに入った。ピエトロは帰った、らしい。記憶が断片的でよく覚えていない。


 起きたらもう夕方で、キッチンに行くためにリビングを横切ったら、「ジェシー、元気?」とルームメイトのルーシーが声をかけてきた。


 ルーシーは私と同じくらい魂が抜けた様子で、リビングのソファーに腰掛けている。


「絶好調」目がまだ半分しか開かないまま、起きたばかりのダミ声でそう答えると、ルーシーが「ぶふっ」と気の抜けた声で笑った。


 昨日のパーティーの後で、家中すごい有り様だ。ビールやワインの空き瓶や空き缶、スナック菓子の残骸なんかが、リビングやキッチンはもちろん、バスルームにまで散乱している。


 とりあえず片付けは後回しにして、なにか食べようとキッチンを物色する。食パンにピーナツバターをぬって紅茶をいれ、リビングにノロノロと持って行くと、「ここ座る?」とルーシーがソファのはしっこに移ってくれた。


「元気?」ソファに座りながら、今度は私がルーシーに聞く。

「かろうじて生きてる」とルーシーが言うので、私たちは二人して「くっくっく」と笑う。

「昨日、お誕生日おめでとう」と私が言うと

「ありがとう」とルーシーが言ってウインクした。


 ルーシーとは大学で知り合った。私が元カレと別れて引っ越し先を探していたとき、同じタイミングでルーシーもルームメイトを探していたので、とんとん拍子にルーシーと一緒に住むことになった。


 ルーシーは細かい気配りができるわりには、細かいことはあんまり気にしないという、ルームメイトとしては願ってもない性格だったけれど、唯一の難点は無類のパーティー好きなことだ。人のパーティーにもよく呼ばれていたけど、自分の家(つまりは私の家)でも、月に一回は人を呼んでハウスパーティーをしていた。


 ルーシーのお兄さんのお下がりの、ターンテーブルと数百枚のレコードがリビングに置いてあり、パーティーになると、ルーシーの友だちが代わりばんこにDJのまねごとをした。パーティーの夜はいつも大きな袋入りの氷を買って来て、バスタブに敷き詰めた。するとあっという間にみんなが持って来たビールや白ワインでいっぱいになる。大量のお酒は、翌朝にはぜんぶ空き瓶や空き缶になった。


 私はパーティーがあまり得意じゃなかった。ルーシーがハウスパーティーを開く夜は、適当にあいさつだけして自分の部屋に引きこもり、耳栓をして寝るという、およそ若者らしくない行動をとっていた。でも、ピエトロに会ったあの夜は、ルーシーの誕生日パーティーだったのだ。さすがに部屋に引きこもるのはやめて、参加することにした。


 初めて会う人たちと適当な会話をし、お酒を飲んで、音楽に合わせて踊った。どんなに笑ってはしゃいでいても、スッと頭が冷える瞬間がある。そして気づいてしまう。私は一人でいるときよりも、大勢の人たちと一緒にいるほうが、さみしいってこと。


 大音量の音楽や人の笑い声を後にして、私は裏庭に出た。芝生の上に寝転がって空を見たら、心底ホッとした。そのとき、ピエトロが話しかけてきたのだった。


「昨日のパーティー楽しかった?」と私はルーシーに聞いた。

「楽しかったよ。でも正直、飲み過ぎてあんまり覚えてない。ジェシーは?」

「私も、かな。楽しかったけど、記憶があいまいで……」ピエトロという人と出会って、一晩じゅう一緒に過ごした。あれは幻想だったんじゃないかと思うくらい現実味がない。


「ねえ、ルーシー。ピエトロって知ってる?」

「え? ピエトロ?」

「そう、ピエトロ」

「うーん。わかんないや。昨日は知らない人もいっぱい来てたし」

「そう」

「なんかあったの? その人と」

「裏庭でキスしたんだけどさ」

「え? え? 知らなかった。ちょっと、聞かせてよ」ルーシーがにわかに元気になる。

「それがさ、私すっごくハイだったから、連絡先とか何も聞かなかったの。ラストネームだって知らない」

「また会いたいの?」

「うーん。それはよくわからないんだけど。ラストネームも知らない人とキスしちゃったのかーって思って」

「あはは。そんなのどうってことないよ。私なんて、ファーストネームも知らない人と寝たことあるよ」

「うげ」

「あーあ、早くステディーの彼氏がほしいなぁ。もうパーティーはこりごり」

「それ、先月も同じこと言ってたね」


 社交的で人気者のルーシーと、私は不思議とウマが合った。私は別に人見知りなわけではなくて、グループが苦手なのだ、ということにやっと気づいたのが大学に入ってからだ。ルーシーはパーティー好きだったけど、一人の時間がどうしても必要な人でもあった。私たちはお互いに距離を取るのが上手で、その距離を大切に思っている。


 ピエトロとのことは、あまりにも現実味がなくて、もうあれっきりかもしれないな、と思っていた。


(つづく)


 


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