三人の後悔
「私とシルヴァをクリスお嬢様の教育係に……ですか?」
「本気で言っているのですかクオーラ様?」
ある日私とシルヴァは、クオーラ様に突然呼び出されたかと思うと、クオーラ様から驚きの提案をされた。
「ええ、本気も本気よ。コルトとシルヴァなら適任だと思うの」
「お言葉ですがクオーラ様。私共は貴族ですらありません。王族の子女であらせられるクリス様に、私共が何を教えられるのでしょうか……」
何事も真っすぐに話すシルヴァが、思ってる事をそのままぶつける。
私は元々冒険者として活動をしていた。
ある時、とある山賊討伐の依頼を受けた時に、王国騎士団三番隊と共闘をすることになった。
無事に討伐が終わった時に、三番隊隊長の女性から、
「あなた、かなり腕が立つわね。もしよかったら三番隊に入らない? ちょっと実力試験を受けてもらわなくてはいけないのだけれど、あなたの実力なら問題なく突破できるわ」
と、言われた。
私自身、別に冒険者としての活動にこだわりがあったわけではなく、自分のこの剣が、誰かの救いになればいいと思い活動していたので、三番隊隊長からの勧誘を受けることにした。
そして、私は王国騎士団三番隊の候補生として、首都ハルモニカに実力試験を受けに訪れていた。
一次試験、二次試験を特に問題なくクリアし、残すは三次試験と最終試験となった時に、三番隊隊長の女性から呼び出された。
何か問題があったのか、試験に合格できなかったのか心配になったが、どうやらそうではなかったみたいだ。
隊長と一緒に、とても美しい女性が現れた。
「はじめまして。クオーラ・グラツィオーソ・ハルモニカです。あなたが試験を受けている所を拝見させていただきました」
……グラツィオーソ・ハルモニカ?!
私は思わずそう叫びそうになったのを、ぐっとこらえた。
それは王族を意味する名前だった。
慌てて片膝をつき、頭を下げる。
「おっお初にお目にかかります。
「まあまあ、そんなに硬くならないで。気楽にお話しましょう?」
私がガチガチに緊張して何とかひねり出した言葉を、クオーラ様は見かねたのか、優しく遮った。
その時に見たクオーラ様の優しくも美しい笑顔に、私は言葉を無くしてしまった。
そして、私はグラツィオーソ邸に招かれ、話をすることになった。
庭園にあるガゼボで、クオーラ様と二人で話をする。
三番隊隊長は、グラツィオーソ邸の前まで来ると、私一人を残して、
「では、クオーラ様。私はこれにて失礼いたします」
と、簡単な挨拶をしてさっさと去って行ってしまった。
二人と言っても、ガゼボの周りに護衛と思われる女性が何人かはいる。
「さて、このままあなたとのんびりお茶をするのも良いのだけれど……」
そんな事を言い出すクオーラ様。
……それは止めて欲しい。
私の胃がもちそうにない。
「あのっ! 私に何か御用があったのではありませんか?」
美味しそうにお茶を飲んでいるクオーラ様を見ていると、本気でそう言ってそうな気がするので、慌てて要件を聞くことにした。
「そうね。びっくりさせちゃったわね。では、コルトさん。単刀直入に」
そう言った瞬間、朗らかな笑みを浮かべていたクオーラ様の雰囲気が一変した。
表情は変わらず、笑顔を湛えている。
「私の護衛になって欲しいの」
風の音も、草木が揺れる音すらも無くなり、まるで私とクオーラ様以外がいなくなってしまったのではと錯覚するほど、クオーラ様の声だけがはっきりと聞こえた。
私の体は考える事すらなく椅子から立ち上がり、片膝をつき、深く頭を下げ、
「仰せのままに、クオーラ様」
迷いなくそう答えたのだった。
私がクオーラ様の護衛の任につくとほぼ同時期に、私と同じようにクオーラ様から護衛になるように言われた者が二人いた。
一人はシルヴァ。
彼女は宮廷魔術師見習いとして、首都ハルモニカで活動をしていたそうだ。
ただ、彼女の魔法使いとしての才能が周囲から妬まれ、そこに、彼女自身の魔法使いとしての戦い方の考えや、率直な物言いが災いし、周囲から孤立していたところを、私と同じで、クオーラ様から護衛にならないかと言う話を持ちかけられたそうだ。
宮廷魔術師見習いとしての活動にも支障が出始めて、醜悪な妬みを隠さない同じ見習いと、保守的な考えで凝り固まった宮廷魔術師連中に嫌気がさして、自分の身の振り方を考えていた時だったので、これ幸いとクオーラ様の話を飲んだそうだ。
そしてもう一人。
カルハは、とある貴族の家の護衛を任されていた一人だったそうだ。
魔法剣士としての腕前もさることながら、物腰の柔らかさなどから、奥方から気に入られて、側仕えをしていたらしい。
だがある時、奥方の主人から不貞をはたらかされそうになった。
何とか事を荒立てないで拒否をしたにもかかわらず、奥方にはバレてしまった。
奥方は事情を察し、今まで通りカルハに側で仕えるようにと話したが、主人の方が逆上。
奥方が庇うもむなしく、カルハは追い出されてしまったそうだ。
そんな折、元々奥方と顔見知りであったクオーラ様が事情を知り、カルハを勧誘。
カルハもこれ幸いと、クオーラ様の護衛に就くことを決めたのだとか。
こうして私達三人はクオーラ様の下で出会い、奇しくも年齢が同じだったため、すぐに打ち解け、友人となった。
私達は護衛の任だけでなく、己の鍛錬にも手を抜くことをしなかった。
剣士、魔法使い、魔法剣士と、戦い方こそ違うが、私達三人はお互いを友とし、ライバルとして、日々鍛錬を続けた。
自分で言うのもなんだが、周囲から一目置かれるほどの存在にはなっていたと思う。
私達三人は時短くして護衛から、側仕えになるようにと、クオーラ様からお言葉を頂くことになった。
それからしばらく経ったある日。
クオーラ様のご息女であらせられる、クリスティリアお嬢様が魔法を使ったという話しが、お世話をしていたメイドからもたらされた。
クオーラ様と共にクリスお嬢様の様子を確認したシルヴァが、
「間違いなく、風の適性が見られます」
「……そう。クリスが魔法を使えるなんて……」
「魔法は家系に関係なく、突然現れる個人の才能です。なので予想することは不可能です」
シルヴァがクオーラ様に、坦々と事実を告げる。
告げられた事実に思う所があるのか、クオーラ様はしばらくの間黙り込んでしまった。
「……わかりました。コルト、シルヴァ。あなた達二人にお願いがあります」
しばらく何か考え込んでいたクオーラ様が、真剣な面持ちで私達を見る。
「何でしょう?」
「クリスの教育係になって欲しいの」
突然のクオーラ様からの申し出に、私とシルヴァは驚いた。
「私とシルヴァをクリスお嬢様の教育係に……ですか?」
「本気で言っているのですかクオーラ様?」
「ええ、本気も本気よ。コルトとシルヴァなら適任だと思うの」
「お言葉ですがクオーラ様。私共は貴族ですらありません。王族の子女であらせられるクリス様に、私共が何を教えられるのでしょうか……」
流石にシルヴァも、クオーラ様の話に疑問を投げかける。
「あなた達二人には、剣術と魔法をクリスに教えて欲しいの」
私達二人に教えられることはそれくらいしかないので、当たり前と言えば当たり前の事なのだが、クオーラ様の顔は真剣そのものだった。
「実はね? コルトには、前々からクリスに剣術の指南をしてもらおうと思っていたの」
「……それは初耳です」
「それは当然よ? 今初めて誰かに話したのだもの。折角一流の剣士が私の近くにいるのだもの。教えない手はないじゃない? 魔法も、ね?」
真剣な顔つきから一転、笑顔でクオーラ様はそう言うが、これは本気で言っていると、私達はそう思った。
クリスティリアお嬢様は、私達三人をとても気に入ってくれていたはず。
私達が教育係になる事を、クリスお嬢様は喜んでくれるだろうか?
「コルトとシルヴァが私の先生になるの?」
「そうですよ、クリスお嬢様」
「カルハはー?」
「カルハはクオーラ様の護衛のままですよ」
「そっかー。コルトもシルヴァも寂しくなーい?」
「いや、毎日顔を合わせているから、寂しくなることはないな」
「わかった! それじゃあこれからよろしくお願いします! コルト先生! シルヴァ先生!」
クリスお嬢様は、私とシルヴァが教育係になる事をとても喜んでくれた。
嫌がられたらどうしようかと結構不安だったのだが、私の心配しすぎだったみたいだ。
まもなくして、私とシルヴァからの訓練が始まることになった。
最初は素振りをするなど基礎を軽く教え、体を鍛えることを私は目標とした。
最終的には、剣術の基本的な立ち回りができ、護身術程度に身を守れるようになれればいいと考えていた。
シルヴァも同じような考えだったらしく、座学もほどほどに、遊び感覚で魔法の練習を行っていた。
だがしかし私達の目論見は、早々と崩れ去ることになる。
クリスお嬢様には、剣術の才能があった。
教える事をどんどんと吸収していき、その成長速度は私を驚かせた。
剣術だけじゃなく、魔法使いとしての資質も計り知れないものがあると、シルヴァが言った。
どうやら風の適性だけではなく、火の適性も少なからず見られるのだそうだ。
クリスお嬢様は、風の基本魔法を容易く会得し、下位初級の魔法も問題なく習熟していて、下位下級の魔法を教えることになるのは、時間の問題だろうと言っていた。
ある日、私達はクリスお嬢様の現状の実力を確かめるために、実技試験を行うことにした。
「お嬢様は自分の思った通り、自由に戦ってみてください」
「私の思ったとーり?」
「そうです。距離を取って魔法を使うもよし、接近戦を挑むもよしです。私が相手になりますので、よく考えて戦ってみてください」
「がんばるぞー!」
そう意気込むクリスお嬢様はとても可愛らしかった。
「では、私はこの位置から始めますので、お嬢様はお好きな場所からどうぞ」
「はーい!」
元気よくお嬢様は返事を返し、私から結構離れた位置で木剣を構えた。
「クリス様、そこでいいんだな?」
審判役のシルヴァが最終確認を取る。
「シルヴァ先生、大丈夫です!」
それに即答するクリスお嬢様。
「クリスちゃーん、頑張ってねー!」
「カルハ見ててねー!」
実技試験という事で見学に来たカルハの応援の言葉に、クリスお嬢様は手を振って答える。
「では、始めっ!!」
シルヴァの掛け声と共に、実力試験が始まった。
私はまず、その場から動かずに様子を見る。
「エアショット!」
やはりクリスお嬢様は、遠距離から魔法を使って戦う事を選んだようだ。
私はその場から軽く半歩程右にステップする。
すると程なくして、風の塊が通り過ぎたのを感じた。
風属性の魔法は、視認し辛いものが多い。
エアショットも、当然のことながら見えない。
その優位性を活かして、クリスお嬢様は次々と風の塊を放ってくる。
その年でこれだけの魔法が操れること自体驚きなのだが、少し違和感を覚えたので打って出ることにした。
風の塊を躱しつつ近づいていく。
魔法自体は目には見えないが、クリスお嬢様の視線、呼吸、かざしている左手の位置、他あらゆるものを観察し、タイミングを読む。
一気に近づくこともできるけど、じりじりと追い詰めるように距離を縮めていく。
お嬢様が、私の接近に合わせて少し距離を取り出した。
やはりおかしい。
勿論、魔法使いの定石として相手との距離をしっかり保つことは、別に間違いではない。
特に前衛に守られていない魔法使いの戦い方としては、合格だろう。
だが、シルヴァはこんな魔法の使い方を教えていない。
戦いとは流動的なものである。
例え一対一での戦闘でも、複数人での戦闘でもだ。
その時その時の状況判断を正確に行い、最適な立ち回りをする。
そして、不利な状況下でも魔法使い自らが積極的に動くことで、打開策を導きだす。
それがシルヴァの考えだ。
他の魔法使いは皆、守られつつ足を止め魔法を行使する戦い方を信奉していた。
確かに戦術の一つとしては間違いではないが、あくまで戦術の一つ。
全ての事象に対応できるかと言えば、そんなわけがない。
だが現実は、一対一の状態でも、足を止めて魔法を行使することこそが魔法使いだという考えが根付いている。
まあそれに異を唱えるシルヴァは、保守的な連中からしたら煩わしい事この上なかったのだろうが。
今、クリスお嬢様がとっている戦い方はまさにそんな戦い方に近かった。
そして、
「一対一で、相手が近接戦主体の剣士の場合、距離を詰められれば終わりですよ!」
魔法と魔法の合間を見計らい、距離を一気に詰め、木剣を振るう。
流石にまだ戦略を考えさせることは早かったかと思ったその時だった。
私の振るった木剣の軌道が大きくそれた。
「?!」
「やーっ!」
恐らく狙っていたのだろう。
攻撃がそれた際に生じた隙を見逃さず、鋭く踏み込み、横一線に木剣を振るうクリスお嬢様。
「――っ!!」
私はその一撃を、木剣で受け止めようと身構えたが、不意に嫌な予感がして、大きく後方へ跳び、回避した。
回避した私の目前を、見えない空気の塊が通り過ぎていくのを感じた。
「えーっ?! 今の躱せるのーっ?!」
驚いたように話してはいるけど、クリスお嬢様の顔は笑っている。
「……お嬢様……今のは……?」
「ふっふっふー! コルト先生とシルヴァ先生から習っている事を、同時にできないかなーってずっと思ってたの! それで、思いついたことがあったから、こっそり練習してたの!」
そう言って、再びしっかりと木剣を構え直すクリスお嬢様。
「いくよ! コルト先生!」
そう宣言すると、クリスお嬢様は高らかに詠唱を始めた。
「風よ、鋭き風よ! 我が剣に集え! 何者をも切り裂く刃となせ! エンチャントウィンド!」
木剣とクリスお嬢様の体が、ほんの少し薄緑に輝きだした。
そして、とてつもない速さで私との距離を詰めて、木剣を振るった。
私はその剣を受けることなく、全てを躱す。
驚くことに、クリスお嬢様が剣を振るうと同時、風の塊が放たれていた。
(……これは!!)
クリスお嬢様は、違う魔法を同時に二つ発動していた。
これは、シルヴァにすら出来ないことだった。
(まさか魔法剣士としての才能もあったとはっ!!)
魔法使いと魔法剣士との違いは、自らが魔法を纏って攻撃するだけではない。
最大の違いは、同時に二つ以上の魔法を行使できること。
それが、魔法剣士としての最低限の条件なのだ。
シルヴァは、限りなく速く連続して魔法を発動することはできる。
ただ、あくまでも続けざまにだ。
シルヴァですら不可能なことを、クリスお嬢様は私達の目の前で、やってのけたのだ。
「はあ……はあ……」
「お嬢様、お行儀が悪いですよ?」
「はあ……はあ……。もう……動けないよ~ぉ……」
地面に手足を放り出して、仰向けに倒れているクリスお嬢様。
結局クリスお嬢様は、エンチャントウィンドを使った初動はまずますのものだったが、魔法を使う事と、剣を振るう事を同時にすると言う複雑極まりない動作に集中力がついて行かず、剣は鈍り、魔法の発動もおぼつかなくなった。
それと同時に体力と魔力が尽きそうになり、あえなく行動不能となった。
「お嬢様、お手を」
寝そべるお嬢様に手を伸ばす。
「えへへー。おっとっと! コルト先生だっこー!」
私の手を取って勢いよく立ち上がったクリスお嬢様だったが、流石に体はふらつくようだった。
「はいはい、甘えん坊ですね」
口ではそんな事を私は言ったが、内心はそれどころではなかった。
嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて、涙がでそうだった。
私とシルヴァが教えたことを、そこからさらに自らが考え、魔法剣士としての才能を開花させたのだ。
この子が、可愛い可愛い私達の教え子だと、大きな声で叫びたくなるくらいだった。
その日から教育係にカルハも加わり、私達は三人でクリスお嬢様の面倒を見ていくことになった。
クリスお嬢様は、日に日に目に見えて強くなっていく。
私達教育係三人は、いつかはクリスお嬢様に追い越される日が来るだろうと、その日を楽しみにし、よりいっそう習熟に励んだ。
そして時が過ぎ、クリスお嬢様は十二歳になった。
まだまだ幼さを残してはいたが、顔立ちがほんの少しクオーラ様に近くなった気がする。
これは将来美人に育つだろうと、三人で話していた。
この頃から、クリスお嬢様の父君であらせられるカルセード様の方針で、縁談が持ち込まれるようになった。
クリスお嬢様は王族であり、自由恋愛などほとんど認められない。
ただ、私達三人も悪かった。
年頃の王族の御子息たちは、礼儀作法などと言った教育を受けてはいるが、時間があれば年齢の近い子達と集まって遊んでいる。
「えー? コルト先生たちと一緒にいる方が楽しいもん」
クリスお嬢様のそんな言葉にかまけて、同年代の御子息たちと遊ぶ機会を奪ってしまっていた。
もし、私達がもっと遊ぶ機会を作っていれば、もしかするとクリスお嬢様は友をもっと作ることができ、やがて恋をして、婚約者候補を御作りになられたのだろうか?
私達はそんな事を考え、深く反省していたのだった。
ただ、私達は何もわかっていなかった。
王族の中でも、グラツィオーソ家はここ何代かは女児しか生まれていなかった。
そのせいで、発言力がかなり低迷していたのだった。
現国王であらせられるモリーオン陛下と、カルセード様のお二人が、そのことに危惧を抱いていたことを、その時の私達は知る由もなかった。
訓練もほどほどになり、クリスお嬢様が縁談を受けるようになっていくと、徐々に縁談を怖がるようになっていった。
私達はカルセード様の御言いつけで、クリスお嬢様の縁談には一切かかわれないようになっていた。
そのせいで、どうしてクリスお嬢様が縁談を嫌がるようになっていったのか、私達はわからなかった。
「えっとですね、カルハ先生。何か気持ち悪い人が多いんです。ねっとりした視線を送ってくる人とか、胸元とか凝視してくる人ばっかりで……。何だか私怖いです……」
「ごめんなさいねークリスちゃん。カルセード様のお言いつけでー、私達は縁談の事には一切口出しできないのー。きっとー、クリスちゃんがとても魅力的だからー、お相手の人がちょっと興奮しちゃっているだけじゃないのかしらー?」
「私は魅力的なんですかー?」
「本当よー? 将来クオーラ様と同じくらいー? ううん、それ以上に美人さんになるかもしれないわねー?」
「お母様以上だなんて、カルハ先生褒めすぎですよー。えへへー。わかりました! 私、もうちょっと頑張ってみます!」
王族は結婚し、子をなすことも役目の一つ。
少なくともそれはわかっていたから、私達は励ますことしかできなかった。
もし、縁談の席に同席させてもらえていたら、私達はきっとこんなことは言わなかっただろう。
縁談に選ばれていた権力者は、王族と言うさらなる権力を欲し、クリスお嬢様を利用することしか考えていない者か、まだまだ幼い姿態のクリスお嬢様を、犯し孕ませる事しか考えていない、醜悪な者達ばかりだったそうだ。
クオーラ様はクリスお嬢様の身を案じ、縁談を断るようすぐに手を打とうとしたが、モリーオン陛下も深く関わっていたため、口を閉じるしかなかった。
私達は、日に日に元気をなくしていくクリスお嬢様を、見守る事しかできなかった。
そして、クリスお嬢様の運命を大きく揺るがす事件が起こってしまう。
この日は縁談の後、夜会が開かれることになっていた。
主役は勿論クリスお嬢様。
列席者の多くは、いわずもがな……だ。
この時ばかりは私達三人も、クリスお嬢様の護衛として側にいることが出来た。
そしてようやく、クリスお嬢様が弱っていく理由を目の当たりにした。
見た目の美醜もあるが、内面が醜悪極まりない連中ばかりが集まっていた。
そのことに気づいて私達は愕然とした。
クリスお嬢様は無礼にならないよう、気丈に振舞っていた。
それでも、かなり無理をしているのは見て取れた。
「お嬢様、あまり顔色が優れないようです。お部屋に戻られてはいかがですか?」
「でも……」
クリスお嬢様も、この夜会の主役が自分であることを理解して、無理をしようとしている。
「もうそれなりに時間はたった。カルセード様の顔に泥を塗ることはないだろう」
「そうそう。クリスちゃんは、私達にいっぱいしごかれて疲れているってことにしましょー」
シルヴァもカルハも、クリスお嬢様の心配をして、部屋に戻るように促した。
「そんなこと言ったら、先生達が怒られませんか?」
「ちょっとぐらい怒られたところで、まったく問題ありません。お嬢様は私達の事より、ご自分の体調の事を考えてください。いいですね?」
「……ありがとうございます。コルト先生、シルヴァ先生、カルハ先生」
私達の言葉に、少しホッとしたような顔をしたクリスお嬢様は、簡単に事情を説明して、寝所に向かおうとした。
私達もそれに続こうとした時だった。
「お前達三人に少し話がある。こっちにこい」
カルセード様に呼び止められた。
「お父様、コルト先生達は私の護衛なのですが……。そのお話は後日ではダメなのですか?」
クリスお嬢様は不安そうな視線を、私達へ送る。
「大事な話しなんだクリスティリア。私の護衛をつけるから、お前は気にせず部屋で休みなさい」
「わかりました、お父様。それではおやすみなさい。コルト先生、シルヴァ先生、カルハ先生、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ、クリスお嬢様」
私達三人は、この時の事を生涯後悔することになる。
この時私達の一人でも、クリスお嬢様と一緒に寝所に向かっていれば、事件が起こることは無かっただろう。
カルセード様は私達に、クリスお嬢様に訓練をすることを辞めろと仰られた。
ただ、この教育方針を決めたのはクオーラ様だ。
そして、私達の主人もクオーラ様で、カルセード様ではない。
クオーラ様もこの話を了承しているのかと聞くと、途端に挙動がおかしくなった。
その様子を見た私達は、激しく嫌な予感がした。
「キャアアアアアァァァァァァァァ!!!!」
その予感が的中したように、クリスお嬢様の悲鳴と、ガラスが割れる音が聞こえて来た。
私達三人は、慌ててクリス様の下へ向かった。
そこで見た光景は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
部屋中のあちこちに切り裂かれた跡が大量にあり、窓は砕け散っていた。
ベッドの上で、両手を前に突き出し、服が乱れた状態で震えているお嬢様。
そして、血まみれになって壁にもたれ掛かって倒れている、見知らぬ男。
「お嬢様! 大丈夫ですか?! 何があったのですか?!」
「先生……、先生っ! 私っ、……私っ!!」
ガタガタと震えながらも、何かを訴えようとしているクリスお嬢様。
私はそんなお嬢様の服装が、乱れに乱れていたことで、頭が真っ白になりそうだった。
「……襲われたのですかっ?!」
私の言葉に、嗚咽を漏らし、涙で顔をグシャグシャにしながら、必死にクリスお嬢様は頷いた。
「コルト、こいつ生きているぞ」
「運が良いわねー? それとも、クリスちゃんが手加減したのかしら―? 致命傷ではないわねー」
「そうですか。……そうですか! それはそれは僥倖!! 話を聞いた後、私手ずから微塵に刻んで殺してやる!!!!!!!!」
生きていると聞いた瞬間から、今すぐにでも切り刻んでやりたい衝動を必死で抑えていた。
「コルト、落ち着きなさい」
そんな私を戒めたのはクオーラ様だった。
「ですがっ! お嬢様は……、そのっ、純潔を……」
クリスお嬢様の前で言うのは憚られたが、クオーラ様に現状を認識してもらおうと、小さく口にする。
そんな私の肩をポンポンと軽く叩いて、クオーラ様はクリスお嬢様の傍へ寄る。
「クリス、安心なさい。あの男性は生きています。あなたは人を殺していませんよ」
「良かった……。殺してしまったんじゃないかと……、なんてことをしてしまったんだろうと……」
「大丈夫、大丈夫よ。あなたこそ怪我はないの?」
「は、はい。服こそ少し破かれましたが、それだけです。コルト先生! あのっ私まだ純潔だから、大丈夫ですよ!」
クリスお嬢様は、襲われたことを怖がってはいたが、そんな事より、相手を殺してしまったのではないかと言う恐怖の方が強かったようだ。
純潔であるというクリスお嬢様の言葉に安心するも、震えていた本当の理由を見抜けなかった自分を酷く恥じた。
結局、クリスお嬢様を襲おうとした男があっさりと全てを白状した。
首謀者はカルセード様とモリーオン陛下。
男をカルセード様の護衛に紛れ込ませ、私達をカルセード様が引き付けている間に、クリスお嬢様を襲う算段だったそうだ。
政務を担っている重鎮の親族を無理にでも迎え入れさせる事で、グラツィオーソ家の権力の復活を目論んだそうだ。
こんなことをしでかしたわりに、カルセード様は悪びれる様子も無く、さも当然の事のようにそう話した。
「女なぞ、所詮政治の駒にしかならんだろう。男児を産まなくては意味がないのだ!」
とんでもない事を言って開き直るカルセード様に、クオーラ様の平手が飛んだのは言うまでもないだろう。
この事件は表沙汰にはされず、知っている者には緘口令が敷かれたが、いかんせん、目撃者が多すぎた。
噂はあっという間に広まり、尾ひれはひれがどんどんついてゆき、クリスお嬢様の立場はあっという間に悪くなっていった。
事件の影響で、男を気持ち悪く思うようになってしまったクリスお嬢様は、しつこく縁談を持ちかけて来た人間を、魔法で吹き飛ばしてしまった。
怪我こそしなかったが、悪い噂に一層拍車がかかってしまう事になった。
そしてクリスお嬢様は、家を出る決意を固めた。
少し自棄になっていたこともあるのかもしれない。
だが私達三人に、それを止める術はなかったのだ。
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