社員食堂の小人さんと秘密のお手紙 3
百均のチープなメモ用紙じゃ申し訳ないような気がして、同じ百円でも色や模様の入った綺麗目なものをチョイスするようにした。ちいさな手紙のやり取りをするなんて、なんだか学生時代を思い出す。複雑な折り方をうっかりネット検索する始末だ。
感化されたのか、向こうの手紙もただの四つ折りではなくなった。
美月が名前を記すようになったせいなのだろう。先方も名前が入るようになった。驚いたことに、相手も「コンノ」さんらしい。糸偏に甘いと書くほうの「紺野さん」である。美人は名前の印象も美しい。
今日は、和紙製の箸置きが入っていて、「よかったら、どうぞ」と、いつも丁寧な字が紙面で踊っている。どちらかといわなくてもズボラな美月は、これを大切に使うことに決める。昼食の楽しみが増えた。
箱を返却して机に戻ったとき、ボールペンが見当たらないことに気づいて席を立つ。文房具ひとつとっても、管理が厳しい。おまけにくだんのボールペンには、名前が入っているのだ。拾われるのは、少々恥ずかしい。
廊下に目を配りながら食堂方面へ向かうと、中で誰かが動く気配がした。社員の誰かかと入口から覗くと、背の高いがっしりとした男性がひとり。首からぶらさげた外部用の通門証が見えて、空箱回収の業者さんだとわかった。
美月の箱が引き取られる前に、中を確認させてもらおう。
そう思ったとき、男がおもむろに蓋を開けた。そして、美月が入れた紙を取り出したのだ。男の大きな手には、一緒にボールペンが握られている。
「す、すみません、それはあのゴミを入れたわけではなくってですね、調理担当の方に是非とも御礼をと思いましてっ」
慌てて走りこみ、言い訳をはじめた美月を見て、男は固まった。
「……あなたが、コンノさん? コンノミヅキ?」
「はい、今野です。今野美月です……あれ、なんで下の名前」
ボールペンには名字しか入っていないはず。
首をかしげる美月に対し、男のほうもなにやら動揺を隠せない声色で、再度問いかけてきた。
「大盛り麻婆豆腐のディフェンディングチャンピオンの、コンノミヅキ?」
「え……」
なぜ美月の黒歴史を、この見知らぬ男が知っているのだろう。警戒する美月に、男は溜息とともに、大きくて広い肩を落とした。
「予想外だ。ボリューム弁当をペロリと平らげるぐらいだから、もっと、こう……」
じりじりと後退しつつ、けれど過去バレしていることが不思議で退出もできず、じろりと睨む美月に対して、男は再度息を落とした。意を決したように、口を開く。眼光が鋭く、蛇に睨まれた蛙のように、美月は動けない。
「カレーを食べたあとに入っていたメモを見て、あの中華料理店を知っている奴だって思ったんだ。じいさんのカレーを食べたことのある奴は少ないし、なによりコンノって名前だったから、もしかしたらコンノミヅキなのかなって思ったんだよ」
「お孫さんなんですか?」
「孫のひとり。俺は中華が専門ってわけじゃないけどな」
「料理、作られるんですか?」
ガテン系の仕事が似合いそうな風貌なのに、と驚いた美月の言葉に、男のほうも目を見開いた。なにやら口の端が引きつっているような気もする。手に持っていた美月の書いた手紙を掲げて、苦笑いを浮かべた。
「……もしかして、俺、女だと思われてた?」
「え――」
絶句した美月の瞳に、男が首からかけた通門証が見えた。
「紺野、さん? あなたが、食堂の小人さん?」
「なんだそれ」
「誰にも姿を見せずに料理を配膳して回収するので、我が社ではそう呼ばれています。一部では忍者とも言われてますが」
男は――紺野氏は吹き出して笑った。迫力のある大きな笑い声が閑散とした食堂に響き渡る。短く刈りあげた清潔そうな黒髪。さっきまで見せていた鋭い目つきはゆるみ、笑うと印象が変わった。
「いいな、それ。これからもせいぜい隠遁するよ」
「えーとあの、すみません」
「いいよ、面白いし」
「そうではなくて、その、とんだ勘違いを……」
思いこみにもほどがある。頭を下げる美月に、紺野は言った。
「謝らなくていいよ。っていうか、俺のほうこそ勘違いしてたし」
「それは、なにを?」
大食漢に相応しい体型をしているのではないか、ということだろうか。
すると紺野は首を振った。
「コンノミヅキって名前、俺の名前と同じだろ。だからすっかり、男だと思ってた。コンノミヅキに勝つのが俺の目標だったんだけど、結局勝てないまま、じいさんの店がなくなった」
じいさんがニヤニヤ笑ってた理由が今ならわかるよ――と、紺野はまた笑う。
離れた距離を保ったまま、美月は紺野と話をした。店を閉めたあとのおじいさんについて問うと、存命中らしい。ほっと胸を撫で下ろす。親しいといえるほどの間柄だったわけでないが、裏メニューを振る舞ってもらえる程度には常連だった。十代の女子でありながら、同い年の男子を上回る食欲を見せる美月を、祖父ともいえる世代の店主は、目をかけてくれていたと
紺野に、店の話を訊いてみると、彼は雇われ料理人らしい。自身で店を構えられるほどの資金がないとか。年齢的にもまだまだ――と自嘲する彼は、現在二十八歳。思っていたよりも若かったとは、内心で呟くに留める。
そのとき、ポケットに忍ばせていたスマホが震えた。昼休み終了五分前の合図だ。
画面を見て慌てる美月に、紺野も姿勢を直す。そして、机に置いていたボールペンを美月に手渡した。
「一瞬、プレゼント返しかと思った」
「使いかけなんてあげませんよ、失礼だし。あ、箸置き、ありがとうございます。すっごく素敵。大事にしますね」
自然に漏れた美月の笑みに、紺野は目を泳がせる。
「……あー、うん」
「さっきの話じゃないですけど、御礼になにか」
「いや、いいよべつに。どうしてもっていうなら、その……」
「どうぞ、ご遠慮なく。いつも美味しい食事を堪能してますので、なんなりと」
ぐっと拳を握る美月に、紺野はなにかの覚悟を決めるような声で申し出た。
「俺が働いている店に、食べにこいよ」
「是非。むしろ積極的に行きたいですし、お店があるか訊こうと思ってたぐらいです」
「そっか。店の場所だけど」
「明日、メモ入れておいてください」
「わかった、そうする。ちなみに明日は海老の出汁が効いた餡かけがオススメ」
「注文します!」
ポケットのスマホが、さらに時間を主張する。ダッシュで戻らなければ、午後の始業に間に合わない。
「では、ごちそうさまでした」
「明日も待ってるから」
「はい、また」
翌日、いつものメモには電話番号とメールアドレスが付記されていて、スマホに入力する。
オンラインでのやりとりもいいけれど、やっぱり手紙のほうが好きだな。
雄々しい見た目とはうらはらな、繊細で美しい字を手でなぞりながら、美月はそう思う。
(いただきます、紺野さん)
知っているけど知らなかった相手に向かって、美月は手を合わせて頭を下げた。
さて。
食べ終わったら、身体の大きな、小人さんに会いに行こう。
ありがとう。美味しかったです。
今日は直接伝えよう。
また笑ってくれたら嬉しいと、美月は思った。
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