冷たい手のひら

 いおり君との食事も今日で八回目だった。

 今回彼は珍しく私をランチに誘った。店は私達が住んでいるところからは少し離れた街にある牛肉百パーセントのハンバーグが売りの喫茶店で、私は知らなかったがそれなりに人気の店らしく、その上いおり君の行きつけなのだという。店主である若い女性はいおり君同様文章に触れることが好きらしく、いおり君は彼女に自分が文章を書いていることもある程度話してあった。店の壁には大量の本が所狭しと並んでいる。この本棚にいつか俺の本が並べばいい、と思っていることを、彼は私に教えた。

 彼のお薦めだというこの店で一番人気のハンバーグは、驚くほどにふっくらとしていて、肉汁こそあまり出てこなかったが、こんがりと焼きあがった表面の香ばしさと肉そのものの逞しい味わいから相当こだわって作られていることは容易に想像できた。

 ハンバーグは、冷たい手のひらの人間じゃないとうまく形成できないのだそうだ。先ほど店主が他の客に言っていた。私の手のひらはいつも指先まで満遍なくぽかぽかしている。作ったことはないが、おそらく私のハンバーグは不出来なのだろう。

 今日のいおり君は奇妙なほど寡黙で、いっそ薄気味悪いほどだった。私は取り繕うようにハンバーグのうまさや店の雰囲気、店主の人柄など手当たり次第に褒めそやしている。それでもいおり君はどこか上の空で、うん、わかるよ、そうだね、とその三語を順繰りに呟くばかりだ。

 次第に私は彼が一羽のオウムのように見えてくる。彼は飼い主の口癖を聞き続けているうち、それしか言えなくなってしまったのかもしれない。ウン。ワカルヨ。ソウダネ。

 同意することしかできないオウムは、けれど同意することによって飼い主に取り入り、生命を維持してもらうのだろう。それをみっともないと取るかどうかはオウム自身が決めるべきことだろうけれど。

「――ソウダネ!」

 いおり君が発した八回目の「そうだね」が私の妄想とリンクし、思わず動揺してしまう。目が泳ぐ。私は落ち着きを取り戻せなくなっていく。いおり君は少し困ったように笑って、

「そろそろ、行こうか」

 席を立ち、テーブルの隅にあった注文票を取るとそのままレジへ行ってしまった。慌てて彼の横に並び、財布を取り出そうと鞄を漁るが彼は、

「今日はいいや。全額払わせてほしいんだけど、だめかな」

 と言う。私は少し考えたのち、礼を伝えると財布から手を離した。



 電車の中、私はいおり君と横並びで座っている。曜日と時間帯のせいもあり車内はがら空きで、私達の小さな話声は社内によく響いた。ガラス窓から斜めに差し込む日差しが眼球に突き刺さる。このあとどうしようか、と私がさり気なく解散を促すと、いおり君は、

「もう少し一緒にいたいんだけど、あの、よかったら俺の家、とか……どうかな」

 向かい側の窓に薄ぼんやりと映るいおり君を見る。その姿は輪郭程度しか把握できない。私は外枠だけの彼を見つめながら、

「ウン」

 と、無意識のうちに短く淡々とした声で返していた。

 私の言葉を受けじわじわとわかりやすくいおり君は喜びを膨らませていき、勢いよく自分の部屋について話し出す。

 彼の部屋には、それはもう大量のドライフラワーが飾られているのだという。彼は元々植物が好きだったそうで、一人暮らしを始めてからは休みのたびに気に入りの花屋へ通い、そこで数本ずつ買ってはうっとりと部屋で眺める。何日か経つと乾燥作業に移行し、仕上がったものから順に壁や天井へ吊るしているという。彼は今まで花の話など一度もしなかった。理由を訊ねてみれば、

「だって男が花なんて、女々しいって思われるかなと思ったんだ」

 彼は俯いてそういった。なるほど、彼は、私に少しでもよく見られたかったのか。つまりおそらくは、“そういうこと”なのだろう。

「ほら、だってさ、小学生のころは俺毎回植物係だったじゃんか。そのころから好きだったんだよね」

 余程興奮状態にあるのだろう、明文化こそされていなかったがいおり君は『小学生だった頃の話は避ける』という私達の間での最大の禁忌を容易く破った。彼が植物係だったことなんて、どれだけ記憶を漁っても思い出せない。

「茜ちゃんも一回だけ植物係だったことあったよね。俺、あのときから茜ちゃんのことちょっと気になっていたんだ」

 俯いたままの彼が照れたように爪をいじっている。私も植物係だったことがあったのか。ちっとも覚えていやしなかった。

 最寄りの駅へ着き、いおり君と共に街へ出る。道中いおり君の務めるスーパーへ寄り、私達は夕食としていくつかの総菜を買った。レジを通過する際おそらく私達よりも何歳か年上だろう男性がいおり君に向かって、

「やったな。ナイスガッツ」

 と言う。いおり君はやめてくださいよと慌てた様子で私の方を見、私は何もわかっていない馬鹿の振りをして小さく首を傾いでおいた。

 スーパーを出、しばらく直進すると、ちょっと待ってて、といおり君は反対車線にある青いコンビニに入っていく。彼の行動を確認しないで済むよう敢えてスマートフォンをいじっていると彼はほんの数分で戻ってきた。彼の手には小さなビニール袋が下がっており、家で飲もうよ、とわざとらしくその中身を私に見せる。さまざまな種類の酒だった。まとめてスーパーで買えばよかったのに、と言うと、

「うーん、でも未成年だからなー」

 と彼は笑う。一応の自覚はあるのだな、と思った。

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