Act 3

 サイードはクルマを停めてその惨状に眉をよせる。

 完全に破壊されていた。

 さきほど砂漠で見たキャラバンに対する襲撃跡に比べ、その破壊の激しさは恐ろしいほどだった。

 山道に入ってしばらく走った地点、ちょうど道の両側が斜面になっており、谷間を進むようなところだった。道の先はカーブしていて見通しは悪く、ここで襲撃されたらひとたまりもなさそうな場所である。

 実際、待ち伏せするには絶好な、両側から道を見下ろす斜面のなかほどには、いくつものトーチカが設けられていた。ここを通る者を絶対に排除しようという意図が誰の目にもわかる布陣であり、ここへ来た者は、襲撃される前に、道を進むことを早々にあきらめて引き返すしかないだろう。戦闘が起きれば、まず勝ち目はないように思えた。

 そんな場所で、ついいましがた戦闘があった。その痕跡は生々しく、黒煙が上がり、風通しの悪いせいか、火薬の匂いが消えずに漂っていた。

 集中砲火を浴び、無惨なむくろをさらしているのは、しかし道を行く者ではなかった。

 燃えていたのは待ち伏せしていたほうだった。トーチカは爆発で吹き飛び、重機関銃と死体がバラバラになっていた。血で汚れた肉片が方々に転がっている。

 情け容赦のない破壊ぶりで、ここを通ったのは、やはりニックスに違いないとサイードは確信した。

 邪魔する者は何者であろうと駆逐する──。それが死神ニックスだ。

 ここで待ち伏せしていたのは山賊なのだろうか……。この道を通ろうとするキャラバンを襲撃して暮らしている……。

 しかし、人口が減り続け、産業も衰退してきているのに、このような一ヵ所にこだわっていても次第に交通量が減ってそのうち誰も通らなくなるのではないか。だから移動を続け、旅賊となるのだ。

 それに、とサイードはこの現場に違和感を覚える。戦って勝てない相手とわかれば逃げるのが普通だ。全滅するまで戦うなど、ありえない。すべてのトーチカが破壊される前に退散するはずだろう。

 サイードは、この先になにがあるのだろうかと訝った。おそらく、ニックスはそこになにがあるのか知っているのだ。だから強行突破した。

 サイードにはこの道の向こうにあるものがまったく想像できない。ニックスが待ち伏せしている可能性もあった。

(それも、いいだろう──)

 サイードは不適な笑みを浮かべる。

(なにがあろうとも、おまえを殺すことにはかわりはないのだからな)



 サイードが豪族ヤコフに囚われたのは、もう数年前のことだった。

「さぁ、いいかげん吐けよ」

 冷たい部屋の中に冷たく響く声。

 サイードはその声には答えない。

 薄暗い部屋。ガラスのはまっていない、人が通れないほど小さい窓がひとつあって、明かりはそこからの光だけだ。壁は石を積み上げた頑丈なもので、手足を鉄の鎖でその壁につながれたサイードは、反抗的な眼で見つめかえす。拷問のため、右の耳たぶがちぎれていた。

 豪族ヤコフの警備軍に捕らえられてこの牢に放り込まれ、拷問を受けてから今日で三日になる。

「おまえがミカエルの幹部だというのは明らかなんだ」

 と、サイードよりも一回りほど年上とおぼしき警備軍の上級兵士はサディスティックな目つきで言うと、濃い髭を蓄えた口元をゆがませる。

「知らぬはずはなかろう」

 鞭の先で、二の腕の刺青をつついた。

 たしかにサイードは、豪族ミカエルの幹部だった。向かい合う二匹のサソリの刺青がそれを示していた。

 だが、頭目であるミカエルの居場所など知らなかった。

 ヤコフ対ミカエルの豪族同士の戦争は、ヤコフ側の圧勝で終わろうとしていた。敗色濃厚のミカエルは、蔵に貯蔵していた金塊を持ち出し、主だった他の幹部と警備軍のわずかな手勢と共に逃亡した。

 しかし戦場で命をかけて戦い捕虜となったサイードにはなにも知らされなかった。だからいくら鞭で打たれて体じゅう傷だらけにされても、なにも答えらえるはずもなかった。

 たとえ知っていたとしても、言わないつもりだった。頭目に見捨てられたサイードだったが、見棄てられたとも知らず、忠誠心は揺るがなかった。

 ヤコフとの戦争は単なる縄張り争いではなかった。暴虐の限りをつくす巨大勢力への制裁という面があったのだ。正義の戦いであると、サイードは信じていたのだ。

 それだけではない。

 戦場で共に戦かっていた父が、目の前で殺されたのだ。殺したのは、今サイードを拷問しているこの上級兵士だった。戦争で人が死ぬのは当たり前であったが、そんなこともあって、とりわけこの男を憎んでいた。その思いが、一層サイードをかたくなにさせていた。

 父の仇。いつか自由の身になったとき、そのときが、おまえの最期だ。

「しぶといやつだ。そんなにまでミカエルにつかえたところで、なんの得があるというんだ? ──まぁ、いい。意地をはっていられるのもここまでだ」

 兵士は冷笑した。嗜虐的な目がサイードの腫れあがった顔を楽しむかのように見た。



 しばらくして別の兵士が現れた。サイードよりずっと若い、まだ幼さの残る男だった。おそらく下級兵士だろう。粗末な軍服を支給されていた。眼は死んだように淀んでいた。

 下級兵士は、十二、三歳ぐらいのひとりの少年を連れていた。ロープで後ろ手に縛られたところをしっかり押さえている。

 それを見て、サイードの顔色がかわった。

「おまえの息子だってな」

 鞭を指で撫でながら、上級兵士は言った。

 少年の顔は殴られて、蒼く腫れていた。無表情で口をきく元気もない。ここへ連れて来られる間にどんなひどい仕打ちをされてきたか、見るからに痛々しかった。

「知っていることは全部吐けよ。こいつがどうなっても知らんぞ」

 上級兵士が嬉しそうに告げる。それはいわば最後通牒だった。これ以上の拷問はなかった。

「頼む! 息子にだけは手を出さないでくれ」

 サイードは叫んだ。暴れて鎖が鳴る。

「だったら白状しろ」

「本当に知らないんだ」

「そうか」

 兵士はいきなり少年に鞭を振った。

 鋭い音。少年の悲鳴。

「やめろお! くそぉ……。きさま、きたないぞ。それでも人間か、恥を知れ!」

 サイードは激怒した。だが上級兵士は浴びせられる罵声にも平然としてまったく意に介さない。

「こっちが知りたいのはミカエルの居場所だ。おい、ニックス、こいつに思い知らせてやれ」

 すると、下級兵士は無表情のまま腰の拳銃を抜いた。

 少年のこめかみに銃口を向けると無造作に引き金を引いた。

 大量の血が壁面に飛び散った。

 サイードは目を見開き、その光景が信じられない。歯をむき出して吠えた。

「このけだものめ! よくも……、よくも殺したな! 許さんぞお!」

 叫びながら暴れる。手足を鎖でつながれていなかったらその兵士を絞め殺していただろう。

 口から泡を吐きながら、サイードは怒鳴りちらした。怒り狂う鬼のような形相で声のかぎり叫びつづけた。

 しかし下級兵隊は、眉ひとつ動かすことなく、さらに倒れた死体に向けて拳銃を撃った。人間のミンチをつくろうかというほど。

「やめろお! この悪魔め!」

「ばか野郎、殺したらなんにもならんだろうが」

 上級兵士は下級兵士の肩を突き飛ばす。

「なにかいけなかったか?」

 自分のいまの行為に、疑問を持っていない、責められる理由がわからない様子だった。

「思い知らせろと言っただろ」

 表情の乏しい顔で、下級兵士は、肉親を殺された捕虜の怒りがちっとも理解できないかのように言う。人を殺すことになんの躊躇いもなかった。思想も感情もない殺人であった。善悪の概念が欠落したロボットのように。

「まったく……。おまえにやらせるんじゃなかったぜ。これで何回目だよ。戦闘中じゃねぇんだから、脅すだけでよかったんだよ。しょうがねぇやつだ」

 上級兵士は呆れつつ、弾の切れた拳銃をその手から奪い取った。ため息をつき、しかし、こうなってしまってもさほど悔やんだ表情も見せず、

「ニックス、ここはもういい。下がっていろ」

 下級兵士は抗議することもなく無言で退室していった。

「待てぇ! おれは……、おれはおまえを必ず殺してやる!」

 サイードが目をむいて叫んでいる。

「待て、ニックス。奴隷に死体これを片付けさせろ。今日の尋問はこれまでだ」

 不機嫌な声で言うと、二人して部屋を出ていった。

 怒りのおさまるはずもないサイードは、兵士の出ていったドアを血走った眼で凝視していた。

(あの男、ニックスと言ったか……。覚えていろ。必ずおまえをぶっ殺してやる!)

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