第4話 マジョリティ

 ピエトロのことは、なんとなく気になっていたけど、探し出してまで会おうとは思ってなかった。「また会えるかな」なんてほんの軽い気持ちで思っていたら、思いのほか早く再会した。あれから一週間後のことだ。


『課題が終わらなくて、今日いけなくなった。ごめんね』


 携帯にそんなメッセージが入ってたのを、バイトが終わってから気づいた。その日のバイトは早番で、午後からクラスメイトと一緒に絵画の展示会に行く約束をしていたんだ。展示はその日が最終日。せっかくだから一人で行くことにした。


 絵画の展示会と言っても、その名も「The Museum of Particularly Bad Art Exhibition(とりわけ下手なアートの博物館)」という冗談みたいな展示会。古着屋さんのオーナーが趣味で始めたイベントで、見るからにダメーな素人の絵画の数々を、一室に集めて展示してある。最初は内輪で始めたのが評判になり、年に一回開かれるようになったらしい。 


 便器に名前を書いただけのものが、コンセプチュアル・アートとして認められたくらい、アートにルールはない。ないはずなんだけど。


(うわー。これ、すっごいダメさ加減。もう、間違いなく、酷い。)


 展示会の壁に並べられた絵画を見て、私はいっそ感動してしまった。つい吹き出してしまうような、下手くそなアートの数々。水彩画、アクリル画、油絵、ペンシル画。被写体も人物、静物、情景とさまざま。これだけバラエティーがあるのに、みなそれぞれ「これは酷い」て思えるくらい下手なんだ。下手さにもこんなに個性があるんだと、私はしみじみ感心した。


 私が特に気に入ったのは、ある女性を描いた油絵。ものすごく、時間がかけてあるように見える。ひしひしと被写体への情熱が伝わってくる。でも色使いの趣味の悪さとか、筆使いの下手さとか、素人目で見ても確信できるくらい、ブサイクだ。努力と意気込みが伝わってくるぶん、女性の不自然なほほえみに哀愁が増している。


(このブサイクさが、なんかかわいい。一生懸命にスベってて、胸が痛い。ああ、これが感動してるってこと? これってアート?)なんて思考が錯綜しかけたとき。


「しずか」と耳元で名前を呼ばれて、私は「ぎゃっ」と小さな悲鳴を上げてしまった。


 ふり返ると、そこにいたのはピエトロだった。ピエトロは私の反応におかしそうに笑いながら「ああ、やっぱりしずかだ。ごめんね。おどかして」と言い、本当のイタリア人みたいに、左右のほっぺに一回ずつ、あいさつのキスをした。キスと言っても、ほっぺとほっぺをくっつけて、口でチュって音を出すだけなんだけど。


「また会えてうれしいよ」と笑顔で言うピエトロに「私も会えてうれしい」と言った。そのとたん、一気に体温が上がって、ほおが熱くなった。「会えてうれしい」だなんて、ただのあいさつなのに。自分の体の反応にびっくりして、今度は心臓が早鐘を打つ。だって、ピエトロの顔を見たら、本当に、心の底からうれしくなったんだ。自分でもなぜかわからない。


「ひとり?」とピエトロに聞かれて私はうなずく。

「一緒に行こうって言ってた人が来られなくなっちゃって。ピエトロは?」

「僕もひとり。毎年この展示見に来るんだけど、今日が最終日って気づいてあわてて来た」

 くしゃりと屈託なく笑うピエトロの目尻に、シワがあるのに気づく。

 明るい時間に見るピエトロの顔は、前に会ったときよりもずっと大人に見えた。


「この絵、最高だね」ピエトロが、例の油絵を指して言った。

「皮肉で言ってる?」本当はまだ胸がドキドキしてたんだけど、冷静さを装って聞いた。ピエトロがニヤッと笑う。

「『みんなが美しくなければ、誰も美しくない』ていう言葉を思い出した」

「ふふ。なにそれ」

「アンディー・ウォーホルの言葉」

「ずいぶん、八方美人な格言」

「意外とシニカルだね」

 ピエトロが、心底うれしそうに言った。


 みんながそれぞれに美しい、なんていう言葉に救われるのは、そうじゃない現実の裏返しなんじゃないかって思う。「ただ自分である」ことで、迫害を受け、排斥されてきた人たちは星の数ほどいる。


 かつて差別の対象だったイタリア移民は、今やもうマジョリティだ。中国人、ギリシャ人、ベトナム人、インド人。いろんな国から多くの移民を受け入れてきたこの街は、新しいマイノリティを受け入れる度に、古い移民がマジョリティになっていった。イス取りゲームみたいに。そのうち、大概の人種は珍しくなくなった。


 私がこの街に来たころには、日本人は差別の対象じゃなかった。でも、英語ができないのはアウトだった。マジョリティかマイノリティか。インかアウトか。線を引くのは、安心したいからだ。自分は存在していいのだと。自分は正しい側にいるんだと。線を引く材料は、いつだって理由もなく更新されてゆく。だから、新しく来た人間は、早急に語彙を増やさなくちゃならない。言葉だけじゃなくて、流行りの服や、人気のあるお店や、みんなが飲むお酒の種類なんかを。私はあなたの仲間なんだと安心させるために、共通項を一つでも増やさなくちゃならない。マジョリティに入れてもらうために。


 ここにあるアートは、みんな「アウト」だ。展示物をジョークの一種として嘲笑しつつ、なんだか心が暖かくなるのは、下手くそなアートに、みんな自分を重ねてるんじゃないかって思う。誰にも「アウト」なところがあると思うんだ。「アウト」な個性がこれだけあることに、自分だけじゃないって安心する。「アウト」を笑って愛することで、少し勇気が出る。


 ピエトロと私はそれぞれ、館内で最も酷いと思う絵を決定して、発表し合うことにした。それぞれ決めた絵を見て「最高だね」と爆笑した。


 館内のチラシに「下手なアートの祝福」と書いてあった。「祝福」てなんていい言葉なんだろうって思った。

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