Act 3

 その夜は、岩場地帯から動かずに野営することにした。

 旅賊の襲撃は、可能性としては少なかったが、ないとはいいきれず、交代で見張りを立てることになった。

 キャラバンを追い立てた谷底のような場所から少し離れた場所に設けた野営地ではあったから、そこの入り口付近を警戒するのがいいだろうと、その場所で見張りをすることにした。

「最初はホセから行け。三時間後に交代だ」

 焚火を消し、ニックスが素直に従って銃をとって背を向けて離れていくのを、ダヴォルカはフェルナンドとともに見送る。ニックスは、命令されることを不服に思うわけではないようだった。数年前、豪族ヤコフの警備軍に奴隷兵士として身をおき、そこから脱走した。そんな過去を持つものだから、てっきり他者からの指示や命令されるのを嫌う性格なのだろうと思っていたが、そうではないようだ。

 ニックスの頭に常にあるのは、生存するのになにをすべきか、という一点だけなのだ。危険があるとなればそれに対処する、それのみが行動原理なのだろう。そこに他者の命令があるかどうかは関係ない。その他者が信用のおけない〝敵〟になれば、脅威と判じて相対する。

 ニックスが岩場から出て行ってしまうと、フェルナンドは言った。

「あいつは扱いやすいやつだぜ。欲もない。あれだけの戦闘力を持ちながら豪族に成り上がろうとは思わないんだ」

「そういう生き方もある。あんたはホセのなにを知っているっていうのよ」

「おまえは強い男が好きか? ……だろうな。だが手のひらで踊らされるバカはやめとけ」

 そう言ってダヴォルカの髪に触れる。砂ぼこりで汚れていたが、まぎれもなく女性特有の細い毛髪だ。

「トラックの運転台に乗りな。おまえは、おれの所有物ものなんだからな。抵抗したってムダだからな」

 星明り浮かぶフェルナンドの顔に下卑げびた笑みが浮かぶ。ニックスを駒のように考えているフェルナンドも、わかりやすい単純な男だとダヴォルカには思える。

 腕をつかまれた。

「乱暴にしないで。わかったから、焦らないでちょうだい」

「わかっているさ。なにせ、おまえは大事な〝商品〟なんだからな。傷をつけちゃ、高く売れない」

 ダヴォルカの尻を、トラックの運転台へと持ち上げる。乗り込むと、フェルナンドはあちこちレザーの破れたシートを倒して空間を確保する。

「よもや女を抱ける日が来るとはな。あきらめていたんだが」

 性欲を隠そうともしないフェルナンドに、ダヴォルカは内心肩をすくめる。見知らぬ男に抱かれるのは慣れていた。この世界で生きていくにはある程度達観していなければならない。その処世術を身に着けなければ、狂うしかないだろう。

 太古から、女は虐げられてきた。病嵐によって女性が極端に少なくなっても、それは変わらなかった。

 ダヴォルカは抵抗しなかった。それで安全と食べ物を得てきていた。

「邪魔が入るんじゃないの?」

「交代の時間まで、いや、交代の時間がすぎてもホセは見張り続けている。やつはそういう愚直なやつさ」

「ひどい人……」

 ダヴォルカの服のボタンが外される。

ホセやつは若すぎる。病嵐が始まったときにはまだ子供で、女なんか知らないだろう。だがおれは女の扱い方を知っているから安心しろ」

「そうかしら?」

「言ったな……じゃあ、証明してやろう」

 ダヴォルカの下着をはぎ取ると、ごつごつした指が秘部に触れた。しかしその動きは意外に繊細で、撫でるように優しく探ってきた。

 吐息が漏れる。



 ダヴォルカは気配を感じた。

 フェルナンドに覆いかぶさられて、お互いに何度か達してもまだ足りないかのように足をからめた、そのときだった。

 フェルナンドも気づいたようだった。中断して、身を起こした。全裸の男の筋肉が月に青く照らされる。汗が光っていた。

 手早く服を羽織ると、トラックのドアを開け放つ。その手には、いつの間にか拳銃が握られていた。

「どうした、ホセ。撃ってこないのか?」

 拳銃を向け、運転台からフェルナンドが言った。

 ダヴォルカも身を起こした。フェルナンドの背中ごしに見ると、視線の先にニックスがいた。高い位置の運転台を見上げるニックスも拳銃をかまえていた。

 二人は距離をとって対峙したまま動かない。

 ニックスはなにも言わない。見張りをしていて、なにかを感じとって様子をうかがいに来たのだろう。

 ふいにフェルナンドが笑った。高笑いである。静かな砂漠の夜に、突然大きく響く笑い声は、岩場にこだまして耳に残った。



 翌朝、出発することにした。

 旅賊なら、キャラバンを襲って物資を手に入れると、それが底をつくまで移動することはあまりない。その場にて、また通りかかるキャラバンを待つのである。

 しかしフェルナンドはキャラバンを襲って得た物資を町で売り、新たな兵を雇おうというつもりなのだった。

 ここから西へ百キロほど離れた場所に豪族ダンテが治める町があった。そこは商売が盛んで、きっと大儲けできるだろうと、フェルナンドはソロバンをはじいていた。

「こっちにはダヴォルカがいる。こいつを目の前にちらつかせれば、いうことを聞くやつらはいくらでもいるに違いない」

 一台のトラックに物資をすべて詰め込み、フェルナンドの大型戦闘車両で牽引する。さらに、襲撃時に難を逃れて走行可能だと判断された用心棒の小型車両のうち、もっとも状態のいい一台だけを選んでトラックの後方にロープでつないで予備車両として連れていくことにした。それら全体をニックスは小型車両で護衛する。小さな即席のキャラバンだ。

 道なき砂漠を方位磁針と遠くに見える山の影のみを頼りに自分の位置を特定し、そこへ向かった。GPSなどという便利なツールは、いまや使えなくなっていた。人工衛星の管理をする者がいないでは、そんなインフラなど維持できない。

 昨夜のことについて、フェルナンドはなにも言わなかったし、ニックスも口を開かなかった。もちろん、ダヴォルカもである。

 が、出発を前に、朝食時にひと言だけフェルナンドは言った。

「いいか、ホセ。人間は生きている限り、本能からは逃れられない」

 ニックスは食事から目をあげる。

「なにが言いたい?」

「坊やには、ちょっとばかし刺激が強すぎたかもしれねぇってことさ。おっと、おまえにはさせられねぇな。大事な商品だ、壊されちゃ困る。おまえのことだ、撃ち殺しかねないからな。せいぜい自分の指でもしゃぶってな」

 フェルナンドの口調には、ニックスを見下げるようなところがあった。

「調子に乗るな」

 ニックスは珍しく毒づいた。理解できないフェルナンドの言動に苛立った。

「女というものがどんなものか知らないおまえさんは不幸だと言ってるだけさ」

「おれがどう生きようと、おまえには関係ない。おれは、おれの好きなように生きる。いままでも、これからもだ。おまえといっしょに行動しているのも、しばらくの間だけだ、と言ったはずだ」

「わかってるさ。そう尖るな。おまえさんの悪いところだ」

 不味い干し肉と固い乾パンを噛み砕き、少し濁ったボトルウォーターで喉に流しこむと、食事が終わればすぐに出発するぞ、とフェルナンド。

 三人は、それぞれ車両に乗り込んだ。

 今日も空は太陽が猛烈に輝き、薄い雲が上空高く、まるで刷毛ではいたように張りついていた。熱くかれた大地は、生きるものを拒絶するかのようだった。

 ニックスを先頭に、クルマの列が進む。

 フェルナンドが運転する大型戦闘車両の運転台から、ダヴォルカは前を行く小型車両のニックスを見ている。

 死神ニックスがこれまでどんな戦いを潜り抜けてきたのか、ダヴォルカは断片的ながらこの目で見てきていた。

 豪族ムハンマドの下で戦った戦闘、怪我をした身で振り切った娼館の用心棒の追撃、研究施設でのミュータントとの戦い──。それ以外にも数えきれないほど狙われ、キャラバンの用心棒と戦い、生き残ってきた。

 その生命力の強さは本物だろう。しかし一方で、銃弾一発で命が失われる現実もある。

 新しく生まれる命もなく急激に減っていく人口。ほんの一握りの女性が出産をしているかもしれないし、研究施設で生まれてくる子供もいるが、それで人類が復活できるわけはなかった。いまの世は、人間が育つには過酷すぎる。

 物心つく前から争いや命の危険と隣り合ってきたニックスは、そんな未来のない世界をどんな目で見ているのだろう……。最後世代と言われる年齢で、その目で人類の絶滅を見ることになっても、まるで自分に関心がないかのように悟るのだろうか。

「なにを考えている?」

 黙っていると、フェルナンドが声をかけてきた。ステアリングを握って運転しながら、ちらとダヴォルカに視線を送る。

 ダヴォルカは隣に座る男へと振り向き、しばし沈黙してから口を開いた。

「なにも。考えることなんて、なにもないわ」

「嘘だな。ホセのことだろ?」

「…………」

「もしここで旅賊に襲われたら、あいつ一人で退けられるのかと不安なのだろう?」

 フェルナンドは不敵な笑みを浮かべる。

「だいじょうぶだ。あいつは戦闘マシンだ。まるで戦うために生まれてきたような男だ」

「ホセとの付き合いは長いわけではないのでしょ?」

「ああ。しかしおれにはわかる。あいつがただ者ではないことが」

 ただ者ではない──なんども繰り返しそう言うフェルナンド。

 ダヴォルカは視線を前方に戻した。フェルナンドの見る目は確かだった。ホセ──ニックスの戦闘力は異常だ。兵士として雇えば、それこそ並みの兵士百人分の働きをするだろう。大袈裟ではなく、本当にそう思う。でなければ、多額の賞金を懸けられてなお、生き残ってはおれまい。

 フェルナンドは、ニックスを利用するだけ利用しようとしている。片腕として頼りにはしているが、決してパートナーとして対等には考えていない。

 それはニックスにもわかっているだろう。いつまでもフェルナンドといっしょにいるつもりはなく、ましてや王になるという夢は寝言にしか聞こえていない。だからなぜいまはフェルナンドに従っているのか、ダヴォルカにはわかりかねた。

 他者との協調が必要だと気づいた? それはあり得そうになかった。ニックスの考え方がなにかをきっかけに急に変わるようには思えなかった。

 直接訊いても、おそらくは答えてはくれないだろう。

 しかし、とダヴォルカは希望を持つ。

 ダヴォルカもニックスを必要としていた。その意味ではフェルナンドより質が悪いかもしれない。王として君臨しようとするフェルナンドはニックスに富を与えられるだろう。ニックスがそれを欲するかどうかは別として、ある程度の報酬や満たされた生活を保証しようとするだろう。もちろん王になれれば、の話であるが。

 一方、ダヴォルカには与えられるものはなにもない。体があるが、それは大きなメリットで誰もが欲しがるといっても、ニックスがそれを求めなければ、これも無いに等しい。

(ニックスを振り向かせることができればいいのだけれど……)

 ダヴォルカは思案する。が、体でニックスに媚びることができるかどうかはわからず、しばらくこの生活を続けていくうちにやってくるチャンスを待つしかないと結論した。

「いつかその目でホセのすごさを目にすることがあるだろうよ。たぶん、そう遠くない未来だ」

 フェルナンドの言葉に、考え事をしていたダヴォルカは我に返る。

「そうね……」

 と、うなずいた。フェルナンドの言うことは当たるだろう。これまでにニックスのすごさに目を見張ることがあった。この時代のこの世界では、ニックスこそが生き残るに足る男だと信じられた。

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