第12話 雲に透ける月明かり 中

「お父さん、絶対目立ったらダメだからね。お母さん服装ちゃんとお願いね」

 恵は玄関で靴を履きながら何度も念を押した。住村は誰も見ていないテレビの音量に負けないように娘に返事をした。ドアが開く音がして妻の陽子が戻ってきた。

「行ったか」

「お父さんのことを何回も念押ししてましたよ」

「そんなに心配なもんかな。俺そんな年でもないだろ?」

 住村は自分の頭を書きながらフォローも求めた。

「娘っていうのはそんなものなのよ。私なんて父親が見に来ることを拒否したくらいなんだから」

「だとしてももう少し言い方ってものがあるだろうに」

 住村は陽子に文句を言うが、立ち上がってタンスの前で服をとっかえひっかえ何かを探す。

「服っていったって何でも同じだろ? いっそスーツでよければ楽なのに」

 会社勤めになってからめっきり自分の服を買うことがなかったせいで、タンスを開けても大学生の時に着ていた古ぼけたものしか入っていない。陽子とデートしたときにはまだ社会人なり立てでその時の服で何とかなっていたのだが、今見るとどこか黄ばんでしまっている。防虫剤の匂いが部屋に充満する中でしばらく服を引っ張り出しては別のものを探した。結局、何の機会で買ったのはよかったけど、そのままほとんど着ることもなかったポロシャツにジャケットを羽織っていくことにした。学校まで徒歩で移動することを考えるとジャケットはいらないかもと思ったけれど、貧相な肩と細い腕をさらすのが何かためらわれた。それでも鏡に写った姿は中々様になっているように見え、住村は満足して陽子にその姿を見せた。

「どう? これなら恵も恥ずかしくないだろ」

 ちょっとためて陽子に話しかけると、彼女はテレビから視線を外して住村の方をみた。

「もうちょっと何とか。ほら、あなたあの時のシャツあったでしょ。私の家に遊びに来た時に買ったシャツ。あっちのほうがマシよ」

「そうか? でもあれさ。ずっと着てなかったから日焼けしちゃって」

「あれ二人で買いに行って私がちゃんと目利きしてあげたのにダメにしちゃったの?」

 陽子は半ばあきれるように言ったが、顔は笑っている。

「すまんがちょっと助けてくれないか」

「いいわよ。あ、早くしないと時間がないわね」

 陽子はテレビを消して立ち上がると住村の服装を手伝ってくれた。洗濯は陽子が担当していたが、独身時代に持っていたものはお互いが管理してそれに口を挟むことはなかった。そのせいでタンスの肥やしになっていた住村の昔着ていた服については陽子が目にすることはめったになかった。

「あら、懐かしい。うわっ、これ一度掃除しないとやばいわね。せめて洗濯に出してくれたらちゃんと洗ったのに」

 住村は今更ながら何か恥ずかしくなって何も言えなくなった。それでも服を選んでいる陽子の邪魔はしないようにと取り出した服を受け取って部屋の端に積み上げていく。

「うん、これなら。そうね。ジャケットはあれでいいから重ねてごまかせるし。はい」

「それでいいよ。それじゃ早速着替えないと」

 陽子は住村に何か言おうとしたが時計を見て、あせって服を着替えようとしている姿を見ると何も言わず溜まっている服をかき集めて洗濯機のほうへと持っていった。

 住村は陽子に感謝しつつ家を後にした。玄関での陽子の横顔が何か含んだような顔をしていたが、明日の日曜日にでも向こうの希望に沿うようにして埋め合わせをしようと思った。学校までは十分ほど。休日の軽い運動にはちょうどいいくらいくらいの距離である。学校までの道のりは今まで運動会や入学式の時に何回か通っているから迷うことはない。それに歩道もきちんと整備されていて坂道だとはいえ危険はどこにもないように見える。今の家に引っ越すときにそのあたりのことも考慮に入れて選んだだけあって住村にとっても歩きやすい道であることは確かだった。ふと、周りを見ると住村と同じように参観しに行く父親らしき姿を見かけたが、住村は彼と自分を見比べて自分がまだ充分に若いことに自信を持つと、上に羽織っているジャケットのしわを伸ばすようにして胸を張って歩いて行った。

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