Act 4

 サイードの運転するクルマが道路を進んだ先にたどり着いたところは、奇妙な場所だった。

 ブレーキを踏んでクルマを停止させると、サイードは目の前に広がる光景を観察する。迂闊に近づかない。どんな危険があるかわからない。

 盆地のような場所で、周囲は高い丘に囲まれ、外部からの侵入を阻んでいた。

 木々が陰を落とし地面には草が生え、よく見ると耕作地まであり、何種類かの作物が植えられているのがわかった。

 建物はひとつきり。鉄筋コンクリート製だろう、三階建てのビルが奥のほうにある。

 豪族の町だろうか、と思った。入口で全滅していたのは警備軍の部隊だと考えられる。

 が、普通の豪族ではない。

 ひとめ見ても明らかな奇妙な点──人間ひとが少ないのだ。少ない──というだけではない。

 そこにいるのは、あろうことか、子供ばかりなのだ。

 十人ほどの子供が屋外でサッカーに興じている……。

(そんなことが──!)

 サイードにはこの目で見ておきながら、なお信じられない。

 病嵐のために女性のほぼすべてが死に絶え、新しい命が生まれる数は絶望的に少なくなった。さらにその後の世界の混乱により、幼い命は失われた──サイードの息子もその一人だ。ここ何年も子供の姿を見ることはなかった。

 にもかかわらず、この里には子供たちが生きている。奇跡だと思った。それと同時に、もしかしたら、まだ人類には未来があるのではないかという希望が見えた。世界のあちこちに、このような子供たちのいる場所があったのなら、新しい世界の秩序を作り上げてくれるやもしれない……。

 サッカーボールを蹴る子供に、サイードは息子の姿を重ね合わせ、知らず涙があふれていた。

 そして思い出す──ニックスの存在を。ここへ来たことは間違いないはずだ。

 であるのなら、やつは今この里のどこに隠れているのか? この子供たちに危険はないのか? 無表情の下に残酷な顔を隠した死神が、いつ殺戮をまき散らすのか、それを思うと身の毛がよだつ。

 サイードはクルマを発進させる。とにかくニックスがここへ来たのかどうかを確かめ、さらに今、どこにいるのかを知らなければ。

 接近してくるサイードの小型車両に気づいて、子供たちはサッカーを中断して集まってくる。クルマを取り囲み、物珍しげで無邪気な目でサイードを見る。

「今日はお客さんが二人も来たね」「おじさん、どこから来たの?」「さっき来たひとと知り合い?」

 質問してくる子供たち。

 サイードは問うた。

「ちょっと前に、ここへやって来た男がいたのか?」

「いたよ。ダヴォルカと一緒に建物いえに入っていったよ」

 八歳ぐらいのやせた少年がビルを指さす。

(ダヴォルカ……? 女性の名前だ。この子供たちのうちの誰かの母親か? ニックスはその女と建物に入っていった……なにが目的だ?)

 サイードにとって、ニックスは人を殺す武器そのものだという印象しかない。情や心のある人間だとは思っていなかった。

 女と二人で連れだって──というのがわからない。

(それとも……)

「その男は武器を持っていたか?」

 サイードは子供たちに訊いた。武器を突きつけて案内させたという可能性はあるだろう。あのビルには子供たちの面倒をみるために他に何人か大人がいるはずだ。そいつらを殺すために、ダヴォルカを人質に取った、という考えに至った。そう思いつくともうそれ以外には考えられなかった。

 ニックスは死神だ。殺人こそがやつの日常なのだ。味方である警備軍兵士を二十人も殺害して逃亡するなど、まともな神経の持ち主ではない。だから平気で殺人をする。

「うん、持ってたよ」

 先ほどの少年が答える。

(やはりそうだったか。ダヴォルカは脅されて……)

 彼女が危ない。

 ここへ至る途中で全滅させられていたのは、ここで平和に暮らしている人々を守るための警備部隊だったのだ。ニックスによる犠牲者をこれ以上だしてはいけない。

 サイードは口元を引き締め、

「ありがとう」

 と言うと、ビルへとクルマを走らせる。

 いよいよ復讐を果たすときが来た。そして、ここにいる人たちを守るのだ。



 ニックスの小型車両に積まれていた麻薬は、ざっと三キロほどあった。昔も今も、麻薬の需要はあった。とくに病嵐が発生して以降、急激にその需要は伸びた。この荒廃した狂った世界にあって心の平穏など望むべくもない。絶望しかない時代に、人々を救済するものはなにか? 宗教さえ救いにならないのなら、もはやクスリかアルコールに逃げる以外にない。

(末端価格で金貨二十五枚ぐらいかな)

 ダヴォルカは苦笑する。

 ここでは無用の品物だ。麻酔薬として加工することができれば使い物になるが、それも難しいだろう。

 麻薬の質は昔ほどではない。ほぼ毒だといっていい。そんな配合のわからない、出所の怪しい麻薬をなにかに使えるとは思えないのだった。

 しかし交渉の品物として残していく、ということなら、もらっておかないとニックスは納得しない。必要ないならあとで燃やしてしまえばいいのだ。

 樹脂袋に個装された麻薬をトートバッグに入れ、ダヴォルカはビルに入る。

 ニックスはクルマに戻ってこない。地下倉庫でまだ品物の選定にかかっているようだ。

 持ち出せる量は限られている。じっくり吟味する時間があるのなら、そうするだろう。

「あ、ダヴォルカ! どこへ行っていたの?」

 建物に入ってすぐの玄関ロビーを通り過ぎ、ニックスが降りた地下への階段に向かって廊下を歩いていたら、六歳ぐらいの少女が駆け寄ってきた。浅黒い顔に疑うことを知らない大きな瞳が見上げてくる。

「あら、ハルーシ。どうしたの?」

 ダヴォルカは少女の身長に合わせ、膝を折って目線を下げる。

「うん、ビーズでブレスレットを作ったの。ダヴォルカに見せたかったから」

 そう言って、ハルーシは手のひらを広げる。色の混じった小さなビーズが連なるブレスレットが光っていた。

 この施設にいる子供は、外で元気に遊んでいる男の子ばかりではなかった。部屋遊びが好きな女の子もいた。

「すてきね。上手にできてるわ」

 ダヴォルカが微笑むと、ハルーシも嬉しそうにはにかむ。

 地響きに似た鳴動が建物を揺らしたのはそのときだった。地震など起きたことのない土地ゆえ、外部からの重火器による攻撃がとっさに頭に浮かんだ。

 が、武装組織に奇襲されたわけではなかった。その原因はダヴォルカの想像していたものとはまったく違っていた。〝それ〟を見て、息をのんだ。反射的に、絶句するハルーシを体の後ろに隠した。

 回廊の曲がり角から現れたのは、病嵐の以前に絶滅した大型の類人猿ゴリラを思わせたが、身長は高く、より人間ヒトに近いシルエットを有していた。体毛に覆われた筋肉が膨らみ、それが生み出すパワーは相当なものだろうと思われた。

 さっきの鳴動は、これが部屋から無理やり出るためにドアか壁を破壊したものだろう。牙をむき、怒りの表情をたたえた凶暴な目がその所業を裏づけていた。決定的なのは、その手に持っているものだ。血を滴らした人間の頭だった。研究員のものだ。

 異形の怪物が吠える。間合いを詰めてきた。

 信じられない光景にダヴォルカは足がすくんでしまう。体の震えが止まらない。頭では逃げなくては、と思っているが、体が反応しないのだ。このままでは、ぎゅっと抱き着くハルーシともども八つ裂きにされてしまう。

 近づいてくる怪物は、明らかに二人を標的に凶行に及ぼうとしていた。

 そこへ破裂音が響き渡り、直後に怪物の体が傾いて倒れる。足から流血。銃撃されたのだ。

 また銃声が鳴り、怪物の体から肉片が飛び散った。

 駆け寄ってくる靴音のほうを見ると、サブマシンガンをかまえたニックスであった。地下から上がってきたところだった。

「ありがとう、助かったわ。その銃が役に立つなんて……」

 危険はない、と断言していたから、よもや武器がここで必要になって助けてもらうことになるとは想像さえしていなかったダヴォルカだった。

「おまえらを助けたわけじゃない。危険な存在を排除しただけだ。しかしこれはなんだ?」

 ニックスの質問は当然だろう。

 そのとき、またも野獣の咆哮が耳に届いた。この異形の怪物はまだ他にもいるのだ、この建物の内のどこかに。

「こっちへ来て。説明するから」

 ハルーシを抱いて、再び地下へと階段を下りていくダヴォルカ。ニックスは従う。

 地下の廊下を進み、先ほどの食料倉庫を通り過ぎたその先のドアに至る。

「ここは鍵がかかっているの。そのマシンガンで壊してドアを開けてちょうだい」

「このドアの向こうになにがあるんだ?」

「武器庫よ。研究施設を守るためのもので、里の入り口の道路を守備する部隊が使うものでもあるの」

 ニックスはドアの鍵を打ち抜く。銃声が冷たい地下廊下に反響して耳をつんざく。幼いハルーシには音がよりひどくて耳をふさいでいる。

 ニックスはドアを開く。

 中に入ると、ダヴォルカが壁のスイッチを手探りで入れる。

 食糧庫と同様の広さの地下室に木箱が積まれており、焼き印で内容が記されていた。

 ニックスは字が読めない。木箱を開けて、中身を直接見て検める。それをしながら、ダヴォルカに詰問した。

「話せ。ここにはなにがあるんだ?」

 実包を手に取り、径と大きさを見て、使えそうかどうかを判断する。

「わかったわ。話すわ。あんたに理解できるかどうかわからないけど」

 ダヴォルカは説明した。

「あたいが偶然流れ着いてきたここは、いってみれば『人類再生』のための研究施設なの。病嵐のせいで人類の女性はほとんど感染して死に絶えてしまった。このままだと人類は滅びてしまう。そこで人工的に人間を生み出す研究が開始された……。でもクローンではだめなの。病嵐にかからない遺伝子を持つ、既存の人類よりも進化した人類でなければならない。Y染色体を持つ男には感染しないことから、将来自然繁殖をしても、Y染色体と似た特性の性染色体を作れる子供たちを作り育てるために、この研究所はつくられたの。それに賛同する世界中の個人や団体からの寄付で運営されている。混沌とした現代であっても、まだそんな志を持った人々もいるのよ。で、生まれたのがこの子供たちよ」

 ダヴォルカは傍らで、まだしがみついているハルーシの肩をそっと抱く。ハルーシは不安そうな目でダヴォルカを見返した。

 ニックスは聞いているのかいないのか、無言で武器の選定を続けている。

「ところが、命の研究は思い通りにはいかない。当然、失敗作も生まれた。しかし研究所ではそんな命も簡単には捨てられない。いくら寄付金でまかなっているとはいってもそれは潤沢ではないし、そもそもこの時代、物資も人材も不足がちになっている。失敗作と言われた命も研究材料として生かされた。さっきの凶暴なのも『S40ε』と名付けられた人造人間なの。四人いるけど、まさか暴れ出すなんて──」

 ニックスがいくつかの実包と大型の自動小銃を持って木箱の山から離れる。『S40ε』とやり合うならと選んだ銃は、大口径の威力の高いショットガンだった。

「行こう。相手が残り三人なら、なんとかなるだろう。脱出する」

 ニックスに今の話がどれだけ理解できたのかはダヴォルカにはわからない。専門的な部分もあるし、基本的に学校でなにかを学んだこともない文盲に、科学的な理屈を理解できるとは思えなかった。

 が、敵が残り三人というので勝てる見込みをつけたようだ。

「おれは先に行く。おまえたちは好きにするといい」

 ニックスは廊下に飛び出す。

 後に続け、とは言わなかった。ニックスらしい言動だった。ダヴォルカたちを守る気はさらさらない、自分の身の安全にしか興味はなく、脅威でない他者のことはどうでもよいのだ。先ほど『S40ε』を仕留めたのも、脅威だと感じたから排除したにすぎず、ダヴォルカたちはたまたまそこに居合わせただけなのだ。

 だがそれでも頼もしい男ではあった。守備隊を全滅させたその強力な戦闘力はここでも相手を圧倒してしまうだろうと想像できた。

 ニックスを追って、階段を上がり一階の廊下に出てみて異変に気づいた。

「煙……?」

 天井付近に漂っていた。

「火事かしら?」

 そこへ、駆け込んでくる人影があった。エルンストだった。

 銃をかまえるニックスにあわてて言った。

「撃たないで。その人は主任研究員のエルンストよ。危険はないわ」

 それでもニックスはいったん銃口を上げるも、引き金から指を外さない。

「おお、ダヴォルカ……そこにいたのか」

 エルンストの羽織る白衣やかけている眼鏡のレンズが汚れている。

「火事なの?」

「『S40ε』を制圧しようとして火事が起きてしまった」

「他の研究員ひとたちは? 脱出したの?」

「三階に取り残されている。私だけなんとか逃げられたが……」

「置いてきたのね!」

 ダヴォルカは非難めいた声で叫んだ。

「『S40ε』が暴れているんだぞ、私にどうしろっていうんだ! 命からがら逃げてきたのに」

 蒼白な顔をしたエルンストは、思い出したくもないと、身を震わせる。

「火事ならすぐに脱出する。ここにいても焼け死ぬだけだからな」

 ニックスが苛立っている。張りつめた気配でわかった。

 ダヴォルカはうなずく。

「そうね……。急ぎましょう、エルンスト。『S40ε』と鉢合わせたら、ニックスが撃退するから」

 ニックスは無言で先を行く。自動小銃を持ち、それに合う予備マガジンのパウチを腰に装着して、サブマシンガンを肩にかけたその勇ましさは、戦場に出ていく兵士の如くであった。

 エルンストはダヴォルカの言うことに従って、後について行くしかなかった。

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