第8話 おとぎ遊び

暗がりの中で、空気を擦りながら動く紐を見た。まるで生き物のようにうごめいて、体をしならせ、絶えず動き続けている。


「あと二匹だ」

「間違えても当たるなよ……!」

大きな体を持つ影と、小さく素早い影。互いにぶつかって触れることのないように――明日からの生活が絶たれることのないように、息を吸い声を発した。


その目前で、紐に捕らわれ細切れになった“ガラスの怪物”が、ぐらりと歪みながら傾いていく。ぱきり、と割れた角。涙のようにこぼれる、透明な目。長かった四肢は、氷柱のように鋭く砕け、がしゃり、がしゃりと地面に横たわる。先ほどまでくっついていたのが嘘のように、“ガラスの怪物”は実にあっけなくバラバラと崩れていく。


「“ガラスの怪物”を倒した報酬が、ガラスとは……とんだ笑いもんだ」

「もう見飽きたけどね」

休みなく飛び続けていた小さな影が、ようやく止まった。後ろでは大きな影が、振り回していた紐を巻き納めている。


「“これ”は、ワタシたちと変わらぬよ。血の通った生き物の、骨に同じなのだから」

「……!」

ちりん、と風のない荒野で鈴が鳴る。

間に割って入った、黒い女の足元からだ。

「ここら一帯には、もういないようだ。ご苦労だった」

二つの影にそう言葉をかけた後で。女は、自らの衣が砂で――更に言えば、指先が鋭く切れることもいとわずに。膝を折り、“ガラスの怪物”の破片に触れる。


「なりません、血が流れます……!!」

「回収部隊に任せられては」

女は、よく響く声と、静かに咎める声に挟まれた。影たちからすれば、女は唯一の『光』に違いなかった。女の持つ高貴な地位も、柔らかな身体も――欲さんとする輩は多い。光たる女に刃が差し向けられることは、影たちには耐え難い苦痛だった。


けれども、女は首を横に振るだけで応えた。――“援軍は来ない”と。

「……!」

「承知しました」

来るはずだった回収部隊も、皆怪物にやられたのだ。女が言うのだから、間違いない。


「力を貸しておくれ。ワタシひとりでは、とても抱えきれない」

女の申し出に、二つの影は固く口をつぐんだ。そうして、分厚い保護手袋を口端で噛むように取り外すと、女に倣い、素手で破片をかき集めていく。


ざり、と砂を削り、這うような線を描きながら、“かつてガラスだったもの”は山になっていった。

「ワタシの髪は、役に立っているか?」

女の細い腰に携えられた麻袋には、夜の色に怪しく溶ける、ガラスの破片が詰まっていた。“ガラスの怪物”を細切れにして鎮められるのは、ガラスのように透き通った、女の髪だけ。その事実を知る影たちは、静かに頷く。


女の髪は、テグスのようによく切れる。――昔、飴玉と間違え、誤ってガラスのビー玉を食べたのが事の始まり。その後、娘は美しく成長し――長くなった髪を盗人に引っ張られたときだ。黒く磨きあげられた髪が、男たちの分厚い皮膚を音もなくするりと断ち切ってしまった。指のひとつも残さずに。


「回収、終わりました」

「――急ぎ、届けさせましょう!」

散り散りになった他の影たちを集め、情報を募る。その傍らで、女は両の手をぴたりと顔の前で合わせ、祈っていた。

「届けておくれ。心やさしい魂の元へ――ワタシの、妹の元へ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る