第5話 丸くない答え

『ガラスが割れる音で目が覚めた』。

人間が夢から現実へと連れ戻されるとき、よく耳にするフレーズのひとつかもしれない。


シンデレラのガラスの靴。透明で形作られたトロフィー。実に魅力的な代物は、ガラスに選ばれ、贈られるにふさわしい――価値ある人間だけが手にすることができる。

しかし、靴もトロフィーも、結局は夢の現像――切れ端でしかない。現物が無くなれば、夢は見られない。


人の手によって作られ、世に残されるガラス。確かにそこに、生きていた自分、何者かが存在したという証明。止まった時間をただ眺めるのではなく、目に見えなくとも進んでいる“今”を人間は生きようとしている――。


「きっと僕らは探してる。――探したいんだ。“ガラスの靴”に捕らわれない幸せを」

ある少年が、名無しの手紙と一冊の本を手に、きらきらと目を輝かせていた。まるで、分厚い雲の中から差し込む、まっすぐで曇りのない光のようだった。

「例えがロマンチックだねぇ、少年。けど、現実は……どうだか」

少年の眩しさからそっと視線を逸らしながら、隣の男は声を潜めた。


「世の中を、人間の手の中を見てみろ?ガラス張りの水槽に溺れちまってるじゃねぇか」

びっ、と男の細枝のような指が指すのは、人間が手にしている電子端末だ。

だいたいは四角い形をしていて、何処かしらにカメラ機能が搭載されている。世にまつわる、ありとあらゆる情報が誰でも簡単に閲覧できるうえ、見たいものを保存してチェックできる。


そして、“SNS”と呼ばれる、現実と空想の入り交じる空間――海のような世界が広がっている。一見透明で、自由な形。心地よい水で満たされ、好きなときに潜り、眠れる場所。


けれど、いつ、何処で、誰に見られているかわからない――見方によれば、他に鑑賞される“見世物の水槽”になってしまう。泳ぎ手が息苦しくなって、知らぬ間にぱたりと足跡が途絶えることも珍しくない。


楽しい、知りたい、聞きたい、話したい――そんな欲求まみれの海の中に、沢山の人間がいる。泳ぎ方をよく知らないまま、好んで潜るひと・ただ漂って浸っているひとも多いだろう。


「僕らは夢を見ちゃいけないの……?いつか忘れるから?叶わないから?形があいまいだから?」

まだ小さな少年――◯が、ぐすりと泣き始めた。都会の雑踏のなか。いかにも怪しげな男の横で、大声を挙げて泣けば周囲にどんなに迷惑がかかるかわかっているから――小声で。静かに流れ続ける、閉め忘れた蛇口の水のように泣いていた。


「――夢は、“心臓”だ。どんなに小さくても、そいつを動かす力になる――すげぇやつだから。大事に持っとけ」

細身の男は、◯をやさしく肩口に抱き寄せ、ぎゅっと腕に力を込めた。いつもなら、“鼻水はティッシュで拭け……!”と面倒くさがる男だが、今日は違うようだ。


「ただ、夢を追いかけて求めるあまり、“苦しいのは仕方ない”とか自分で息を止めるのはオススメしねぇな」

「……どんどん難しい話になってるよ、おじさん」

◯が、困ったように眉根を寄せ、けれどもおかしそうに笑う。

「生きたい場所を選ぶんだよ」

男の腕の力がふっと緩まって、◯は安心したように息を吐いた。


「魚を見てみろ?ちょびっとでも水が冷たかったら、死んじまう。でも、必要なときには荒波も滝も越えに行く……でもって、最後は故郷に帰っていく。たくましいもんだ」

「うん。でも、魚の場合は、“本能”だよね。じゃあ……人間は。理性があって、選べる選択肢が多いから――ガラスになる必要がない……?」



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