三、片割れの頁。




 南校舎の三階最奥、観音開かんのんびらきの古めかしい扉を、加島かしまさんが重たげに押し開ける。そこが美術室だった。

 広い室内に並べられた大机には、今日の授業を終えた為だろうほとんどの椅子いす逆様さかさまに乗せられていた。それらが木製である事も手伝ってか、どことなく木立こだちに迷い込んだような錯覚をいだいてしまう。

 その一角に二人の女子生徒が陣取っていて、加島さんに続き入室してきた僕の姿に目を丸くした。こちらにも見覚えがないので、おそらくクラスメイトではない……と思う。

「新入部員つかまえてきたぜー。」と加島さんが早速、僕を彼女らの元へ連れてゆく。

 今日だけでもう何度目か分からない自己紹介をして、男子生徒ながら美術部への仮入部を許された転校生だというむねが伝わると、彼女らは拍手で歓迎してくれた。二人とも同学年で、やはり別のクラスの生徒だったらしい。

「そっか、噂は聞いてたけど。二組の転校生くんね。」

 生まれつき色素が薄いのか単に日焼けか、茶色っぽい髪をした一人が米塚よねづかと名乗り、部長を務めているとの事だった。

 眼鏡を掛けて、比較的大柄おおがらに見えるもう一人は豊水とよみと名乗った。そこに加島さんを加えた三人だけで、基本的に美術部は構成されているらしい。

「転校生くんは、コーヒーとか飲める人?」

「え、うん。」

「よし、じゃあちょっと待ってて。君ら、手伝いな。」

 そう言って米塚部長は、部員二人と共に出入り口とは別のドアに入っていく。おそらくは、併設された美術準備室だろう。

 一人残された美術室内を、軽く見回してみる。

 出入口は大まかに東へ位置していて、僕が居るのは部屋の北側だ。

 眼前の黒板は上下スライド式で、名画のコピーが高い位置に数枚、掲げられるようにマグネットで貼ってあった。

 西と南の壁は殆どがつらなる窓で、余程ゆとりの無い画廊がろうのように埋め尽くされている。その向こうには、教室からではのぞめなかった海が広がっていた。

 窓枠まどわく全てを額縁がくぶちに例えてもまるで収まりきれないその風景画は、角の柱に遮られつつ、もう一辺の窓々へと続いている。

 校舎の端で、しかも最上階に位置している特権なのかも知れない。あとでベランダに出て、じっくり眺めてみよう。

 自然、先ほど女子三人が入っていった準備室の方にも目をる。この部屋の北東側だ。

 美術室こちらとを仕切る壁には大きな腰窓がしつらえられていて、たがいの様子が視認できる造りになっている。向こうは狭く細長い空間のようだけれど、そこまで含めると普通教室の三部屋ぶん近くありそうな広さだった。

 その準備室では、珈琲コーヒーを用意してくれているらしい部員たちが行き来していて、うち一人の加島さんと目が合った。

「……?」

 窓ガラス越しに、彼女が身振りで僕に何かを伝えようとしている。どうやら大机に乗っている椅子を人数分、すぐ使えるように下ろしておいてくれという意味らしい。確かに、そうしておかなければカップも置けない。

 頷き返し、すぐ行動に移す。ちなみに先ほど僕たちが入室した時、豊水さんは椅子に、米塚部長は大机に腰掛けていたので、下ろす数は三つだ。

「……。」

 その大机には、絵具えのぐや彫刻刀などの跡が無数に刻まれている。思わず指先で触れると、これまでの長い時間を感じ取れそうなアンティークりだった。

「お待たせ。ちょっと置かしてー。」

 背後からの声に振り返る。

 加島さんと豊水さんが、それぞれ両手に湯気の立つカップを一つずつ、計四つを持って慎重に運んでいた。

(もう出来たんだ。)

 慌てて場をけ、机の反対側に回る。

 最後に準備室のドアを閉めてから、米塚部長も戻ってきた。スティック砂糖やポーションミルクの入った器(何故か灰皿)と、ティースプーンを手にしている。

 美術室の一角、それも授業や部活にいそしむ為の大机に珈琲が並べられていくのは、どこか不思議な光景だった。

「冷めない内にどーぞ。猫舌じゃなければ。」

「有難う。……れて貰ってなんだけれど、大丈夫なの?」

 色々と心配になって、尋ねてみる。米塚部長が意図を察してくれたらしく、向かいの椅子に座った。

「雰囲気的には、大丈夫。準備室の備品を整理してるのは私だし、ここの先生はゆるいからコーヒーくらいバレたって平気。というか部活時間に放置プレイされてるんだから、どういう理屈りくつ持ち出して怒ってくるのか、一回やってみて欲しいくらい。」

 そう言いながら彼女は自分の珈琲に砂糖とミルクを加え、スプーンでかき混ぜる。プラスチックのがカップに当たり、かちゃかちゃと鳴った。

「校則的には、たぶんダメなんだろうね。他の先生とかに見つかると問題かな。でもこんな所に見回りなんて来ないよ。素行の悪い生徒は、あんまり美術室に集まらないからね。

 つまり、誰かがわざわざ告げ口しない限り大丈夫って事。……しないよね?」悪戯いたずらっぽい笑みで、覗き込まれる。

「うん、勿論もちろん。」

 ほぼ脅迫だけれど、どこか共犯めいた薄暗いたのしさも感じる。

 授業時と同様に隣の椅子へ腰を下ろした加島さんが、砂糖とミルクの入った器を僕の方へ傾けて見せる。とりあえず断ると、彼女は「オトナだね。」と笑って引っ込めた。

 斜向はすむかいに座る豊水さんが、カバンから個包装のクッキーを取り出して四人の中央に置いた。いよいよお茶会のようだ。

「ただし、お菓子は流石に見つかるとまずいんだ。だからゴミの処理も厳重にね。素直にゴミ箱になんて捨てちゃダメだよ。バレると余計な波風が立つかも知れないから。」

 米塚部長が早速一つを取って、包装を破りながらそう注意する。線引きが、判るような判らないような。

「……ほら転校生くん、いつまでも机に置きっ放しにしない。もし今誰か入って来たらどうするの?」

「あ、うん……頂きます。」

 慌てて僕も、最後に残ったクッキーを手に取った。

「そうそう。うちの部の緩さは、こういう細心の注意を払った上で成り立ってるんだからね?」

 半笑いの加島さんが、クッキーをかじりながら合いの手を入れる。その滑稽な謹厳さに戸惑う僕を見て、米塚部長は優雅にカップをかかげてから、傾けた。

 その瞳が、猫のようにほそまる。

「そんな我らの美術部に、ようこそ。」

 陶器とうき越しの、くぐもった声で言う。




 中々すごい所に来てしまったのかも知れない。

 そう感じつつ、僕もカップをすすった。昨夜の刺身の事もあって、どこか油断していたのだと思う。

「……。」

 その珈琲は、びっくりするくらい不味まずかった。妙に酸っぱくて雑味も多く、そのくせ香りは薄っぺらい。どんな豆をどういてれたのだろう。

 途端に、彼女らが使っている砂糖とミルクが羨ましくなった。ただ先ほど断った手前、今さら欲しがるのは何だか失礼だし恥ずかしい。

 ちなみに豊水さんは砂糖を四本、ミルクを三個使用していた。不摂生ふせっせいではと内心呆れていたけれど、今となっては僕も真似したい。そこまで誤魔化ごまかさなければ、この一杯は飲み干せる気がしない。

「それじゃあ早速、聞かせて貰おっか。……転校生くんは、どうしてこんな所に来ちゃったのかな?」

 米塚部長が、まるで問題児へ問いただすように言う。その隣で豊水さんも、何だか目を輝かせているように見える。

「ええと……、」

 〝こんな所〟とは、美術室という意味だろうか。それともこの町を指すのだろうか?

 心なしか身を乗り出しているその二人に、加島さんが今日一日で僕から聞き出した内容を、つまんで伝えていく。僕が辿々たどたどしく話すよりも、よほどスムーズだった。

 その最中さなか、何だか照れくさい上に美術室で確認したい事もあるので、室内を見て回る許可を米塚部長に求めた。

「ん? どうぞー何もないけど。好きに見てって。」

「有難う。」カップを置いて、席を立つ。

 入室してからずっと気になっていた、南側の窓辺へ向かう。その途中、西側(すぐ右手)の窓から風が吹き込んできた。つい足を止め、顔を向ける。

 窓の脇でたばねられた、すその長いカーテンが重々しくそよいでいる。

 美術室は絵具や画用液がようえきの匂いで独特な空気がこもりがちな場所だが、ここでは潮風がそれらを殆ど洗い流してくれるらしい。

 海からの風と照り返しが、この部屋には満ちて揺らめいている。電灯を点けていなくてもまぶしいくらいだった。

「いい所だと思うけどな……。」思わず呟いていた。聞こえてしまったらしく、背後の三人がくすぐったそうに笑う気配がした。

 そして、改めて美術室の南側へ向かう。こちらは黒板と反対側で、大机も並んでいない。おそらく中央にモデルを置いて写生しゃせいしたり、大掛かりな作業を行う為、意図的に広くけられたスペースなのだろう。

 南側の窓際には、絵具で色とりどりに汚れたシンクと水道に、石膏像せっこうぞう*⁸が幾つか。ここまでは普通だと思う。

 ただ、その片隅に何故かアップライトピアノが置いてあった。

「……。」

「あ、それでしょ。気になるよね。」

 不可解さに目を奪われていると、僕の挙動を見守ってくれていたらしい米塚部長が、後方から説明してくれる。

「音楽室に新しいピアノ寄贈されてさ。これ以上は置けないからって、こっちに古い方を持って来られちゃったんだ。同じ三階で広い部屋って、ここだけだからね。」

「……なるほど。」

 素直には喜びづらい扱いだけれど、気軽に触れられるピアノの存在は有難い。

 近づいてよくよく見てみると、随分ずいぶん古いようだがほこりは積もっていなかった。鍵盤蓋を持ち上げ、軽く指を通してみる。所々白鍵はっけん*⁹が緩んではいるけれど調律も狂っていない。

「……誰かが、定期的に弾いてるみたいだね。」

 ピアノの上前板うわまえいたに黒く反射している三人が顔を見合わせ、やがて加島さんが教えてくれる。

「〝まゆ〟だよ。」

「さっき授業中に言ってた?」

「そ。その子が、たまにね。」

「へえ。えっと、今日は……。」

 振り返ると、米塚部長が肩をすくめつつ答えた。

「ごらんの通り居ないよ。少なくても週に二日は休んじゃう子だから。」

「そんなに。その……何か、病気とか?」

「詳しくは知らないけど、特に心臓がよくないって話だよ。

 昔から運動とかできないし、〝その子の近くでは騒がないように〟って全学年で徹底されてて、小学生の時から変な意味で有名人だったからね。本人的にも、学校が居心地いいって事は無いんじゃないかな。」

「……そうなんだ。」

 狭心症か何かだろうか。

「あーそういえば、まゆのスケッチブックがあるはずだよ。見るでしょ?」

 そう言って加島さんが立ち上がり、こちらの返事も待たずに準備室へ入っていく。残った二人が顔を見合わせ、そして僕に目を向けた。

てん……タチハラくんって、絵に興味でもあるの?」

 美術部の部長である米塚さんが、不思議そうに問う。

「……一応。絵画と、彫刻なんかも好きだよ。」

「彫刻って、何か像とか彫るやつ?」

「うん。大掛かりな物は無理だから、縮小とか省略したモチーフをだけれど。」

「……へえ……。」

 いまいち不得要領ふとくようりょうな様子で、彼女らは頷く。

田角先生タッセンにタンカ切っちゃったから、早めに成果を見せなきゃだもんね。」

 りが聞こえていたらしい加島さんが、一冊のスケッチブックを手に戻ってきた。

「田角先生に啖呵たんか? 何それ?」

 部長の問いに、彼女は笑って応える。

「悪いけど、今日から百人一首ひゃくにんいっしゅできないかも。彼、この部活に燃えてるんだ。」

(百人一首……?)

 最早その方が凄いのでは、と半ば呆れてしまう。

「いや、燃えてるったって皆に押しつける気は無いよ。僕が個人的に張り切ってるだけだから。」

「まあ押しつけられる気も無いけどさ。とりあえずほら、見てごらんって。」

 そう言って加島さんは大机にスケッチブックを置き、僕が使っていた席を叩いた。例の珈琲を残してあるのでもう戻りたく無かったのだけれど、そうもいかずに座り直す。

「……。」

 不在者の絵を勝手に見ていいものかと躊躇ちゅうちょするが、まあパブリックな場に置いてあるのだから構わないだろうと思い、ぺーじを開く。

 暫くは鉛筆画で、様々な角度から見た幾つもの手が素描デッサンしてあった。どれも若い女性の手で、トランプのような札を持っていたり、アクセサリーを作っている様子が描かれている。垣間見えるそでは学生服なので、おそらくに興じている部員たちを写生スケッチしたのだろう。

 そして先ほどのアップライトピアノも描かれていた。透明水彩の絵具で着色してある為か印象は重たくない。ただかわかない内に一度閉じてしまったのか、反対側の頁にも絵具が少し移っている。

 更に捲ってゆくと、水族館やホテル、洋館と思しき建造物が数頁に渡って描かれていた。唐突な内容だけれど、細かな内装まで正確に描かれているので現地に赴き写生したのだろう。ただどれもひどく古び、荒れ果てているのが気になった。天井が崩れ落ちていたり硝子は軒並み割れていたりと、まるで廃墟の風景だ。

「……上手でしょ?」

 いつの間にか部員たちも、隣や反対側からスケッチブックを覗き込んでいた。その距離感の近さに内心戸惑いつつ、素直に頷く。

 この画帳は、特に方向性も決めずに描き込まれたものらしい。しかしどれも細かく捉えてあるし、視点も独特だった。その割に線や構図は怖ろしく正確で、画力自体はきっと僕より上だろう。ただ、

「少し、不思議な……。」つい呟く。

 今開かれている頁には、象徴的な森の中で八頭身のウサギが長い脚を組み、優雅にティーカップを傾ける様子が描かれていた。賑やかなお茶会を終えて三々五々、散らかったテーブルに独り残されているような風情。放り捨てられた時計の破片と、毒々しいデザインのキノコ群。

「まあ、正直ちょっと変わってるよね。せっかく上手なのに、時々意味が分かんないっていうか。」

 確かにと思っていると、豊水さんが静かに口を開いた。

「あの子って色んなアダ名つけられてたけど、〝アリス〟とも呼ばれてたでしょ。それ特に嫌がってたみたいだよ。あたしの前でぶつぶつ愚痴ぐちりながら、一五分くらいでそれ描いちゃったんだ。」

「へえー。」

「初耳。」

「……そうなんだ。」一息遅れて、僕も感心する。

 衝動的に描いた絵にしては、線が走っていない。むしろ他の絵よりも静かで、穏やかなタッチにすら見える。間違いなく写生でないにも関わらず。

「……〝アリス〟。」

 ふと、スケッチブックの裏表紙うらびょうしを確かめる。左下に、〝1-1 今井 繭浬〟と署名されていた。

今井いまい……ええと、」

「マユリ。」

「それで〝まゆ〟なんだ。でも、どうして〝アリス〟? 有栖川ありすがわさんとか、アリサさんって名前ならまだしも。」

「さあ。白くて細くて、不思議ちゃんだからかな。」

「あとピアノとか弾くからじゃない?」

「あーそれだ。ピアノ弾くからだね。」

「……あ、そうなんだ。」よく分からないが、それは彼女らにとって納得し得る理由らしい。

 僕もピアノを弾ける事が知られたら、ピーターパンとでも呼ばれるのだろうかと考えていると、加島さんが頬杖をついたまま本題に触れた。

「でさ、舘原たちはらくん。実際どうよ。こんな美術部だけど、やっていけそう? 逆に言うと、やめとくなら今の内かもよ。」

「〝すごい所に来ちゃった〟なんて思ってるんじゃない?」

 米塚部長の茶化ちゃかしに若干ぎくりとしつつ、笑って首を振る。

「まさか。ぜひ僕も加えて欲しいと思ってるよ。楽しいメンバーが集まってるみたいだし、不思議な絵を描く一年生とも会ってみたい。部屋からの眺めもいいし。」

「そう? だったら歓迎するよ。」

「改めて、ようこそだね。」

 そして、また一頻ひとしきり拍手で歓迎してくれる。照れくさいけれど、有難い。

「でも舘原くんが入ってくれるって事は、つまり何か活動しなくちゃだね。」

「いいじゃん詳しそうだし。色々教えて貰おうよ。」

「でも、怒ると怖そうだよ彼。すごいスパルタだったらどうする?」

「えーどうしよう。上手く出来なかったら体罰とかされちゃうのかな?」

「それはだな、せっかくこんな部まで逃げてきたのに。」

「でこぴんくらいで勘弁かんべんしてほしいね。」

 勝手な想像で膨らんでいく会話の勢いに呆然としていたが、聞き慣れない単語があったのでつい口を挟む。

「デコピンって何?」

 賑やかだった三人が、ぴたりと静まってこちらを見た。

「……え、」

 また何かおかしな事を言ったのだろうかと不安になり、一人一人に視線を返す。きょとんとした顔ぶれの中で、隣の加島さんだけが、どこか含み笑いをたたえているように見えた。

 米塚部長がカップを置く。

「ごめんタチハラくん、もう一回いい?」

「いや、〝デコピン〟って聞こえたから……それって何だろうと思って。あ、画溶液テレピンの一種とか、なのかな。」

「……。」

 いよいよ静まり返った場にこらえられなくなったのか、加島さんが忍び笑いを漏らした。

「……ね、面白いでしょ?」

 机越しに、そう投げかける。残る二人も頷いた。

「なるほど。これは相当だな。」

「わざわざ連れてくるだけの事はあるね。納得した。」

 そして困惑の極みにある僕を、再び三人で覗き込んでくる。まるで〝百人一首に代わる、新しい玩具おもちゃを見つけた〟というような、弾んだ瞳だった。

 やはり、すごい所に来てしまったのかも知れない。



   #



 〝デコピン〟の講習会が終わり、僕はひたいを押さえながら部員たちに尋ねる。

「それで、一応は確認したいんだけど。皆は絵を描く気は……、」

「無いでーす、ごめんね!」

「私も無いかねぇ。今さらだし。」

「イラストなら多少……でもアナログ絵は興味ゼロかな。」

 元気よく挙手する加島さんと、猫背で珈琲をすする米塚部長と、静かに首を振る豊水さんが、三者三様に、しかし同じ答えを返す。ほぼ予想通りだし、いっそ清々しい。

 僕は〝アリス〟のスケッチブックを閉じ、机に置いた。

 画力を基準にすれば、彼女アリスを手本に全員で絵画へ取り組む方針がオーソドックスだろう。しかし最も技術の高い当人は休みがちな一年生で、他の部員たちは絵を描く気が無いようなので、その選択は除外する。だからこそ至っている現状なのだろうし。

 むしろ、なぜこの部は存続できているのだろう。いっそカルタ部を立ち上げるべきなのではとも思う。

「だったら、彫刻はどうかな。」

「さっき言ってたやつ?」

「そう。初歩的な事なら僕でも少しは教えられるから。削ったり磨いたりして、例えば好きな動物なんかも作れるよ。あと素材探しに出歩けば、ずっとこもり切りでも無いし。」

「何それーやってみたい!」

「えー、普通に楽しそう。」

「もっとぶっ飛んだこと言ってくるかと思った。」

「……。じゃあ早速試してみるとして、何か素材のアテは無いかな。いきなり金属なんかは難しいから、最初は木や柔らかい石がいいと思う。あと出来れば、この土地特有の物だと嬉しいけど……。」

 部員たちは考え込むように腕を組んだり、頭を抱えた。確かに〝この町ならではの、像を彫れそうな物質〟を尋ねられても、中々すぐには浮かばないだろう。

「……漂着物ひょうちゃくぶつから探す、ってのはどう?」

 それでも真っ先に顔を上げたのは、先ほどから率先して発言してくれる米塚部長だった。

「漂着物?」

「そ。海辺を歩いて、使えそうな素材ってやつを探してみるの。例えば流木りゅうぼくとか、貝殻とか、シーグラスとかね。ああいうのも自然の彫刻なんだろうし、拾って手を加えてみるのはどうかなって。有難い事に海はすぐ目の前だし、〝この町ならでは〟じゃない?」

 そこに転がってる物が彫刻に向いてるのかまでは分かんないけど。と、最後に付け加える。

 漂着物も、それを用いたアートという存在も、話としては聞いた事があった。ただ昨日今日初めて海を見た僕には、まるで浮かばない発想だった。

「なるほど、面白いかも知れない……。」

「部長さすがー!」

「〝自然の彫刻〟!」

「そこ! 言ってて恥ずかしかったので、あまり的確に茶化さないように。」

「はーい。」

「それからタチハラ部員! 部長さんがイジられて困ってますよ。考え込んでいないで結論を急ぐように。」

「え。あ、はい。」

 じゃれ合っているのかと思った。

「その、一度連れて行って貰っても大丈夫かな。じかに見てから判断したいんだけれど。」

「よろしい。」

 米塚部長は立ち上がり、大机のふちに両手を置いた。演説者のように大仰な咳払いをして、声のトーンを改める。

「では諸君。今日の部活は、海で宝探しですよ。」

 その高らかな宣言へ拍手を返す二人に、とりあえず僕もならった。ここでは何かと拍手を用いるらしい。




 もう夕方近いので、おそらく今日は美術室には戻らないだろうという米塚部長の判断に従い、後片付けを始める。

 部長と加島さんがカップを洗う間、僕は豊水さんと手分けして窓を一つ一つ閉めていく。眺めが良いぶん数も多く、背伸びしても鍵に手が届かない場合は椅子を使ったりした。

 お菓子の痕跡こんせきなども含め忘れ物が無いか厳重に確かめてから、美術室を出た。階段を下りて一階の職員室へ。

「……あ、」

 美術室の鍵を返し、そのまま連れ立って昇降口しょうこうぐちに向かおうとしたところで思い出す。

「僕は今日、正面玄関に靴を置いてるんだった……忘れてた。」

「あれ、そうなんだ。じゃあ先に校門のとこで待っといてよ。私らもすぐ行くから。」

「分かった。また後で。」

 職員室前で部員たちと別れ、一人正面玄関に向かう。

 学生靴をき、引っ掛けていた傘も回収して外へ出た。途端に、緑と潮の香りが濃度を増す。

 こちらは生徒用の昇降口と違って、グラウンドには面していない。しかしそれでも、運動部の激しい掛け声や、野球のボールをバットが弾いているらしい音は届く。

「……。」

 もし部活の参加制度を知らずにいたら、僕もその世界に混じらされていたのだろうか。そう思うとやはり不思議で、寒気に近いものすら感じてしまう。

 クラスで一人しかいない美術部員がたまたま隣席で、何かと話しかけてくれた事には、もっと感謝すべきかも知れない。そんな事を考えつつ玄関から離れ、よく剪定せんていされた松の木をくぐって正門へ向かう。

 昇降口は少し迂回うかいした位置にあるので、やはりまだ部員たちは来ていない。にも関わらず、校門付近に覚えのある人影を見つけた。

「お。」

 向こうもすぐ僕に気づき、寄り掛かっていた石塀いしべいから一歩こちらへ進み出る。

「よう。」まっすぐに腕を伸ばし、手のひらを掲げて見せる。

柚季ゆずき……どうしたの?」

「いや、〝どうした〟とか。」

 不機嫌そうに、けれど笑う。

諒兄まこにいが友達つくれなくて、一人でトボトボ帰るのがかわいそうだから、待っててあげたんだよ。うれしい?」

「……嬉しいよ。その額に、覚えたてのデコピンを浴びせたいくらいだ。」

「げ。」

 彼女は慌てて両手で前髪を押さえた。

「だってほら、昨日みたく迷子になると、こまるでしょ?」

 指の隙間からこちらをうかがいつつ、抗議してくる。

「……あれ。迷子って、僕が柚季を送った後の事? どうして知ってるの?」

「だってうち坂の上だから、はくじいの家まで見えるし。ていうか諒兄が、普通に来た道とぎゃくの方に歩いてったから、どこ行くんだろうって気になって見てたんだけどね。」

「……。」

「そしたらなんか同じとこうろうろしてるから、あーまよってるのかって。よっぽど助けに行こうかと思ったけど、さすがにハズかしいだろうし、知らないふりしてあげたんだよ。」

「……。」

 肉眼でとらえられる程度の範囲を、延々と彷徨さまよっていたのか僕は。

「まあ、へこむなよ。」絶句していると、ぽんぽんと肩を叩いてくる。

 すると今度は、背後から声を掛けられた。

「舘原くん。その子、妹?」

 振り返ると、既に部員たちが三人とも集まっていた。

「いや、親戚しんせきだよ。と言っても昨日初めて会っ、」

でてもいい?」

 最後まで聞かずに柚季へ歩み寄り、そう尋ねたのは豊水さんだった。

「え? えっと……本人に訊いてみて。」

 彼女は米塚部長や加島さんと違い物静かなタイプだと思っていたので、その突拍子とっぴょうしも無い言動に面食らう。

 当然柚季にとっては誰だろうと関係なく、ただいきなり初対面の中学生にスキンシップを求められて戸惑っている。

「親戚ちゃんは、名前なんて言うのかな。」

「ゆ、柚季です。」

「ユズキちゃん、頭撫でさせてくれる?」

「え……と、はぃ。」

 ほとんど押し切られて頷く。遠慮なく撫で始める豊水さんにならい、米塚部長も「じゃあ私もー。」と柚季の髪に触れた。

「……。」

 完全に退いている柚季の様子を見て、僕はかえって平静を取り戻した。

「とりあえず、迎えに来てくれて有難う。ただ、今から流木拾いに連れて行って貰うんだけど……柚季も来る?」

「りゅうぼく?」

 一層怪訝けげんそうな柚季に、「一緒に行こうよ。」と豊水さんが誘う。それに、加島さんと部長も続いた。

「うん、予定とか無ければユズちゃんもおいで。」

「タチハラくんなら、ちゃんとその後に返してあげるからさ。」

「……。」

 やはり押し切られる形で、柚季は再度頷いた。




 五人で正門を出て、中学校の敷地に沿う細い坂道を下る。

 しばらくは校舎の裏側がフェンス越しに見えていたが、教員たちの駐車場や焼却炉などの脇を通り過ぎると、すぐに雑草だらけの土手に遮られた。

 柚季は豊水さんと米塚部長に挟まれ、両側から手を握られていた。ただ自転車通学らしい加島さんだけは、僕の隣で自転車を押して歩いている。

「あーあ、ユズちゃんも大変だ。」

 弾力を確かめるように頬を触られている柚季の後ろ姿を見て、彼女は苦笑しつつ言った。

「……その、豊水さんは割りと落ち着いた人だって認識しかけてたから、正直少し驚いたよ。」

「あれ? なになに、うちらは落ち着きが無いって話かな?」

「あ、いや、そういう意味じゃなくて。」

 僕が慌てたのを確認して、加島さんは「冗談だよ。」と満足そうに笑う。

「まああの子は、昔から可愛いものには目が無いっていうか。未だにヌイグルミだらけの部屋で暮らしてるくらいだよ。」

「へえ……。」

 女の子の部屋というものが分からないので何とも言えないけれど、あるいは彫刻や標本を並べていた僕の部屋と近いのかも知れない。

 しかし、いつ柚季が部長たちの腰を蹴りつけるかと危惧きぐしていたが、どうやら心配は要らないようだった。年齢や身長は然程さほどに変わらなくても、制服を着込んだ彼女らと、ラフな私服でランドセルを背負った柚季とでは差違がある事を、どこかで感じ取っているのだろう。それを踏まえた上で蹴られた僕の事はくとして。

「ね、ユズちゃんと親戚って言ってたよね。じゃあ舘原くんて、実は元々こっちの人だったとか?」

 加島さんがこちらに振り返って訊いてくる。

「いや、血は繋がって無いんだ。」

 今度は手櫛てぐしで髪をかれている柚季の後頭部を眺めながら、無意識に答える。ふと視線を戻すと、加島さんも目を丸くしていた。

「そうなの?」

 あまり正直にらすべき事では無かったかも知れないけれど、口にしてしまった以上すんなり頷いておく。

「うん。別に複雑って訳じゃ無いんだけど、それなりな事情があって。」

「ふうん……。」

 ゆっくりと頷き返す彼女の向こうで、柚季が笑い声を上げた。半ば無理やり引きって来てしまった事も気掛きがかりだったのだけれど、どうやら嫌がってはいないようだ。

 昨夜会った彼女の母親も「近所は年下の子供たちばかりだった。」と言っていたし、ひょっとすると年上に構われるのは、そう鬱陶うっとうしい訳でも無いのかも知れない。

(……まあ、よかった。)

 小さく安堵の息を吐くと、加島さんが再びこちらを振り返って笑顔を見せた。

 特に深い意味など無いのだろうけれどどこか救われる思いがして、そんな事が在り得るのだと初めて知った。



   #



 坂道が、ここ数年は剪定されていそうにない植え込みと交ざって曖昧に終わる。

 コンクリートブロックを数段重ねただけのステップを下りると、目の前にはささやかな砂浜が広がっていた。

 地形の凹凸おうとつが激しく、また所々に大きな岩が転がっていて見晴らしはよくない。陸側も斜面だらけで車を乗り入れられないので、海水浴場には向かないだろう。ただそのお陰か漂着物は無数に残留していて、近辺に人の気配も無い。

「着いたっ。」

 女子たちが一目散に水際へと駆ける。海辺の町で暮らしていても、やはり眼前に臨めばそうしてしまうものらしい。

 僕も無邪気に続きたかったけれど、砂に足を取られ思うように進めない。それどころか転ばずに、そして砂が靴へ入らないように歩くだけで精一杯だった。

「……タチハラくん、大丈夫?」

 既に波打ち際に立っている豊水さんがこちらへ振り返っている。その向こうで、靴さえ脱いだ柚季たち三人が浅瀬に入って歓声を上げていた。体力云々以前に、砂地を歩くコツのようなものがあるのかも知れない。

「大、丈夫……。」

 答えながら漸く僕も辿り着き、改めて顔を上げる。

 本当に海なのだと、実感を持って認識する。この足元まで続く波が、見渡す沖では無数に細かく揺らめいていて、その度に日光をきらきらと反射させている。それは幾つもの概念と公約数がたわむれ合っているようにも見えた。

 かがんで指を浸し、その水をすくってみる。手の中で弾けていく泡たちの感触が生々しく、海にも体温や匂いがあるのだと知った。

 初めて海に触れ、対等に向き合った事になるのだろう。やがて自分が、随分とまぶしい風景へ臨んでいる事に気づく。

 陽は傾き始めていて、けれど日差しは柔らかい。それは海と同様に何も選ばず、ただ全てへ注いでいる。

「……。」

 思えば今まで、照らす光に違いなど無かった。けれどここでは陽光も風も、直接届けられるような、つまり何も介さずに手渡されているような感覚が在った。そしてそれらを素肌で受け取る事が出来るのは、随分と意味深い事であるように思えた。

「……諒兄?」

 呼び掛けられ、いつの間にか閉じてしまっていた目を開く。見れば脹脛ふくらはぎくらいまで浅瀬に浸かった柚季が、両手で掬った水をぼたぼたと足元に零していた。その少し向こうでは、部長たちが素足で波を蹴ったり、石を水面に投げ込んだりしているのが見える。

「どうかした?」

「ああ、いや。」

 柚季はおそらく何か悪戯をするつもりでいて、しかし僕が物思いにふけっていたので踏みとどまったのだろう。察しの良い子だ。

「何でもないよ。」

 子供らしい行動をおさえさせた事を申し訳なく思うが、直後に彼女は掬い直した水を今度こそ僕に浴びせてきた。

「っ、……こら。」

 海水とは本当にしょっぱいのだという事も、身を《もっ》て知った。柚季はけらけらと笑いながら逃げていったが、僕がり返すなどの反撃をしないと分かると、退屈そうに口をとがらせて戻ってきた。

 ただ、海水で携帯電話が故障していないかを確かめていると、「あ、ケータイいいなあ。」と画面を覗き込んできたので、その無防備な額に先ほど習得したデコピンを浴びせはした。

「いー。」

 妙な声を出して彼女がうずくまる。だいぶ手加減したので大袈裟おおげさに演じているのだと思ったが、徐々に涙目になっていくのを見てさすがに慌てた。

 何でも、丁度面皰にきびのある箇所に当たってしまったらしい。

「……ユズキちゃん、どうしたの?」

 振り返ると、部員たちがそばに立っていた。僕が説明する間も無く、柚季に駆け寄ってその肩を抱く。

「大丈夫? 彼に何かされた?」

「いや、ちょっと二人でふざけてて……、」

 僕の弁解に構わず、部員たちは本人と小声で二言三言を交す。そして柚季をかばうように、つまりこちらを包囲するようにフォーメーションを組んでいた。

「……舘原くん。それってどうなのかな。」

「ニキビって、潰すと一生あとが残る事もあるんだよ。」

「きっと、田舎者はニキビなんて気にしないとでも思ってるんだよね。だからそんな酷い事を平気でしちゃうんでしょう?」

「いや、そんなつもりは……、」

「もちろんデコピンを教えたのは私達だよ。でもまさか、小学生の女の子を泣かせる目的で使うなんて思わなかったな。ねえ部長?」

「うん。そんな子に育てた覚えは無かったよ。悲しいもんだね。」

「そもそも、ユズキちゃんのおでこは子供の頭部であり、女性の顔でもあるんだよ。それを叩いたりしていいと思ってるの?」

「あの、本当にそんなつもりでは……、」

 一人一人が順々になじってくる中、彼女たちの背後で柚季がこっそり笑っている事に気づきつつも、僕は拝むように頭を下げて謝った。

 当人はすぐに許してくれたけれど、米塚部長と加島さんは「もう終わり? 面白かったのに。」と不満そうだった。

 唯一最後まで本気でいきどおっていた豊水さんは、鞄から取り出した軟膏なんこうを、無言で柚季の額に塗っていた。

 その背にも謝ったが、「相手が違うと思う。」と呟くように応えるだけで、その静かな後ろ姿も非常に怖かった。




 それから米塚部長が場を仕切り直し、全員を海から上がらせて本題を再提示した。

「いい? 我々は遊びに来たんじゃないよ。今はあくまで部活時間で、これは課外活動だからね。ちゃんと一人一人が、自覚を持って行動するように。」

 脱いだ靴下をスカートのポケットからみ出させたまま皆を一喝する姿は滑稽だし、そもそも最初に遊び始めたのは彼女自身だった気もするが、かくそのリーダーシップには感心する。

 僕は漂着物というものをよく知らないので、まずそれらを確かめる時間を貰った。左右に広がる浜辺を見渡すと、なるほど様々な物が流れ着いている。よく分からないプラスチック片や発泡スチロール。古びた瓶やペットボトル。何かの果実や海藻なども。

 そして本命の一つである流木も多かった。手近に転がっていた一本を拾い上げ、丹念に触れてみる。波に研磨けんまされた表面は白くなめらかで、その旅路の長さを想起させた。どれほどの潮を経てここまで来たのだろう。

 枝分かれした細い部分に足を掛け、体重でった。そしてその断面の感触も確かめる。

「……どう?」

 僕の行動を見守っていた部長に、振り返って答える。

「向いてそうだよ。あまり複雑なものは難しいだろうけど、大まかな造形と飾り入れくらいの彫刻には申し分ないと思う。」

「無駄足にならず済んだかー、よかった。」言い出した張本人なりに責任を持っていたのか、彼女は胸を撫で下ろす。

 先ほどの水遊びで充分満喫していたようにも思えるけれど、僕も初めて海に触れて有意義な時間だったので他人ひとの事は言えない。

「じゃあ早速集めよっか。でも、どんなのを拾えばいいの?」

 加島さんの尤もな質問に頷く。

 周囲に流木は数えきれないほど転がっており、枝振りや状態の具合はどれも違っている。モチーフを決めず手当たり次第に拾い集めては、文字通り収拾がつかないだろう。

「それなんだけど……柚季、その名札をよく見せてくれる?」

 また豊水さんと手を繋がれている柚季が、ここで呼ばれるとは思っていなかったらしく目を丸くする。

「これ?」

 先ほど僕が部員たちに追い込まれるさまを見てすっかり機嫌を直した彼女は、胸元の名札を素直に持ち上げてくれた(隣の豊水さんはまだ警戒に満ちた目で僕を見ていたけれど)。そこには、花を模した校章が記されている。

「それ、花のマークだよね。何の花だか分かる?」

「たぶん、コスモス? じゃなかったかな……。」

 柚季は言いよどみつつ、すぐ傍の豊水さんへ顔を向けた。彼女もその名札を確かめ、頷く。

「だね。校歌にも秋桜こすもすってフレーズがあったの覚えてる。」

「……なるほど。」

 それを聞き、幾つかの思考をまとめた。

「じゃあ僕は……この秋桜の花をモチーフに彫刻を造って、完成したら小学校に寄贈しようと思う。」

「え、小学校?」

「なんで?」

 この唐突な方針に戸惑う皆へ、僕の思惑を説明する。

「多分だけど……小学校側としては、シンボルにちなんだ手作りの品を中学生から贈られたら、何かしらお礼を伝えてくれると思う。それは中学校側にも知られる筈だし、となれば美術部も今後は動きやすくなるというか……少しは優遇されるかも知れない。」

「何より、そうなれば舘原くんは美術部員として確かな立ち位置を勝ち取れるから、後日〝やっぱり男子は入部できない〟とか言われる可能性もぐっと減らせる。みたいな?」

「まあ正直、それもある……。」

 僕の内部事情に明るい加島さんから本音部分を補足され、ぎこちなく頷く。

「どんだけ運動部イヤなんだか。」

「ふーん、政治的な理由もあんのね。まあ詳しくは訊かないけど、余った備品を美術室に持ち込まれる事も無くなるだろうね。」

「それなら協力は惜しまないけど、私達は何すればいいの?」

 加島さんが呆れ、米塚部長が呟き、豊水さんが尋ねてくる。

「えっと、皆は好きな素材を拾って、思い思いの制作をしてくれて構わないけれど……。」

「それは現実的じゃないよ。うちらは彫刻なんてした事ないから何を選べばいいか見当もつかないし。」

「確かに。いきなり自由にさせられても、いちいちタチハラくんにコーチを頼む事になるだろうね。」

「しかも三人分だよ。それこなしながら秋桜の彫刻まで手が回るの? あまり遅くなると、万が一本当に入部を認められなかった時、泣くに泣けないんじゃない。」

 たたみ掛けられる正論の嵐に、先ほどのちょっとしたリンチを彷彿ほうふつとしつつ頷く。

「そう、だね。じゃあ最初は手伝って貰えるかな。共同作業の過程でちょっとしたノウハウは教えていくから、個々人の自由な制作は二作目以降って事になるけれど……。」

 遠慮がちに申し出ると、三人ともすんなり了承してくれた。

「いいよーそれで。」

「ここのとこ百人一首ばっかだったしね。」

内申ないしんとか上がりそう。」

「……えっと、有難う。」

 何だか、素直には感謝しづらいけれど。

「じゃあ素材も共有になるから、皆で探そう。結構大きめで、枝の分岐が多くて、状態のいい流木を見つけたい。」

「全員聞いてたね? じゃあ捜索始め。」

 部長が合図し、皆散り散りになって浜に広がる。

 動機は兎も角、部員たちは想像以上に協力してくれるみたいだ。せめて素材くらいは僕が見つけ出したいので、漂着物に目を凝らしていく。

 やがて、それらはただランダムに散在しているのではなく、仮想のラインに沿うよう規則的に並んでいる事に気づいた。多分その時の潮位にるのだろう。

「……まこ兄って、まさかモテるの?」

「え?」

 いつの間にか作業に付き合わされている柚季が、また唐突な事を訊いてくる。

「まさかって一体……。でもどうして?」

「まわり女の子ばっかりじゃん。」

「そういう事か。女子しかいない部活に、僕が入ったってだけだよ。」

「流木プレゼント部?」

「いや、美術部。」

「びじゅつ?」と首をかしげる。そういえば、美術という科目は中学からだった。

「えっと、絵を描いたり、何かを造ったり……。」

「ああ、図工ずこう部か。ふうん、楽しそう。」

 ふと目に入った流木の一つを拾い上げてみる。形状は面白いのだが少し痛み過ぎて、黒ずんでしまっている。どうも殆どの流木に、大なり小なり腐食が在るようだった。

「柚季も来年、中学生になったら入る? きっとお姉さんたちに歓迎されるよ。」

 それを無造作に放りながら訊いてみるが、彼女はかぶりを振った。

「あたし競泳やってるから、たぶん水泳部に入ることになると思う。」

「競泳。そうだったんだ。」

 確かに柚季の身体つきは細いけれど、ただ痩せているだけの僕とは違い健康的に引き締まっている印象だった。

「だから、なんであの人……。」

「ん?」

 顔を上げると、柚季は前方を見据えていた。その視線の先には、大きく脚を開いて砂地を覗き込んでいる米塚部長が居る。

「部長が、どうかした?」

「……あの人が、部長?」

「そうだけど。」

「ふうん……。」

 何か違和感を抱えているようなので確かめようとしたが、その時に別方向から大声で名を呼ばれた。

 そちらに顔を向けると、当の米塚部長が手を振っていて、他の部員も彼女の元へ駆け寄っていくところだった。

 よく通る声だと感心しつつ、とりあえず僕も柚季を連れてそちらへ向かう。




「タチハラくん早く早く。ほら、これどう?」

 かされつつ近づいてみれば、確かにそこへ横たわる流木には腐食や損傷が見当たらなかった。

 ただ部長が皆を集合させたのは、その流木があまりに大きく、そして半ば砂に埋もれている為だった。慎重に揺らしてみるが、回収どころか角度を変える事も難しそうだ。手分けして無理やり引っ張り出しては肝心の枝を折り兼ねないし、掘り起こすにしても乾燥した砂が分厚くかっている。

「これは、素手じゃ難しいな……。」

「やっぱ無理かあ。でも形とかいいでしょ?」

 確かに、状態もだけれど枝振りも理想通りだった。これなら元の形を生かしつつ、秋桜の茎と花も数輪ほど造形できるだろう。

「学校からシャベルでも借りてくる?」

「それもどうだろう。まず全体が大き過ぎる……。」

 これを丸ごと持ち帰る事は不可能だし、第一必要なのは細かく分岐する上部の枝だ。しかしそこだけを器用に折るのは難しいし、その際に誰かが怪我でもすれば、僕の目論見もくろみとは真逆の禍根かこんを美術部に残してしまうだろう。

「……切るしか無いんじゃない。」

 同じ考えらしい豊水さんが呟いた。

「僕もそう思う。となると部長、ノコギリが必要なんだけど……。」

「美術室のノコギリは備え付けの電動式だから、持ち出せるやつは無いよ。」と、あっさり首を振る。加島さんも腕を組んだ。

「技術室にはあるはずだけど、物が物だから……うちらが頼んで貸し出してくれるかは微妙だね。たぶん誰か暇な先生ごと同行して貰う流れになると思う。」

「なるほど……。何?」

 思案していると、柚季が後ろから僕の袖を引っ張ってきた。

「のこぎりくらい、伯じいが持ってない?」

「……ああ、」言われてみれば、確かにそうだ。

「ハクジィ?」

 〝ジャグジー〟とよく似たイントネーションで、加島さんが首を傾げる。

「僕の祖父……の、綽名あだなだよ。林業の仕事をしてる人なんだ。」

「おお、じゃあ在りそうだね。」

「でもタチハラくんって近いの? ノコギリ取りに帰って、また戻ってきて、流木切って帰るって、時間的にどう?」

「多分トータルで……二時間くらい掛かるかな。」

「ありゃ。」

「厳しいね……。」

 そこで一旦皆が黙ると、米塚部長が手を叩いた。

「はい、じゃあ今日は無理だ。もう時間も遅いし、いさぎよく次の部活日ぶかつびに持ち越しだよ。」

 と、終止符を打つ。

「という事でタチハラくん、明後日の木曜にノコギリ頼めるかな。」

「うん……でも、ノコギリは明日やっておくよ。この流木だっていつまで在るか分からないし。」

「明日は私ら、集まらないよ?」

「またここに来て、必要な部分をノコギリで切るだけだから一人で大丈夫だよ。そうしておけば明後日から、もう作業に入れるし。」

 皆どこか気を遣っている様子だったけれど、そもそも僕の希望で始めた事だから平気だと付け加えると、頷いてくれた。

「分かった。じゃあせめてさ、切った流木は美術室に置いてっていいよ。」

「え。」

「あ、ただし準備室の方ね。だってこれ持って帰って、また部活日に持って来たりするの大変でしょ。」

 確かに僕の体力では辛いだろうし、登下校の際かなり目立つ事だろう。

「……でも部長、勝手に物を持ち込んだりして大丈夫?」

「全然平気。さっきも言ったけど準備室は私が整理してるし、そもそも部活で使う物を部室に置いとくのは当たり前でしょ?」

 〝美術部の部室〟という発想を持っていなかった。しかし言われてみれば、そうかも知れない。

「分かった……じゃあお言葉に甘えます。」

「OK。一番奥の棚の、たぶん下段かな。明日の放課後までには空けとくから、そこ使いなよ。」

 そして米塚部長は正面に向き直り、再度手を叩いて声を張る。

「では今日はここまで。暗くならない内に帰りますよー。みんな忘れ物しないようにね。」

 各自が応えつつ周囲を確認して、それぞれ砂浜にほうった自分の荷物へ向かう。

 しかしここまで人をまとめられるのだから、彼女はもっと大人数の部活を統率すべきでは無いだろうか。そう考えつつ、僕も自分の鞄を拾い上げた。砂が付着していたけれど、その手触りは不思議と快くて、ついはたき落としそびれてしまう。

 部員たちに続きコンクリートブロックのステップを上る前に、僕はもう一度海を振り返った。誰もいない砂浜に、五人分の足跡が残されている。

 不思議と潮風が、先ほどよりも冷たく感じられた。




   三、片割かたわれのよう




※ 後注


*⁸石膏像

主にデッサン練習で使われる像。ギリシャ彫刻を模した物が多く、マルス胸像などが代表例。


*⁹白鍵

鍵盤で幹音を割り当てられた白い部分。ちなみに派生音の黒い部分は黒鍵こっけん



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