第1話 伊崎 part1

かつて女優として一時期名を馳せた鏡悠華は、この劇団……というか、俺たちにとって、目の上のたんこぶのような存在だ。


演出・脚本を手がける団長が、今回突然その元女優を使うと言い始めたのが始まり。昔からの知り合いらしく、俺たちが演目を聞かされてから内輪で固まり始めていた配役は、それによって崩れた。


…シークレット公演については、いつものメンバー以外を連れてくる事があるので、仕方ないと思う面もあったが、なんで、よりにもよってあの女なんだと皆からの批判があった。


確かに当時飛び抜けた才能で人々の目を集めた天才だった。しかしそれと同じくらい高飛車で傲慢な、芸能界の嫌われ者。当時を知っていれば誰でも覚えている。


性格が悪かろうがなんだろうが、実力は確かだったのに、それでも嫌われ叩かれた理由は、よくある話で、既に決まった相手がいる俳優との浮気である。破局の原因になった上に反省の色はなし。本当に嫌な女。


それで、イメージが大事な今の時代、そういう俳優は弾き出されて、仕事がなくなって落ちぶれて、世間が名前も忘れた今になって、うちの団長が引き入れた。実力は間違い無いから。


彼女に割り当てられた役は、出番こそ一場面だけだが、主人公に大きな影響を与える人間。……そんなスキャンダル持ちを登板させるなんて、どうかしている。本番までの練習期間で少しでも不調や、他の演者に迷惑をかけるならおいだしてやろうとしていた。


しかし、そんな思惑は分かっていたのか、そもそも彼女がミスをする事なんて無くて、当日を迎えた。

その間、元トップ女優と若くして言われていただけある実力を目の当たりにした。噂で聞いていた様な身勝手さや嫌な感じは全く無くて、正直勝手な思い込みだったとすら思った程だった。



それが当日になって、化けの皮を剥がした。


「だから嫌だったのに…!」

「流石元、女優ですね。すっかり騙されましたよ!」


急に連れてきた女子学生を舞台に、しかも自分の役をやらせると言い切った時、咄嗟に俺たちは口にしてしまった。


俺たちが心の底から憧れて付いてきた団長から、世間の認識なんて関係なく実力を認められているあの女に対して、心のどこかで思っていた事。


嫉妬と劣等心を隠す事はもう出来なかった。


みっともないなんて分かってる。

それでも、この舞台を壊されるのは許せない。一度落ちた評判は、簡単には戻らないから。それを身をもって知っているくせに。


「前からこうするつもりだったんだろ…!!アンタは、俺らの劇団を壊しにきたんだ!」


溜め込んでいたものが吐き出せた。皆が思っていることだった。

俺は正しいことを言っている。


「…で?どうするの?団長」


……正しい筈なのに、彼女には、俺たちの苦情も拒絶も何も響いていない。


『そんな事はどうでもいい』


言っていないのに、そう聞こえたのは多分、彼女にとって、俺達はどう足掻いても"エキストラ"でしか無いからだ。ただの風景。……それだけ。


「その役は、お前にくれてやった。お前のモンだ。好きにしろ。

……ただな、準備も度胸も経験も何もねえガキのお遊戯にしてくれちゃ困る」

「お遊戯にしない為に、私が居るのよ」


団長とあの女の話は続く。


「どうする気だ?」

「彼女が出るのは過去の回想場面。

なら、そこだけ私が相手役を務めてもいいでしょう?」

「…お前が?」


つまりそれは、本番当日に回想シーンだけではあるものの主役をやるという事だ。前代未聞。シークレット公演でも、主役などの主要な人物はあくまでも劇団所属者がやってきたのだ。そんな事、団長が許さない。


そう考えている俺達など意に介した様子もなく、あの女は言った。


「当日リハになっても、私を飲み込んで主役の存在感を出すどころか、張り合うことすら出来ずに霞んだのだから、一場面限り、私に主役を寄越しなさい」


俺は思わず口を噤んだ。他の皆がそんな事ないと食ってかかるが、それを言われてしまうと、黙るしかなかった。


どんなに虚勢を張って、

自分はこの劇団の中で1番の役者だと自負していても、

練習もリハも一度も彼女と対等な芝居は出来なかった。しかも今回は、声劇だというのに。あちらは初の演目で、こちらは何度もやっている事なのに。


姿勢が違う。

声の飛び方が違う。

感情の乗り方が違う。


より多くの観客に届き、聴き入らせるであろう語り。


単純に、実力の差だった。

それは相手役をして間近で感じた俺には、ただの現実だ。



「……随分な横暴じゃねえか。お前の連れてきたあの小娘が、お前と張り合えるって?」

「……さあ?」


は?


皆が思わず聞き返して黙った一瞬。測っていたかの様に、黙っていた制服の女の子があの女に聞く。


「貴女は私にやって欲しいんだね?」

「そうよ」

「分かった」


じゃあ、行ってくるね。

……軽いノリの様に、その子は舞台に踏み入れて、用意された席に座った。悶着の間に、だいぶ話が進んでいた。


俺は本来あの女がやる筈だった役の独白パート終わりに登場する事になっている。


あの子も何なんだ。どうしてそう悠長に構えて、緊張した様子もなく、周りからの好奇と同舞台上の役者からの不審や観客の品定めの視線に耐えていられる?


そうしてあの子の番が来てしまった。


「『愛しい人。愛しいひと…』」


その声は、年齢特有の高い声で、けれど鉄を打つ様に響くわけではなく、馴染む様に会場全体に届く声だった。まるで、すぐ目の前にいるかの様に。

歌の様に柔らかく、演じている人物の感情によって揺れる。


華やかに、しなやかに。

明るさに、陰りに。

子供のように、親のように。


二面性がありながら、一貫して芯は強く、脆く。その少女像を見せつけられた。


団長やあの女が完成形としてイメージしていたものが今更分かった気がする。


幕袖からのため、表情は見えない。……見えないのに、あの少女が無邪気に笑って、目を閉じて、穏やかな表情を浮かべたのが"理解(わか)った"。


観客の目は、耳は、否応なしにあの少女に釘付けだ。正しく、魅入ってしまった。

舞台袖の俺たちですら、観客達と同じように。


出番まであと、大凡半ページ。…だというのに、俺にはカケラも想像がつかない。あの少女から観客の目をこちらに向けさせる演技は。

回想から連れ出せるだけの演技が自分に出来る気がしない。


気付けば、俺は台本をあの女に渡していて、あの女があの少女と渡り合う姿を、ただ見ていた。


スポットライトが消える。場面が切り替わり、俺の出番だ。…だというのに、足が動かない。あの演技の後では、自分の存在など霞んでしまう。台無しにしたのはあの女じゃない。俺が台無しにしてしまう。


「いいから、行ってこい」

「……団長」


恐怖、羞恥、不安が身体の中をめぐる。

格上に散々吠えたそのプライドは、そんなもんか?とそんな俺を焚き付ける。


「せめて幕が降りるまでは、虚勢だろうが胸張ってろよ」

「はい……!」


結論から言えばシークレット公演は成功し、なんとか幕を閉じた。

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Re Act 猫側縁 @nekokawaen

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