第7話 息をする木

「……どうして手紙を書いたの」

男が、ぱちぱちと弾ける焚き火の音に目を開いたとき。横たえた足元の、まだ先――遠くから、確かに少女の声が聞こえた。


うん、と低く唸りながら、男はベッドからゆっくりと体を起こす。少しばかり長く眠っていたらしく、ぼやけた視界はすぐには治らない。灰色がかった髪を手で押さえて直しながらふと、遠い少女に微笑みかける。


「何故だろうな」

「はぐらかさないで」

「……」

「ガラスになったものたちを、古くから“記録する”――“わたしたち”の存在をほのめかすなんて、ご法度だわ」

少女の言っていることは、書き換えることのできない事実だ。現代において、本当の“記者”――“ガラスに関する記録者”は、男と、目の前にいる少女しかいない。


各地に点々といたはずの仲間は、ある日忽然と行方知れずになった。今までだってそうだ。


しかし、事実の全てを世に開示することは、記録者たちの間では当然の禁忌とされてきた。ガラスに成り果て消えていった、存在全てを記録し続けてきた“記録者”。その存在が世に知られれば、たちまちメディアは鋭い歯でかじりついてくるだろう。いくら逃げようにも噛み跡は隠せないし、都合の良い隠れ家も、監視をかいくぐるほどの十分な猶予もない。


自分たちは、少しでも多く書き残すことを使命とされているから――


「残すということは、隠すのとは違う。むしろ、見つけてもらわなくては」

「……知らないほうがいいこともあるわ」

「――あまり具合がよくないな」

男は、うつむく少女の髪を右手ですくいとり、頬をあたためる。一瞬。ひやり、と冷たい血の感触が、空気を震わせた。


少女は少しでも長く熱を留めようと、頬に添えられた男の手に指を合わせる。森の樹木のように、静かな時を重ねた男の手。光が恋しくて、蔦のように絡まる少女の指。静寂を破れるものは、今ここにはいなかった。


「もしも人間がガラスになったら、透明になって、触れなくなるのかしら」

「だとしても、私たちには、ガラスになったものたちの痛みは分からない。ガラスに触れることのできない、あの少年……彼は間違いなく、こちら側の人間だ」

男の言う“少年”が、“記録者”としての道を歩み始めるとするならば、それもまた運命なのだろう。ガラスに触れないということは、“ガラスになったものたち”の生い立ちや傷が、感じ取れないも同然のこと。記録者として詳細を書き残すうえで、必要な情報の一部が欠けることになる。


「必要なときには、手を貸し協力せねば。今後恐らく、何処かで出会うだろうから」

「……ひとりで行かない?」

「そんなにすぐ、何処かへ飛び出していきそうに見えるか」

実にあっさりと男が返すものだから、少女は不安げながらも“ええ”と日が射し込むような笑みをこぼした。


「例え触れられずとも、心まで離れたつもりはない。そうだな、私は――君を、避けられる危険に巻き込みたくないのだ」

「……ずるいひと」

吸い込んだ熱を、その先の言葉と共に飲み込んで。どちらも何も言えずに、ただ二人一緒にいられる時間を引き伸ばした。


「……皆がきれいだと称賛するステンドグラスは、全部影の肖像。ひとつひとつ、果ては一枚の窓が埋まる度、わたしは胸が苦しくてたまらないわ。淡々と淡々と、誰かのいのちを部品のようにはめて、飾る――終わりのページに、挟むの」

「――#」

「なぁに」

少女――#にはきっと、男の最期の時が見えている。


二人が根城にしている教会の黒窓の中にある、小さな棺の数々。どこの区域の、どの場所にはまるのか、それがいつなのか。#にはわかっているのだろう。彼女は死者の魂を、一欠片のステンドグラスに描き変えて。棺たる窓に収めているから――



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