Act 6

 ダヴォルカの知らない男がいた。

 研究員ではない、ニックスと似た雰囲気の、しかし年齢はずっと高いその男は、どうやら『S40ε』に襲われたようで頭から血を流していた。

(迷い込んできたのだろうか?)

 しかし、たった一人で来ていることを、ダヴォルカは不審に感じる。ニックスのような賞金首かもしれない。どこか危うい雰囲気を漂わせ、この世のすべてに未練がないような──。

 ダヴォルカが声をかけようとしたとき、その男はふらつく足取りで玄関前に止めてある小型車両に近寄り、シートの脇からカービン銃を取り出した。

「なにをするの!」

 ダヴォルカはあわてて駆け寄る。

 男はニックスを狙って、カービン銃をかまえた。が、腕を痛めているようで、銃の重さを支えきれず狙いがつけられない。

 その隙にダヴォルカは男の手からカービン銃を奪いとった。

「あんた、誰なの? なんで命を助けてくれたニックスを撃とうとするのよ!」

「やつは……やつは息子の仇だ」

 鋭く睨み返してきた。ダヴォルカの手から銃を奪い返そうとするが、遠くへ放り投げられてしまう。

「でも彼がいなければ、あたいたちは死んでいた。仇だからといって殺させるわけにはいかない。それに……今のあんたにニックスは殺せない」

 男は銃を拾いに歩もうとするが転倒してしまう。無力さに嗚咽がもれ、やがて慟哭となった。滂沱の涙が渇いた地面に染み込んでいった。



 ビルは全焼した。

 施設の者で生き残ったのは、二十人ほどの子供たちと、研究員がエルンストを含めて三名、そしてダヴォルカだけだった。

 人類再生の研究過程で誕生した『S40ε』は、その特異な体質から強い遺伝子を研究するために生かされていた。成功例である子供たちも成人するまでどうなるかわからないため、研究はまだまだ進められていたのである。

 しかし危険性があるため、他の子供たちのように自由に遊ばせるわけにはいかず監禁されていた。

 その日も実験が行われていた。だが、ストレスによって凶暴化し、ドアを破壊して逃げ出したのだ。感情の抑制のきかない『S40ε』を鎮めることは不可能だった。

 エルンストはそう説明したが、理解できたのはダヴォルカだけだった。

 サイードは両足と肋骨を骨折しており、乗ってきた小型車両に積み込まれていた応急治療具ファーストエイドで手当てをしてもらったが、しばらくは自由に動き回ることはできない。

 ニックスが焼け落ちたビルの地下室から食料や水や武器を運び出すのを、赫怒の思いで見ているしかないサイードに同情するが、かといって、息子の仇であっても討たせたくはないダヴォルカだった。

 ニックスが人類の未来である子供たちを護ろうとして戦ったわけではないことは承知していた。己が生き残るために『S40ε』を排除したにすぎず、他者のことなどにまるっきり感心がなく、偶然救けられただけであったとしても、ダヴォルカにとってもサイードにとっても、そしてかけがえのない子供たちにとっても命の恩人であり、むざむざと殺されてしまうのは不本意であった。

 そんなダヴォルカの気持ちにニックスは気づいているのかいないのか、まったく無関心であった。動けず脅威とはなりえないサイードにも興味はなく、まるでそこにいないかのように黙々と作業していた。

 そんなニックスに、エルンストが声をかける。

「我々は今、非常事態にいる。貴重な人員と設備を失ってしまった。我々を救ってくれたきみならば、我々と協力してこの危機から脱することもできるだろう……。ぜひ、ここで働いてくれないか」

 ニックスは都合のいい希望を述べる初老の男を一瞥すると、なにも言わず積み込み作業を続ける。

「報酬は払える。我々を支援してくれる団体からの活動資金から出せるだろう。──それとも、どこか行く場所があるのか?」

「積み込みの邪魔だ、どけ。おれは誰ともいっしょに行動しない」

「こんな世界で一人で生きていくというのか?」

 エルンストは信じられない。ここより安全な場所はなく、危険な砂漠に出て行く気がしれなかった。

「大勢でいたほうが安全だ。守備隊の隊長に推薦してもいいぞ。悪い話じゃないだろ。考えなおしてくれないか」

 ニックスは懐に隠していたナイフを抜いて、エルンストの首筋に向ける。

「聞こえなかったのか。おれはここにいる気はない」

 凄みのある目で睨まれ、エルンストは瞠目して声も出ない。

 ニックスはナイフをしまうと、まだ足りない物資を取りに地下室へと歩み去る。エルンストはその後ろ姿を恐怖に引きつった顔で見送る。

「サイード」

 ダヴォルカは、子供たちの様子がようやっと落ち着いてきたのを見計らって戻ってきた。

「エルンストと違って、あたいはあんたをスカウトするわ」

 座り込んでいたサイードは、上目づかいに視線を送る。

「ここの状況のことはまだよくわからないと思うけど、見てのとおり、あたいたちは危機にある。あんたは息子を失ったけれど、ここにはこんなにも子供たちがいる」

 黙り込むサイードは、集まっている二十人ほどの子供たちを振り向くが、その目は茫漠としている。

 ダヴォルカは重ねて言った。

「ここの子供たちの父親になるのはどう? 入口の警備部隊も再興しなくてはならないし……」

「なんだと?」

「むごいようだけれど、復讐を遂げたところで、あんたの息子は戻ってこない。息子さんは、父親のあんたに復讐してほしいと願っているのかしら? あたいなら、父親にはずっと生きていてほしいと思うわ。ニックスを殺そうなんて思わず、だから……、ここで働いて」

 ニックスとやり合っても、勝てるはずがない。

「おれが父親代わり……?」

 サイードは、その言葉を吟味するようにつぶやいた。目の焦点があった。

「この、子供たちの……」

 まだまだ庇護を必要とする年齢の子供たちの姿が死んだ息子と重なる。

 目の前で平然と生きている「息子の仇ニックス」への憎悪を、命の恩人であるからといって棄て去り、別の生き甲斐へと切り替えるなど、簡単にできるとは思えない。

 だが──。

 ここの子供たちがこの世界の未来を作っていくことは確かであった。人類の宝を失うわけにはいかない。ダヴォルカの提案にサイードの心は揺れた。

 エンジン音がした。

 ニックスが出発しようとしている。当面必要だと思う水・食料・武器を積み込んで。

 長年追ってきた末に、ようやっと見つけ出した仇が斃されることなく去ろうとしていた。謝罪の言葉もなく、おそらく殺人に対してなんの罪の意識も感じない死神に、償うべき代償を求めたところで虚しさしかない。

「あんたは誰かを殺しちゃだめよ。殺すんじゃなく、育てるの。ここにいる子供たちのために、生きて」

「…………」

 挨拶もなしにニックスのクルマが動き出す。

「ニックス!」

 ダヴォルカは呼び止める。

「ありがとう」

 ニックスをつなぎとめておくことは、いまはできないだろう。でも──。

 土煙を上げながら去っていくニックスを見送りながら、ダヴォルカは思う。また、いつの日かニックスに会えそうな気がする──と。そしてそのときは、きっと……今とは違う出会いをし、いい関係が築けるかもしれない。

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