小人さん語り<手紙編>2
同僚は、「こんだけ喰うって、どんな女だよ」と呆れていたが、瑞貴はそれのどこに問題があるのかわからない。なにしろ相手は、
「それにほら、大食いタレントには、女だって多いだろ」
「いや、あれはそういうキャラだし、仕事だし。一般人で大食いっつったら、横幅広いって絶対」
ないわーと、彼は首を振る。
それはまあ、たしかにそうかもしれないけれども、大体にして、皆は騒ぎすぎだと瑞貴は思う。
向こうは配達先の会社員で、こっちはただの弁当業者だ。接点などないに等しい。
相手先とは、必要最低限の接触を心がけるようにしていた。誰もいないすきを狙って食堂に入り、炊事場からは出ないようにしている。受け取り時間のリストを確認しながら調理し、専用の発泡スチロール箱に詰めて所定の机に置いておく。取りにくるひとの姿も、見ていない。
徹底しなければ、このご時世、なにが槍玉にあげられるかわからないのだ。これは、瑞貴ひとりの問題ではない。
いつものように「今野」の箱に手をかけると、中からはなにかが転がる音が聞こえた。手紙以外のものが入っているようだ。
蓋を開けてみると、綺麗に折られたメモ用紙以外に、ボールペンが一本入っていた。軸に施されたなにかのキャラクターは、塗装の一部が剥げかけていて、これが決して新品ではないことを伝える。
今日、瑞貴は初めて手紙以外のものを忍ばせた。
店でよく使っている箸置きを作っているとき、店主の奥さんが「美月ちゃんにもひとつあげるから、彼女のは紺野くんが作りなさい」と厳命したせいだ。五種類ある紙の中から悩み抜き、いつもより時間をかけて、丁寧に作った。なんだかニヤニヤした目で見られているような気がしたが、当然無視した。
乱暴にポケットに詰めこんで配達先へ赴き、彼女の箱にそれを入れた。
どういう反応をされるか、緊張していたことは否めない。
いきなり距離を詰めてきた、キモイ――などと思われたらどうしようと思いつつも、彼女であれば、そんな攻撃的な言葉は使わないはずだという確信もある。これを機会にフェードアウトされたとしたら、それまでだろう。
しかし、これは予想外だった。
ボールペン。しかも、使用済み。
(あいかわらず、面白いよな、こいつ)
瑞貴が独りごちたとき、入口から誰かが走りこんできた。
「す、すみません、それはあのゴミを入れたわけではなくってですね、調理担当の方に是非とも御礼をと思いましてっ」
視線の先にいたのは、瑞貴よりも年下らしき女子だった。契約を交わした時に見かけた、総務部の女性社員と同じ制服を着ており、肩にかかるセミロングの黒髪を揺らしている。まさか、
「……あなたが、今野さん? 今野美月?」
「はい、コンノです。コンノミ
本当に、彼女がそうだったらしい。
見た目は普通だ。ガリガリに痩せているわけではないし、かといって筋肉質にも見えない。制服がはちきれそうなわけでもないし、身長は高くもなく低くもない。どこまでも普通の彼女は大きな瞳を限界まで広げて、こちらを警戒する素振りをみせた。
だから瑞貴は、説明する。むかし祖父の店で名前を見たこと、ラー油カレーを指摘されたことで、同一人物ではないかと思っていたこと。
すると彼女は、料理を作るのか? と驚いた声をあげたではないか。嫌な予感がして、手紙を掲げて問いかける。
「……もしかして、俺、女だと思われてた?」
「え――」
絶句し、目が泳ぐ。どうも図星だったらしい。
なるほど。随分と親しげに手紙を送ってくると思っていたが、同性だと思っていたのか。
――なぜか、無性に腹が立った。俺はあんなに動揺したのに、彼女は今の今まで気づかなかった? なんだよ、それ。
「あなたが、食堂の小人さん?」
「なんだそれ」
「誰にも姿を見せずに料理を配膳して回収するので、我が社ではそう呼ばれています。一部では忍者とも言われてますが」
真面目な顔をしてそんなことを言うものだから、瞬時に怒りは霧散し、瑞貴は笑いだす。やっぱり「今野美月」は面白い。
ついでに、こちらも白状することにした。性別を勘違いしていたのは、お互いさま。考えてみれば、瑞貴だって非難される立場だ。ひとのことは言えない。彼女に怒るのは筋違いだ。
祖父が言葉を濁していた理由がわかったし、コンノミヅキに執着する己に見せた笑みにも、納得がいく。相手が女の子だったのだから、当然だ。
しばらく話をしていたが、今は昼休憩のはず。食堂の時計を見るに、そろそろ時間切れだろう。スマホの画面を眺めて焦ったような顔をしている姿から察して、瑞貴は話を切り上げることにした。最後にボールペンを返しておこうと、口を開く。
「一瞬、プレゼント返しかと思った」
「使いかけなんてあげませんよ、失礼だし。あ、箸置き、ありがとうございます。すっごく素敵。大事にしますね」
べつに謝罪を求めていたわけではないし、責めるつもりもなかった。
ただ、ほんのすこしだけ。悔しいから仕返しがしたい気持ちはあったのだけれど、それに対して返ってきたのは、笑顔だった。
他愛なく、軽口の応酬をしていたさっきまでの雰囲気を、一変させる。顔全体で笑顔をつくるような、場を明るくする朗らかな笑みに、瑞貴は目を見張る。
完全に不意をつかれた。
やばい。ものすごくやばい。
(……めちゃくちゃ、かわいい)
この瞬間、紺野瑞貴は、完膚なきまでに彼女に堕ちた。
御礼になんでも言ってください、なんて、男に言う台詞じゃないだろう。今野美月は、清々しいまでにこちらを意識していない。
――なら、意識させるまでだ。
瑞貴は呟く。
なにしろ餌付けは完了している。彼女の好みは熟知しているのだ。
翌日の手紙には、店の詳細ではなく、個人の連絡先を記載した。律儀な彼女は、きっと己の情報を返してくれるだろう。
その無防備さは少々心配で、どうか他の男に同じことをしてくれるなと、勝手に願ってしまう。社交的な性格を利用して、さりげなく個人情報を得ようとしている自分はもちろん棚上げだ。
まずは店に来てもらって、料理を食べてもらいたい。
店主に頼んで、厨房を使わせてもらって、彼女のためだけに調理する。
それを食べる姿を眺めたい。
一体、どんな顔をして食べるのだろう。
想像すると、胸が躍る。
ごちそうさまでした。
手を合わせて浮かべるであろう、天使のようなあの笑顔をもう一度、今度はすぐ近くで見つめたいと思いながら、瑞貴は彼女の訪れを待った。
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