ニックス
見張りの当番が回ってきていたニックスは、二人一組で歩哨にあたっていた。ペアを組むのは、毎回異なる者同士であった。街灯のない、寝静まった深夜の町を歩く。
どうせ町のなかでなにか騒乱が起きる可能性は低い、とニックスのとなりで任務につく奴隷兵士は巡回が面倒だった。夜間の見回りがあるからといって、翌日の訓練が免除されるわけではないし、町の周囲に築かれた城壁の上で、外部からの夜襲を警戒する兵士のほうが、歩き回らない分、居眠りできて楽だと、つい愚痴がでてしまう。
宮殿と呼ばれる建物の周囲まで来た。元は金持ちの邸宅だといわている三階建ての建物だった。頭目のヤコフはここに住み、
宮殿の周囲には塀が巡らされ、塀のなかにも見張りの兵士がいるはずだった。
ニックスはその宮殿を見上げる。月明かりに照らされて濡れたように光る外壁。その建物から発せられるのは、ニックスの生きる境遇からはひどく遠い、非現実的なほどの〝違い〟であった。
奴隷兵士としていくら戦功をあげようとも、決してたどり着くことのない生活がその建物のなかにあったが、ニックスにはそれがどんなものか想像すらできない。
と、ベランダに人影があるのが見えた。
(あれは……?)
ニックスは足を止めて見入った。
その人影は細く顔もよく見えなかったが、明らかに男のごつごつしたシルエットではなかった。ゆるやかな曲線を描く輪郭がなまめかしく、どこか哀し気な雰囲気をまとっているのがわかった。
(もしや、あれが昼間、コンテナで運び込まれた〝女〟なのか……?)
「おい、どうした?」
いっしょに歩哨任務にあたっていた兵士が尋ね、ニックスの視線をたどった。
「おっ、あれは、女じゃねぇか! おおい、名前はなんて言うんだい?」
奴隷兵士はその人影に呼びかけた。
その声に女が反応する。こちらを向いたようだが、暗くてよくわからない。
「ダヴォルカよ」
澄んだ声でそう答えた次の瞬間、女は室内に引きずり込まれた。窓が閉じられる。頭目に見つかってしまったのだろう。
「ちきしょう……、おれも女を手に入れたいぜ、な、おまえもそう思うだろ?」
ニックスはしかしそれに答えない。誰もいないベランダを見続けていた。
翌日、いつものように戦闘訓練が行われていると、ニックスと、昨日見回りをしていた奴隷兵士の二人が呼び出された。
警備軍・上級幹部の詰め所に出頭すると、いきなり罪状を読み上げられた。
──頭目ヤコフの女との接触により、この者たちを死刑とする。
取り調べも裁判もあったものではなかった。
「待ってくれ! 接触って、おれはなにもしていないだろ!」
奴隷兵士は泣き喚いた。
ニックスは無言だった。
詰め所内には幹部の他、軍用拳銃を携帯した数人の上級兵士がおり、抵抗は無駄だった。
見せしめのための公開死刑。理由はなんでもよかった。言いがかりでもなんでも。理由がなければでっちあげる。銃殺用の壁の前へと引き立てられ、ヤコフの権威を示すためだけに殺される──理不尽きわまりなかったが、それが豪族ヤコフの掟であった。
ニックスの腕が詰め所の上級兵士によってつかまれ、背中に回されようとしたその瞬間──。
体を回して上級兵士を蹴り飛ばした。その拍子に上級兵士が携帯していた軍用拳銃を引き抜くと、瞬間的に安全装置を解除して発砲。銃声が響き、血飛沫が飛び散る。
驚いて対応が遅れている他の上級兵士に向かっても、ためらうことなく引き金を引いた。狙いは外さず心臓を撃ち抜き、たちまち四人を銃殺した。
「きさまぁ!」
最後に残った上級幹部が激怒する。
しかしニックスのほうが早かった。
次の瞬間には、その上級幹部の眉間に穴が開いて、九ミリの銃弾が貫通した後頭部から血が吹きだしている。
死刑を宣告された仲間の奴隷兵士は、顔面蒼白になっている。
「おまえ、なんてことを……」
声が震えていた。
「味方だぞ」
「おれに銃を向けるやつは敵だ。
ニックスは答えた。その瞳はぎらついて、人間とは思えないほど冷たかった。
詰め所にあった自動小銃を手にとるとマガジンを装着する。さらに詰め所内に保管されてあった非常用のレーションを持ち出すと、茫然としている奴隷兵士と五人の上官の死体を残して外へ飛び出していった。
向かう先は車両格納庫だった。何台もの車両があって、戦闘用に使用する小型車両があった。敵が現れたときに備え、常にすぐ使えるように整備されていた。
死体が発見されて、それがニックスの仕業だとわかればもうここにはいられない。その前に脱出するのである。
自動小銃を持って走るニックスは、さすがに人目を引いた。しかしなにが起こったのかを想像することができず、町の兵士や一般民はニックスを見ているだけだった。
車両格納庫についた。すかさず一台の小型戦闘車両に駆け寄る。
「おい、そこの奴隷兵士! ここはおまえが勝手に来るところじゃないぞ。立ち去れ」
一人の整備兵がニックスを見つけて強い口調で命じた。
それを無視してその先頭車両の状態を検分する。ヤコフに流れて来る前にクルマを触ったことがあった。運転技術もある。
戦闘用の小型車両の後部荷台には武器も積み込まれていた。対戦車用のロケットランチャーまであった。
運転席に乗り込むと、さすがに整備兵も言うだけではすまない。
「きさま、いったいどういうつもりだ」
威嚇して近寄ってきた。
「邪魔するな」
ニックスは自動小銃を向ける。
「なに?」
驚いている整備兵を躊躇なく撃った。
すると、その銃声を聞いて、何事かと兵士たちが集まってきた。
ニックスはエンジンを始動させる。ギヤを切り替え、開けっ放しの開口部から格納庫を出る。
「こら、待て!」
血を流して倒れている整備兵を見て、事態を把握した兵士たちが銃をかまえて立ちふさがる。
ニックスは舌打ちし、運転しながら片手で自動小銃を連射。その狙いは正確だった。撃ち殺されていく兵士たち。
アクセルを踏み込み、道路に出る。
町じゅうに響くサイレンが鳴りだした。
「小型車両で移動している反逆者を逃がすな!」
町のあちこちに設置されたスピーカーからそんな命令が飛んでいる。
が、ニックスはもう城壁の門にまで達していた。城壁は開いていたが、その命令をきいて閉じられようとしている。対戦車用のロケットランチャーを後部荷台から取り上げると、なんの遠慮もなく門に向けて放った。
閉じようとしていた門が爆散する。
門の詰め所もなにが起きたのか混乱し、ニックスはそれに乗じて一気に門を通過する。
町の外は砂漠である。
そこには自由があった。生きる自由と、そして、野垂れ死ぬ自由が。ヤコフから懸賞金がかけられるのは、それからすぐのことだった。
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