挿話 4
ヤコフ
強さは数である。
混沌とした世の中で生きていくには集団の力こそ頼りになる。一人では小さな力しかないが、大勢であればその数以上の力となる。
だから大きくあらねばならない。
だから豪族ヤコフは大きくなった。
警備軍を整備し、奴隷を使い、産業さえ起こして大陸を制覇しようという野望を抱くのも当然だった。
かつて国家が存在したこの地に、帝国を築くのが豪族の頭目であるヤコフの最終的な目標だった。そしてそのためにはなにが必要なのかを考え、実行した。
それは成功し、各地の豪族に比べ、ヤコフは強大な勢力を持つに至った。
各地からヤコフに取り入ろうとやってくる無法者が後を絶たない。
そして、その男も、そこにいた。
N。難民キャンプの孤児センターで育ち、やがて少年兵として武装組織に加わり、そこから脱出して流れてきた。生きる、というそのためだけに、生き残っていた。ここへたどり着くまでに、いくつかの武装組織を渡り歩いてきたが、抗争を繰り広げるなかで、所属していた武装組織は崩壊し、あるいは吸収され、Nもまたその流れに翻弄された。
N──。名無しのN。自分の名前がなかったため、Nは他人からはいつも適当な呼び名をつけられていた。難民キャンプや武装集団でもその場その場の名で呼ばれていた。それは個人のアイデンティティをもたらすもの、というより、あくまで他者との区別のためであり、ただの記号だった。
豪族ヤコフのなかでもそうだった。そこでは誰がつけたかわからない、ニックスという呼び名で通っていた。Nは気にしなかった。
年齢は十六歳になっていた。まだまだ少年として扱われる年齢であった。
豪族ヤコフでは、ニックスは奴隷兵士という最下層の扱いであった。奴隷兵士は戦いで功績をあげ、自身の階級と待遇をあげていかなくてはならない。
必死であった。他の豪族との戦いになれば、まっさきに突撃していくのは奴隷兵士だ。命を落とす危険が最も高く、死んでいく者が大勢いたが、それでも戦わなくては明日がなかった。いつまでも奴隷兵士の劣悪な扱いでは、命がもたなかった。
かといって、功績をあげられそうな戦いがそうそうあるわけではなく、せいぜい小競り合い程度が突発的に起こるぐらいで、出世を望む奴隷兵士のなかには過激な行動に出る者もいた。
勝手に他の豪族を襲撃するのである。
ニックスも誘われた。
「このままだと先がねぇ。おれたちといっしょに組んで、
粗末な小屋で集団で寝起きさせられている彼らが徒党を組んでなにかを企てるのはそんなに難しくはない。
「どこを攻撃しようというんだ?」
ニックスが尋ねると、何度も小競り合いをしている近くの豪族だという。豪族ヤコフとの全面戦争が近いと、噂にはなっていた。しかしいまのところ、戦火を交えるには至っていない。その理由は、相手もそこそこ大きな警備軍を抱えているからだった。うかつに戦争になれば、得るものよりも被害が大きくなる。いずれは戦わなければならぬ相手とはいえ、安易に合戦をするわけにもいかない。
だが、ろくすっぽ情報を与えられていない奴隷兵士たちは、そんな情勢などわからない。自分たちを中心とした考えかたしかできなかった。
不意をつけば相手に損害を与えられるだろう。そうすれば頭目のヤコフだって、おれたちを認めてくれる──そんな単純な考えしかもてなかった。病嵐の混乱で、教育というものをまったく受けられなかったため、なにかを理屈で考えるという経験が圧倒的に足りなかった。
場当たり的な発想しかできなかった。
「おれたちが勇敢な兵士だとわかれば、待遇もよくなるはずだぜ」
上級兵士がどんな暮らしをしているかは知らない。しかし苦しい訓練のたびに、「おまえたちが戦争で活躍すれば、奴隷階級からの引き上げを約束しよう」と、指導上官に言われ続け、ならば、と若い兵士たちが息巻くのもやむを得ないのかもしれない。
が、その計画は頓挫する。
上官に発覚してしまったのだ。
もしその計画が成功したとすると、損害を受けた相手側はもっと警備軍を強固にし、襲撃を理由に反撃してくれば、こちらも対応に追われてしまう。
ヤコフは激怒した。
計画の主導者である一人が責任を取らされた。
公開処刑であった。
「なぜだ! 襲撃が成功すれば、こっちにも益があるだろう? なぜおれが罪に問われるんだ。おかしいだろ!」
叫んで抵抗するもむなしく拘束されて連行されるのを、恐怖に震えながら見送る仲間たちのなかで、ニックスは冷静だった。というより、不幸な男に同情もしなかった。余計なことをしないで命令に従うのが生き残る道であり、それができない人間が死ぬのは道理だと考えていた。
ヤコフは豪族の構成員なら誰にも絶対的な忠誠を求めた。それはときに恐怖を伴った。
ときには無理に死刑を執行し、恐怖を植え付けようとした。
あるとき、戦争が行われた。豪族同士の戦争である。
奴隷兵士は最前線で戦った。
持たされた銃は二人に一丁。一人が銃を持ち、もう一人がその後ろから予備の弾丸を持って突撃していくのである。もちろん、敵からの攻撃にさらされるため、かなりの被害が出る。戦死者も大勢でた。
しかしそれが奴隷兵士なのだ。そこで生き残る運を持つ男だけが、奴隷兵士の身から脱せられた。
その日の攻撃で、奴隷兵士は五十人のうち、十五人が死亡した。だが、その捨て身の突撃により、敵の豪族の村は陥落した。
ニックスは生き残ったが、その戦果は評価されなかった。文句は言わなかった。
「命がけで戦ったんだぞ。なんでおれたちに見返りがないんだ」
奴隷兵士が不満をぶつけるが、上官は相手にしなかった。曰く、「その程度の貢献では、まだまだ足りない」
訴えた男は、翌日、死刑に処せられた。
ひと月かふた月かに一回は、反逆罪として誰かが銃殺刑になった。本当に反逆を企てていたのではなく、単なる見せしめとしての公開処刑だろう。誰もがそう思っていたが、口にはしなかった。ニックスも黙っていた。
あるとき、キャラバンがやって来た。豪族やオアシスや町をつなぐ流通を担うキャラバンが、このときすでに存在しており、重要な役割を果たしていた。
ニックスも戦闘訓練の休憩時に、仲間とともにキャラバンが町に入っていくのを見た。
町の住民たちは、こぞってそれを買っていく。とにかくモノの生産が低下の一途をたどっており、なにもかもが不足していた。
しかし奴隷や奴隷兵士には関係がなかった。小銀貨一枚さえなく、いつかは奴隷からこの町の市民へと格上げしてもらえる夢を抱きつつ、指をくわえて見ている他なかった。普通市民にさえなれば、モノが自由に買える──それは奴隷にとっての憧れであった。
「ずいぶん、頑丈なコンテナだな」
奴隷兵士の一人が、輿のようなコンテナが運ばれていくのを、なにが運ばれてきたのだろうかと興味深そう眺めていた。
通常の商品なら、その場で売られていくのだが、頭目ヤコフに献上される品物は別にあった。ここでのキャラバンの商売の許可を得るための貢ぎ物だ。
そこへ、訳知り顔でやってきた一人の男がいた。
「あのコンテナのなかには、女がいるそうだぞ」
「女だと!」
奴隷兵士たちはどよめいた。
「女か……くそう、さすがヤコフの力は絶大だな」
「おれも何年も女なんて見てないぜ」
「最後に女を抱いたのはいつだったか、もう忘れちまったよ」
「しかし女がまだ生き残っていたなんてな……」
「本当かどうか知らねぇが、頭目の宮殿には、何人もの女がいるらしいぞ」
口々に羨望やら驚きやら頭目への賞賛が漏れた。
ニックスは無言で、運ばれていくコンテナを見送る。
女性は病嵐によってほとんどが死に絶えたといわれている。幼いころ、ニックスは難民キャンプで見たことがあったが、それ以来、目にしたことがなかった。どういう存在なのかもあやふやだった。奴隷兵士仲間たちがなぜ女に異常な興味を抱くのかニックスにはわからない。
だから仲間の一人から、「おまえはどう思う?」と、感想を聞かれても、なにも答えなかった。
「べつに」
「そうだよな!」
その奴隷兵士は、隊で一番若い、まだ少年といえるニックスを見て気がつく。
「おまえに女の値打ちがわかるわけがないよな!」
どこか蔑んだ口調で言うが、ニックスは気にしなかった。なにかを感じる心がなかった。しかし、その夜、事件が起きた。
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