春が来た日 1

 待ち合わせは駅前。土曜の昼過ぎという時間帯にしては、人通りは少ない。

 これも自粛ってやつかなあ……。

 今野こんの美月みつきは独りごちる。

 もともと賑わいがあるわけでもないけれど、近くにショッピングモールがある関係で、休日となればそれなりにごった返す。しかし今は人の姿もまばらである。駅前のタクシー乗り場では、運転手のおじさんが外に出て背伸びをしていて、みんな暇そうだ。

 肌を刺すような冷気はなりをひそめ、太陽の光は柔らかい。ポカポカ陽気といって差し支えないだろう。季節は移ろい、春が近づいていることを実感する。

 やっぱり屋根のあるところで待っていようか。でも、影にいるとちょっと寒いかなあ。

 そんなふうに思案していると、一台の車が停まった。シルバーの軽ワゴン車。助手席側の窓が下がり、中から顔を覗かせたのは、美月が待っていた人物。

「紺野さん」

「悪い、遅れた」

「いえ、遅れるかもって連絡はいただいてましたし」

「乗って」

 言い置いて、顔が引っ込む。お出迎え用の停車場といえど、あまり陣取るわけにもいかないだろう。美月はあわてて助手席に乗り込む。シートベルトを締めたことを確認したのち、車はゆるやかに発進した。




 ゴトゴトと、背後から音がする。座席を倒した後部は全面が荷物置場になっており、発泡スチロールのトロ箱が、振動に合わせて揺れている。

「配達ですか?」

「そう。弁当の」

「ああ。利用者っているんですねえ」

「うちの担当エリアはまだ少ないほうだと思うけど、それなりにな」

 オンライン注文の社員食堂サービスは、法人向けを謳っていることもあり、休日も請け負っている。週休二日制の会社ばかりではないし、二十四時間フル稼働する職種もあるのだ。そういった業種に向けて、土日祝は固定メニューのお弁当を受け付けているらしい。

 らしい、というのは、美月の会社では利用していないからだ。紺野いわく、契約内容によって価格が違うのだとか。

 休日出勤するひとがいないわけではないけれど、一ヶ月に一人いるかいないかの社員のために、割高のプランを選択するわけがなく。おかげで美月は、その「休日弁当」がどんなものなのか、味わったことがない。

 いちおう写真だけは見たことがある。美月が興味を持っていたため、紺野がスマホに送ってくれたのだ。白米とおかずが別々に詰められていて、ごはんの量は三段階から。おかずのみも可で、むしろこれを平日にも取り入れて欲しいと、切に願っている。

「ほんと、悪いな。店に帰ってから迎えに行くつもりだったんだけど、配達に時間喰って。待たせるよりは、このまま迎えに行ったほうが早いかなって」

「あー、いえ。ほんと気にしないでください。乗せてもらって、むしろ楽をしてます。お店、ここから近いんですよね?」

「歩きなら細い道を行けるんだけど、車だからちょっと遠回りだな。そこもスマン」

「ドライブできて、私は楽しいですよー」

「……おう、そっか」

「はい」

 美月がこうして出かけてきたのは、紺野こんの瑞貴みずきが勤める店に行くため。以前から行きたいと思っていたが、なかなか都合が合わずに実現しなかった、お店訪問だ。

 不要不急の外出が云々と、会社のお偉いさんの名前で文書もまわってくるものだから、出かけづらいところもあった。飲食店側も時短営業を推奨されていたようだし、彼が勤める店もまた、ご多分に漏れず。来店人数を絞ったり、予約時間をずらして予約者同士の接触を回避したりと、いろいろやっていたらしい。

 規制もだいぶゆるくなり、季節も変わることだし、春のメニューを――というところで、今回の訪問だ。試食をしないかと誘われ、一も二もなく同意した美月である。


 小料理屋はるひ

 夫婦で営んでおり、従業員は全部で四名という小規模店舗。そこで料理を作るのは店主と紺野。接客は店主の妻と、同僚男性が一名という構成だ。

 美月が事前に調べたところ、気軽に和食を楽しめる店として、くちコミサイトでの星の数はそこそこ高かった。投稿者によるコメントもおおむね好意的。一名様から立ち寄れて、十数名での会食も可。生活圏内から外れていたこともあり、利用したこともなかった店に行くのは、心が浮き立つところである。

 店については、昼休憩のちょっとした時間に聞いたことがある。

 根掘り葉掘りというわけではないけれど、どんな店なのかを訊ねた話の流れで、紺野自身が話してくれたのだ。

 店主である春日かすが哲史てつしとは、数年来の付き合い。同じ料亭に勤めていたが、独立する哲史から誘いを受け、円満退社で移った経緯があるらしい。

 二人が最初に勤めていたのは、とある高級料亭。紺野家は料理人の一族らしく、親戚の紹介で入った店だ。コネ入社みたいだな、なんてひそかに思った美月だが、そういうことは存外に多いらしい。

 仕事を始めたはいいが、だんだんと悩むようになってきた。

 繊細な味付け、芸術性の高い料理。客層に合わせた高級感あふれる料理は素晴らしいけれど、紺野自身はもどかしい想いを抱えるようになっていったという。

 大衆食堂やラーメン屋、縁日や海の家のバイトなど。すぐそこにお客さんがいて、顔が見えて声が聞こえる距離で料理を提供し、ダイレクトに反応を感じる。

 自分にとって比重が高いのは、そういった部分なのだと痛感したらしい。

 彼のそういった気持ちは周囲にも透けていたらしく、哲史はくすぶっていた紺野に声をかけたし、店の大将もまた、彼を送り出してくれた。

 感謝してるよ――と笑った顔は清々しくて、以前の店とも良好な関係だったのだろうなあと、なごやかな気持ちになったものだ。職人の世界はすごいと、一般事務員の美月は感嘆の息をつくばかりである。



     ◇



 いくつかの角を折れ、やがて車は白壁で囲まれた店の前で停まった。窓の外では、格子の木戸が閉まっている。

「車、裏にまわしてくるから、降りて待ってて」

「了解です」

 角を曲がって消えた車を見送って、あらためて店構えを眺める。

 平屋建てで、あまり大きくはない。四台ほどの駐車スペースがあるが、いまは一台も停まっていなかった。付近に他店舗と呼べるものは見当たらず、競争相手がいないといえば聞こえはいいけれど、人通りが少ないといえなくもない。

 ――たしかここからもうちょっといけば、飲み屋街があるよねえ。

 忘年会や歓送迎のシーズンになると、候補にあがるエリアだ。もっとも今年は会食NGのため、いっさいおこなわれていないけれど。そのせいもあって、客足は遠のいているのかもしれない。

 ぼんやり考えていると、内側から紺野がやって来て、カラリと木戸を開く。

「入って。こっち」

 手招かるまま、うしろに付いて歩く。石のアプローチを通って入口へ。準備中と書かれた表示を無視して、紺野が中へ入っていく。

 なんだろう。すごくうしろめたい。

 まるでお店の秘密を覗いているような心地で、なんとなく背を縮めてしまう。

 客のいない店内は、しんと静まってはいるけれど、物音と人の声がする。

「ただいま戻りました」

「おかえりー、ご苦労さま」

 返ってきたのは、女性の声だった。同時に左側から誰かが出てくる。市松模様の和装デザインのシャツに、同系色のバンダナをつけた女性。三十代後半ぐらいだろうか。こちらを見るとパンと胸の前で手を合わせて声を弾ませた。

「いらっしゃい。美月ちゃん、よね。紺野くんと同じ苗字の、社員食堂のお得意様!」

「あー、はい。今野です。いまに野原のほうの、今野です」

 バレテーラ。

 隣の紺野を見上げると、眉根がずいぶん寄っている。

「ユキエさん」

「もう、いいじゃない。美月ちゃんが来るの、私だって楽しみにしてたんだから」

 言いながら近づいてきた女性は、美月の前で頭を下げる。

「はじめまして。春日かすが雪恵ゆきえです。春の日に雪の恵みです」

 美月が「コンノ」違いを説明したせいなのか、似たような自己紹介をされて面食らう。けれど、そのおかげで脳内で漢字が浮かび、目の前の女性と結びついた。うむ、雪恵さんか。

 名前呼び。職場の仲間なら、そんなものだろうか。

 そしてなぜか、自分まで「美月ちゃん」と呼ばれていることに遅れて気づく。

(まあ、べつに不思議じゃないっていうか、紺野さんが普段そう呼んでるしなあ)

 正確には「美月さん」と呼ばれているわけだが、それに関しては仕方がないような気はしている。なにしろ自分は今野で、彼も紺野。文字の上ならともかくとして、発音する場合はコンノコンノでややこしい。

 下の名前で呼んでもいいかと問われて、了承した。美月自身は特に気にはならないけれど、自分と同じ苗字の人物に声をかける際、呼びづらさを覚えるひともいるだろう。

 ならばこちらも合わせて瑞貴さんと呼ぶべきなのかもしれないが、それはなんとなく気恥ずかしい。男の子を下の名前で呼ぶなんて、学校という空間を出て以来、とんと縁がないのだ。


 圧倒されていると、さきほど雪恵が出て来た場所から、もうふたり現れる。いかにも料理人といった格好をしている男性と、美月らと同世代と思われる青年。雪恵とは色違いの服を着ている若いほうが、にっこり笑って近づいてくる。

「こんにちは、はじめまして。キミが噂の美月ちゃん?」

 そんな男の動線上に入り、美月の前に立ちはだかったのが紺野だ。見上げるほどに大きな背丈に阻まれ、美月は思わず一歩うしろへ下がった。こうして近くで見ると、がっしりしていて背が高いし肩幅広いし、男のひとだなーと思い知る。

「いや、おまえじゃないし、オレは美月ちゃんに挨拶してんの」

「ソーシャルディスタンス。近づくな」

「うわ、こころ狭っ」

 紺野の脇からひょいと顔を覗かせると、男は笑う。

「ここで働いている飯島いいじま拓人たくと。気軽に、たっちゃんって呼んでね」

「はあ……」

 あ、このひとチャラい。

 美月は身体はそのままに、気持ちだけはさらに後退した。こころのソーシャルディスタンスは完璧だ。

 そんな美月の腕を取り、雪恵が中へ誘っていく。未だ言い争いを続ける男ふたりの傍を抜け、料理人の男のところにまで来ると、手のひらを向けて告げる。

「こちらが店主。うちの旦那ね」

「はじめまして、春日です。今日はわざわざありがとう」

「いえ、こちらこそお招きいただき、ありがとうございます」

 一礼して顔を上げ、目前の男を見る。キリリとした眉は険しい印象を与えそうだが、ゆるくほころんだ口元のおかげで、人の好さそうな笑みに早変わりだ。

 短く刈りこんだ黒髪にはちらちらと白いものが混じっていて、四十そこそこといったところだろうか。若々しい印象の雪恵だが、こうして哲史の隣に立つと、すとんと落ちついた物腰の女将に見えるのだからすごい。


「おまえら、女の子ほっぽってなにやってんだ」

「だっててつさん、紺野がさあ」

「すみません、準備します」

 だらりと不平を述べる飯島に対し、紺野は背を正した。哲史について向かった先は、厨房のようである。対面式のカウンターがあり、その奥に見える形で厨房がある。こんなところも食堂っぽくて、美月はくすりと笑う。

「好きなところ座ってね。どこにする?」

「えーっと、どうしましょうかね」

 雪恵の言葉に、美月はぐるりと視線を巡らせた。



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