桜の下 3
「ここが研究室が集まっている建物。さっき通った講義棟とは少し離れているの」
工学部・工学研究科というプレートが掲げられた建物は古めかしく、階段の踊り場と廊下の中庭側に向かってしつらえられた窓しかないためか、中に入るとひんやりとしていた。踊り場を抜けると、上からぱらぱらと降ってきていた声が急に大きくなった。
「っ・・・仕事だから仕方ないだろ!」
「ぜったい、君とはいや!」
淡い水色のシャツにシックなダークネイビーのスーツ、紅いシャツにコーデュロイの黒ジャケット。階段を昇り切ると、二人の男性が立っていた。
感情を露にした言い合いは学生のようだったが、確かここの先生たちだ。関わる相手がほとんど一番の青春を過ごす学生だから青さを吸収するのか、とにかく若い。この世界は実年齢がよくわからないが、y 先生よりはそれなりに上のはず。同年代と見える二人は、色味も雰囲気も対照的だ。きちっと手を入れた髪と柔らかな形を描いた髪。
僕の横のポニーテールが小さな仁王立ちをつくって二人を見上げた。
「ん。邪魔になってるな」
「ごめんね」
二人がすっと同じ端へよける。そこは一緒によけるんだ、ちゃんと。と僕は呆気にとられた。
「君、例の編入生だね。いいなあ、y 先生に案内してもらって」
紅いシャツが一歩、僕でなく y 先生に近づいた。シックなスーツがすかさずきっと睨むが、紅いシャツは気にしない。なるほど。ここは早く抜けた方がよさそうだ。
軽く二人へ会釈して待ちきれず先導するように急ぐと、y 先生は微笑しつつ肯定も否定もせず会釈してついてきた。姉さんがするのと似た行動。残された二人の男性は階段横で音を立てそうに明らかに別れ、違う方向へ背を向けた。先ほどの会話は、あれで片が付いたのか。
「待って」
少し先で角を折れるところへ、シックなスーツは追ってきた。
「これ、収めといて。俺が行くとややこしい」
y 先生の耳元へ寄せた声がこちらへ小さく漏れる。抱えていた封筒から厚紙のような小さな紙片が差し出される。素早い。こちらに有無を言わせぬ速さ。空間を切るように差し出されたそれを、y 先生は考えるまもなく自らの腕に挟んで体へ寄せた。細い腕からは少し紙がはみ出ている。
スーツは僕を見下ろすと「あんまり手数はかけるなよ」と訓戒を述べ先へ行った。
「書庫、寄っていこうか」
y 先生はふっと笑った。笑った感じが儚げで、それ何ですか、と好奇に駆られて発するつもりだった言葉を僕は飲み込まなければいけなかった。
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