第1話 悠華

"やっぱり、間違っていなかった"。


それが、あの子の朗読を見て思った事。


"あの日"から、ずっと探して、やっと見つけた。雑踏の中のあらゆる音を差し置いて、私や通行人たちの足を止めさせた、その声。…いえ、その声に籠る感情が、私の芯のような部分を振るわせた。


「"やっと、見つけた"」


見つけたあの日、運命を感じた。

さっきの図書館での読み聞かせで、再認識して、……そして今。本来私がやる筈だった役を、声だけとはいえ、この場の役者の誰よりも冷静に演じ、誰よりも観客を物語に落とし込む実力を目の当たりにして、確信した。


私を、私の居場所に戻してくれるのは、この子しかいない。


「……まさか、見つかるとは思わなかった」

「久城(くじょう)さん」


私をこの劇団のシークレット公演のキャストにと招いたのは、久城さん……この劇団の団長だった。ずっと前にこの人が脚本・演出を手がけた作品に出たことがあったの。

それ以降、何かと声をかけてくれる。…私の名前が世間で聞かれる事がなくなってからも。


「怒ってるのかしら?」

「さあな。あの役はお前にやらせる為に用意したモンだ。お前が自分の意思で誰かにやらせるのは、別にいい。

…多少、複雑ではあるがな。

それと同じくらい、いいモン見してもらった。お前が演技指導してたなら、まあ納得が…「演技指導なんてしてないわよ?」は?」


何なら名前も知らないわ。と告げると、さらに困惑したみたい。


「私はね!名前も知らないあの子をたまたま見つけたから、バイト終わりを待って急いで連れてきたのよ!!」

「拉致同然というか、…拉致じゃねえか!!」

「そうとも言うわ!……あの子と対張れる自信があるなら、そろそろ彼の出番ね」


私の視線に気付いた久城さんも、舞台袖で立ち尽くして動かない彼を見る。

あの表情はよく知ってる。

圧倒的な才能を前にして、自分の拙さを、矮小さを自覚した顔。勝負をする前に、負けて諦めた顔。


「……うちの看板なんだが。何てことしてくれてんだよ」

「やぁねぇ。私はなにもしてないじゃない」


私はね。


練習中も、潰そうとはしなかった。実力を見せてあげはしたけれど、元々変な対抗心があったのか、今日までめげずに食らいついてきてたもの。


「……久城さん。私、本当にこの場面しか出る気無いから、彼のフォローよろしくね」

「お前がそんなこと言うなんてな」

「ええ。…私相手で潰れなかったくせに、まだまだど素人のあの子を見て戦意喪失するなんて、気に食わないもの」


彼に近づけば、黙って台本を私に差し出す。


「貴方の席に置いておくから」


返事を聞かないまま、本を受け取って私も席に座る。嗚呼、こんなにも舞台の上は心地いいのに、私が出てきても誰も気付かずにあの子だけを見ているのが不快。きっとこれは、嫉妬というものね。


長く他の醜く強い感情に隠れて、忘れていたわ。

存在感で、演技で、人の心を奪い合う、芝居という名の対戦。その高揚感。声だけなのが悔やまれるけれど、それでも、久しぶりのこの感覚をくれた事には、この子に感謝したい。


存在してくれた事にも、当然感謝はしているけれど。


スポットライトが私の真上にも降りる。


「『待って、行かないでくれ、私の天使…!』」


あの子…いいえ、"彼女"が柔らかく、余りにも優しく笑う。


"彼女"にとって、主人公は、

想いだけは通じ合っていたはずの愛しい人で、

自身の大切な人であり、

同時に自身にとって大切な人の命を奪った人。


愛していいのか分からないのに愛おしくて、

憎い筈なのに悲しみと疑問だけが苦しい程に押し寄せて、

自分すら、信じられなくなって、狂う。

壊れてしまった彼女に、最後に残ったのは、愛しい人への、愛。


「『…深く沈んで、貴方を待つわ』」


うら若い少女の声に、不釣り合いな落ち着き。それこそ、この役に必要な完成形。


久城さんは、私の役だから私の好きにしろと言ったけれど、多分私が連れてきたのが大学生より上の年頃の子だったら、絶対に交代は許さなかった。

そして、この子の演技が本物じゃなければ、例え一場面とは言え、主役を私がする事は許さなかった。


(本当に、この子を見つけられてよかった)



「え?そんなに酷かったの?」


回想シーンを終えて袖に下がると、久城さん始め、皆が黙り込んだままあの子を見ていた。…ステージではプロも顔負けの貫禄で演じておいて、周囲の反応を見るまでは気付かない。


……本人は意識していないけれど、アレが自分の全力ではないと解ってるんだわ。でなければ、こんなにケロッとして自分の演技が不足だったか問いかける訳がない。


「お疲れ様。中々いい声と演技だったわ」

「あ。お疲れ様です〜。いつものバイトの時と同じ感じでやれる事だけしたんですけど、良かったんですか〜?」

「ええ。言ったでしょ。中々いい声と演技だったって」

「ありがとーございまーす」


……私に大人しく付いてきた時から思っていたけど、頭のネジ1、2本抜けてそうな子ね。


「…最後の挨拶ね。行くわよ」

「はぁーい」


劇が終わったみたい。拍手もいい感じだから、まあ、失敗という訳ではないでしょう。


この子を連れて観客の前に出ると、拍手が更に大きくなった。

終始堂々としてたくせに、音の大きさにビックリしてるのがおかしくて少し笑っちゃった。


「素敵でしょう。芝居を観た後の観客の姿って」

「…そうですねー」

「…まあ、貴女はバイトで朗読に慣れてるから、もうあまり何とも思わないのかもしれないけれど……。


あの観客達のキラキラした表情は、貴女が与えたのよ。貴女は、あの人たちに、あの人たちが知らない世界を"魅せた"の」


とても凄くて、素敵なことよ。と続けると、この子はもう一度、そうですか。と返した。



「あ。あの〜、今更なんですけど、名前何ですか〜?」


…まあ、そうね。知ってるわけないわよね。黙ってついてきたからもしかしてと思ったわけじゃ無いんだからね。


「……鏡悠華よ。貴女は?」

「水見透華(みずみとうか)です。私頑張りましたー?」

「ええ。期待以上よ」

「それはよかったー。じゃあ1ついいですか〜?」

「あら。何?」

「帰りの交通費ください〜」


彼女はとんでもない成功を他所に、定期区間外なんですよ。と、少しだけ困ったように口を尖らせた。


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