Act 2

 子供たちをおいて、ダヴォルカはニックスを建物のなかへと案内する。

 ニックスは水と食料を求めていた。その代わり、持っていた大量の麻薬と交換しようと申し出た。たぶん、キャラバンを襲撃した際に手に入れたのだろう。が、ここでは大量の麻薬を必要としなかった。麻薬を欲しがる中毒者はいなかったし、そんな人間が訪れることもない。

 交換には応じられないが、しかし、ダヴォルカはニックスの求める水と食料を分け与えることにした。

 死神ニックスはおそらく、山道の入り口でここを守っていた守備隊をたった一人で全滅させたのだろう。だからこの場所へ入ることができた。

 山賊に偽装した守備隊は、この場所に余所者が侵入することを阻止するためにいた。

 余所者というのは、すなわち旅賊であり豪族であり、要するに暴力でもってなにもかも奪い破壊する存在である。ここには人類の宝と希望が存在しているのだ。そこに野獣のような者を入れるわけにはいかないのだ。

 ニックスも旅賊のようなものだったが、ダヴォルカは知っていた。ニックスは必要以外の破壊や殺害や略奪はしない。目の前に立ちふさがる障害を粉砕するのみで、そこが欲の深い旅賊や豪族と違った。

 だから求めるだけの水と食料を与えれば出て行くはずだった。

「おれがお尋ね者だと知っているんだな?」

 ニックスは訊いてきた。警戒感が半端ではなかった。ダヴォルカに向けられた視線がまるで針のようであった。

 賞金首とみれば当然大勢の人間が命を狙ってくる。そんなやつらと戦い続けてきたニックスにとって、自分の素性は知られたくはないはずだった。たとえそれが女だとしても。

 そうね、とダヴォルカは肯定する。

「マティウはあの後懲罰を受けて、娼館から追放されたわ。あなたは罪なひとよね。あたいは親方に囲われていて、マティウの隣の部屋に軟禁されてたから、あなたのことを知っているの。もっとも、死神ニックスだと知ったのは、あなたが脱走した後だったけど」

 玄関を入り、小さなロビーを抜けて廊下を進む。屋内はどこも傷んでおらず、掃除も行き届いていた。廊下に面する窓ガラスは二メートルほど高い位置にはめ込まれていたが、ただの一枚も割れてはおらず、太陽の光がまぶしく差し込んできていた。

「おれを殺そうとは考えないことだな。おれを殺す前におまえが死体になっている」

 ニックスはそう釘を刺す。

 ダヴォルカは、まさか、と笑みを浮かべ、

「ここにはそんな凶暴な人間はいないわよ。あたいたちが豪族と共存しているようには見えないでしょ?」

「だからといって安全とはいえない。人を陥れる罠はどこにでもある」

「慎重なのね……。ここには罠なんてないわよ。女のあたいが自由に歩いているのがその証拠よ」

 移動娼館では自由がなかった。ダヴォルカはそれが我慢できなくて隙を見て出奔した。そしてたどり着いたのがこの施設ばしょだった。

「なにか妙な動きがあったら、おとなしくはしていないぜ」

「ご自由に。もっとも、そんな事態にはならないけれど」

 廊下の途中に地下へと降りる階段があった。

「この下に食料や水を貯蔵している部屋があるわ。どれだけ持っていきたいか、自分で選ぶといい」

 ニックスは小さくうなずいた。無表情の顔の奥でなにを考えているかまったく読めない。肩にかけているサブマシンガンが威圧感を与えた。「ここに危険はない」というダヴォルカの言葉を信用していないと主張しているかのようだった。

 先に階段を降りるダヴォルカ。

 ニックスは一切の質問をしなかった。ここの施設がどういったものなのか、なぜ子供たちが生きているのか、外にいた山賊に偽装した武装集団はなんだったのか──普通なら疑問に思うことが多くあるだろうに、それを気にすることがなかった。

 不明点はあるのだろうが、興味がない、のかもしれなかった。

 やや薄暗いものの、照明のついた地下廊下を進むと、ダヴォルカは鉄製のドアの前で立ち止まる。そして鍵もかけられていないドアを開け、

「ここよ」

 壁に手を伸ばし、照明のスイッチを入れる。天井に埋め込まれた照明が室内を突然明るく照らす。

 五メートル四方ほどの広さのコンクリートの壁で囲まれた部屋に、木の箱がうずたかく積み上げられて、さほど高くもない天井にまで達していた。

 飲料水の入ったペットボトルと保存用の食料──レーションの類だった。かなりの量が備蓄されていた。

「…………」

 ニックスは相変わらず必要以上の言葉を発しなかったが、この光景に驚いているのはダヴォルカにもわかった。おそらくこれほどの食料や飲料水が保存されているとは思っていなかったのだろう。

 ここ数年、世界の貧困度は加速していた。「モノ」がないのである。産業が失われ、生産が停止していくのを誰も止められなかった。少ない物資を奪い合う抗争だけがいつまでもなくならない。

 様々な技術が人口の減少とともに消滅し、人類はやがて原始生活へと後退し、数十年後には間違いなく絶滅する──。それはもう避けられない現実として人々に認識されていた。

 しかし座して死を待つのを良しとしない人間もいた。この施設はそんな人々の尽力によってつくられた。

 人類を絶滅から救うために──。

 その成果が、この施設にいる子供たちであった。

「必要な分をここから持ち出して。運ぶ手が足りないなら手伝うよ」

「一人で運べる。クルマに積んである麻薬は全部くれてやるから勝手に持っていくといい」

 ニックスはぶっきら棒に言った。感謝の意を示すことなく。

「わかったわ」

 ダヴォルカは麻薬などいらないが、この青年にも必要ないのだろう。だから不要でももらうことにした。それでニックスの気がすむなら、それでよかった。麻薬を持ち出さずにおけば不審感を買う。交渉が成立したことにしておけば波風も立たない。

「あなたのクルマに積んであるのね?」

「そうだ。見ればわかるだろう。小さな黒い袋に入っているのが二〇個ぐらいある」

 わかりやすい説明だった。

「わかったわ。じゃ、じっくり選んでいてちょうだい。あたいはあなたのクルマに麻薬を取りに行っているから」

 ダヴォルカはニックスを残して出て行った。



 階段を上がり、三階にたどり着いた。

 ダヴォルカは一室に入る。入ったと同時に質問が飛んだ。

「やつは何者なんだ?」

 その部屋にいた白衣を着た五〇代の男は神経質そうな表情を隠そうともしない。建物内の各所に設置された監視カメラの映像で、なにが起きているのかすべてわかっていた。

「ここは任せてくれと構内電話で強く主張したからみんな黙ってここにいたが……。いったいあいつは何者なんだ?」

 三階のフロアの半分を占める、バスケットボールのコートほどの広さの部屋には机が並び十数人の男たちがいた。全員が五〇代以上で白衣を着ていた。なかには七〇代とおぼしき老人もいた。だが人生にくたびれた感じはなく、どこかエネルギッシュな雰囲気さえあった。

「死神ニックス……聞いたことないかしら?」

 すまし顔でダヴォルカは答える。

「ニックス……だと?」

 男たちは互いに顔を見合わせる。聞いたことがない、という空気──。

「侵入者がここに現れたということは、当然、守備隊が壊滅したと想像できるでしょ。たった一人でそんなことをやってのけた男は、もう力で排除なんかできない。穏便に帰ってもらうしかないのよ」

「帰ってくれるのか? ここを破壊したり、子供たちを殺害したり誘拐したりしないと言えるのか?」

 ダヴォルカの説明に、最初に質問した男は納得しない。眼鏡の奥の目は小動物のように不安げに揺れていた。武器を持つ見知らぬ男が建物内にいるのだから、それは当然だろう。

「エルンストの言いたいことはわかるわ。あたいも最悪な人間ばかり見てきたから。でも、彼は最強の戦士だけど、必要のない暴力は行わない。彼の目的はひとつ、生き残ることだけ」

「なんでわかる? 我々がどんな苦労をして子供たちを産み育ててきたか……途中から来たあんたにはわからないかもしれないが──」

「そんなことはないわ。あたいだって、これまでどんな仕打ちにってきたか──」

 ダヴォルカは険しい表情をした。過去と向き合うのは誰しも辛い。それが今の世の中だった。

「悪かった、そんなつもりはないんだ……」

 初老の男──エルンストは謝罪した。女であるダヴォルカがこれまで生きてきてどんなことをされてきたか、考えるのもおぞましかった。

「ダヴォルカが彼を知っていて、被害を受けないよう対応するなら、我々もこれ以上はなにも言うまい……。それがすべてを台無しにされないようにする措置なら」

 エルンストは他の研究員を振り返る。その言葉に、それぞれうなずく研究員たち。

「まかせてちょうだい。とにかく、くれぐれもニックスを刺激しないように。ここが危険な場所だと認識されたら、おそらく誰一人生きて明日を迎えられないと思うわ」

「危険なものなどないのに……」

「なくても、そう思われたら、それだけで危険な男なのよ」

 エルンストは身震いした。

「必要な物資を運び終えたら出て行くでしょう。早くすめば、今日のうちに。あたいは、これからニックスのクルマに麻薬を取りに行くわ」

 ダヴォルカはくるりと背を向けると、部屋を出て階段を降りていった。

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