第4話 自分の立場についてしっかりと把握しました

「ミツカ姫、お茶をお持ちしましたが、入ってもよろしいでしょうか?」

扉の前から声をかけられ、ミツカが了承すると、恭しく女性が部屋に入ってきた。

彼女は最初に会った女性とは違う華やかではないが品の良い和装に身を包んだ女性だ。

先程、屋敷の中を歩いた時にミツカは彼女と既に出会っていた。

ミツカの前にお茶を用意しながら申し訳なさそうに彼女が声をかける。

「先程は帰りのご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。ミツカ姫、私が不在の間メイドたちは姫に粗相などなさいませんでした?」

していない、という意味を込めてにこやかにミツカが首を横に振ると彼女は安堵の表情を浮かべた。

彼女の名はハナ。

この屋敷のメイド長であり、ミツカ付きのお世話係だ。

他のメイドと違って姫であるミツカ同様、和装をしておりこの屋敷での立場の高さがうかがえる。

彼女はミツカの身の回りの世話から、政務の補佐まで担っているのだ。

今回も政務の用事で遠方で仕事をして、先程この屋敷に帰ってきたばかりだった。

「そうそう、姫。こちらに帰ってくる途中でカゲナ様と顔をあわせまして。昼過ぎには姫にご挨拶をしにこちらに足を運ぶと言っておりました」

突然、聞き覚えのある名前が耳に飛び込んできたミツカは啜っていたお茶を思わず吹いた。

「姫!?大丈夫ですか!?お茶が熱すぎました?」

ミツカは口からお茶を垂らしながらも、首を横に振る。

ハナが慌てて持ってきてくれた手ぬぐいをありがたく受け取り、ミツカは口元を押さえる。

カゲナ?

ここが『愛に惑う魔道者』という乙女ゲームの世界だということはわかっている。

その『愛に惑う魔道者』の登場人物の名前が今ここにきて初めて出てきた。

カゲナはメインヒーローでないながらも、この『愛に惑う魔道者』の恋愛対象キャラの一人だ。

恋愛対象キャラをジャンル分けするなら彼はヤンデレ。

ヒロインを溺愛しながら、少し……いや、だいぶ歪んだ思考を持っている。

ヒロインの周りから徹底的に人を排除してみたり、ヒロインに気づかれないようにヒロインを自身の城に閉じ込めたり。

それはそれは、ヤンデレ好きにはたまらないエピソードがわんさか出てくる。

今、少々青ざめているミツカはヤンデレ好きというわけではない。

カゲナのエンディングも見たが、それはそのゲームを完全クリアしたかっただけ。

カゲナのファンには申し訳ないが正直、理解できない展開も多かったというのが本音だ。

そのカゲナの名前が出てきたということは、ミツカはカゲナの関係者ということだろうか。

『愛に惑う魔道者』のカゲナのストーリーでミツカなんてキャラがいただろうか。

ミツカの立ち位置からしてそのゲームでも姫として存在していたんだろう。

ミツカは頭をフル回転させて『愛に惑う魔道者』のミツカを探した。

女キャラだとミラしかでてこない。

ミラというのはメインヒーローの婚約者でヒロインの恋路を邪魔するライバルキャラ。

推しのジェイのストーリーによく出てきていたので彼女のことはよく覚えている。

けれど、ミツカの覚えている限り、カゲナのストーリーにライバルキャラはいなかった。

推しでもなかったキャラのことまでわからない、とミツカは心の中で頭を抱える。

けっこうストーリーもスキップ機能でとばしてた。

早くクリアしたかったから適当に読みとばしもしていた。

そのツケがこんなところに出ようとは。

そしてミツカは平静を装いながら恐る恐るハナに問う。

「なんでカゲナ……様?が、私に会いに来るんだっけ?なんか会う用事でもあったかなぁーって?」

カゲナをどう呼んでいたのか。

どういう関係性か。

会った時、どう対応すればいいのか。

ミツカは探り探り、ハナにたずねようとした。

そんなミツカの背後から声がふりそそぐ。

優美で美しく隠しきれない妖艶さを孕んだ優しげな声音で

「おや、何か用がなければご挨拶もさせていただけないのですか?婚約者殿」

「……!?」

ミツカが弾かれたように振り返る。

そこに立っていたのは目を瞠るほど美しい男性たちだった。

一人の男性は優しげな柔和な笑みをたたえていて穏やかな雰囲気を纏っていた。

けれど、どこか妖しげな魅力を持ち、その不確かさが彼の妖艶な美しさを際立たせている。

ミツカは彼らを知っている。

もちろんアニメ絵だったけれど、服の見た目、切れ長の瞳、美しい漆黒の髪。

今目の前にいる男はアニメ絵で描かれた彼よりずっと美しい。

「カゲナ様!?それに従者の方も!姫の了承なく勝手に部屋に入られたら困りますっ!!」

ハナが声を荒げ、批難の目を彼に向ける。

そんなハナの言葉などどこ吹く風で、カゲナはミツカに一歩近づいた。

この部屋にいることさえも、さも当然のように。

息が止まるほど美しく、溺れてしまいそうなほど妖艶で、完璧ではなくどこか歪んだ色を孕んだ瞳でミツカに笑いかけてくる。

「カゲナ……様……」

擦り切れるように微かな声で、ミツカは彼の名を呼ぶ。

彼に婚約者殿と呼ばれた時、ミツカは自身の立場を完全に把握した。

思い出したのだ。

『愛に惑う魔道者』の中に出てくるミツカの存在を。

ミツカはヒロインではない。

もちろんライバルキャラでもなければ、ヒロインの友人でもない。

もっと言えば、ゲーム本編にはミツカの姿すら出てこない。

名前だって一度だけ出てきただけ。

重要な立場を持っているけれどただのモブキャラ。

ミツカはカゲナに捨てられた婚約者。

けれど彼女は少しも哀れまないし、憐れまれもしない。

何故なら彼女とカゲナは、互いに利益を重んじた政略結婚の相手でしかない。

彼女は婚約者の立場をヒロインに快く譲り、以後ゲーム本編には一切登場しない。

ミツカは部屋に入ってきた男たちを見つめ、ため息を漏らした。

そして静かに微笑んだ。

自身の心を、息が止まるほど美しく、溺れてしまいそうなほど妖艶で、完璧ではなくどこか歪んだ色を孕んだ瞳の婚約者に悟られないように。




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