第4章 サイード

Act 1

 どこまでも広がる砂漠を一直線に通る舗装もされていない道路に、一台のトラックが横倒しになって擱座していた。運転台は無惨に破壊されて黒く焼け焦げており、乗員もすっかり焼けて人の形をした炭になっていた。

 トラックの周囲にも、何台かの小型車両が燃えた部品をまき散らして点在していた。そちらの乗員も、飛び散った部品といっしょにどこかにバラバラになってしまっていた。

 くすぶっていた火はもう消えていたが、暴力的なほど強い日差しがすべてを熱し、この破壊行為がまるでつい先ほどされたかのように生々しかった。

 その光景を見て、その男は確信する。乗ってきたクルマから降りた、四十代半ばとおぼしき男は、砂埃にまみれた体から一種異様な闘気を発していた。それは獲物を追う野生動物のようでいて、しかし目には狂気に似た光をたたえていた。

(やつだ……。ニックスに違いない)

 破壊された小型車両はキャラバンを護衛していた用心棒のものだろう。しかし、スクラップにされた車両の数のわりに、獲物となったトラックは一台だけ。いくら小規模のキャラバンといっても、トラックがたったの一台とはありえない。護衛車両の数から、四、五台のトラックはいただろうと推量される。

 旅賊の襲撃ならば、キャラバンが率いるトラックは根こそぎ標的にする。一台だけ仕留めて、あとは逃がすということはない。

 獲物は、トラックたった一台だけで十分なのだ。なぜなら、襲撃者は単独だから──。

 単独でキャラバンを襲撃する──。

 知っている限り、そんな無謀なことをする人間などいるはずがない──そう、死神ニックスを除いては。

(町で噂を聞いて、ここまでやって来たが……どうやら、噂は本当らしい)

 男の名はサイードといった。無精髭ののびた口元に笑みを浮かべ、

「待っていろ、ニックス。きさまだけは絶対に許さん。このおれの手で地獄へ叩き落としてやる。じっくりと、なぶり殺してやるから、覚悟していろ」

 最近この付近で、しばしばキャラバンが襲われているという噂を聞いた。それも盗賊ではなく、たった一人の男に。大層腕の立つ男で、小規模な旅賊なら打ち負かされてしまうという。

 それを聞いたとき、サイードは確信した。間違いない。ヤツだ。一匹狼のニックス。

 サイードは、深い憎悪のこもった目で、遠く広がる地平を見つめた。そのどこかに、捜しつづけている男がいるはずだった。

 ──あのときのことは生涯忘れまい。この恨み、どうあっても晴らさせてもらう。

 サイードは、傷だらけの双眼鏡で前方を見る。

 荒れ果てた不毛な大地がどこまでも続き、地平線までその視界をさえぎるものはなかった。乾ききった砂漠地帯。動くものの影はなにひとつない。だがこのどこかにいるのはまちがいないのだ。長年、追いかけ続けていた仇が。

 山の峰が見えた。

(怪しい……)

 サイードは双眼鏡の倍率をあげる。まだ遠すぎて、人影など見えるはずもなかったが、じっと見つめ続けた。なにかの気配でも感じ取るかのように。

 山の峰はそれほど高くないようだった。木々も建物らしき影もなく、砂漠の延長のような土地であったが、隠れるにはほどよい岩場がゴツゴツとあった。

 サイードは再びクルマに乗り込み、双眼鏡をダッシュボードにしまう。

(ニックス、待っていろ)

 ステアリングを堅く握りしめ、サイードはアクセルを踏み込んだ。



 周囲を切り立った山で囲まれた標高のやや高いその土地は、外敵の侵入を防ぐ天然の城のような場所だった。

 世界中が戦乱に明け暮れるようなこの時代にあって、そこだけは平穏な時間が流れていた。白い雲が高く浮かぶ青空は同じであるのに、ここには神の庇護でもあるかのように、その空が爽やかに見えた。

 そこには、大きな一つの建物があった。三階建てのコンクリート製のビルである。白い外壁には、火事や砲弾による黒焦げた穴や銃弾によって穿たれた窪みもなく、窓ガラスはただの一枚すら割れていなかった。重火器による戦闘とは無縁の、それはこの大陸中どこを探してもなさそうな、まるで奇跡のような佇まいであった。

 しかし、奇跡はそれだけではなかった。

 そこには、さらに信じられない光景があったのだ。

 建物の前の広い庭のような空き地──そこに歓声を上げて無邪気に遊ぶ数人の子供たちの姿があったのである。

 世界が病嵐に襲われ、人類は子孫を産める女性を失った。わずかな女性が罹患せずに生き残ったが、それは種の存続には絶望的なほど足りなかった。それから十年が過ぎ、人類はただ老いていく一方で、もはや絶滅が避けられない状況にあった。

 そんななかで、ここに新たな命が存在していたのだ。

 しかもサッカーボールを蹴って遊ぶ子供たちを見守る一人の女がいた。

 女は、さも当たり前のような様子で、直射日光を避ける木陰で、子供たちを見ている。砂漠には木などほとんどなく、乾燥に強いサボテン類がかろうじて根を張っているにすぎないのだが、雪解け水が地下を流れるこの限られた場所にだけは緑の草木が茂っていた。ところどころに枝を広げる広葉樹や丈の低い草が地を覆って。

 陽は高く、そろそろ昼食のため家に入る時間だと子供たちを呼ぼうとしたとき、彼女は気づいた。

 近づいてくる一台の小型車両に──。



「!」

 見慣れないクルマに、彼女は警戒する。

 この場所にやってくるクルマは、ごく限られたものだけであり、その他の車両が入ってくることは、まずない。あったとしても、単独ではなく、必ず知ったクルマが先導しているはずだった。そうでないとするならば──。

 異常な事態だ。だが、子供たちはそれがわからない。

「みんなー、ちょっとこっちに集まって」

 女は呼びかける。危険が迫っているかもしれなかった。

 だが、遊びに夢中の子供たちは不服だった。まだ遊んでいたいのに。サッカーボールを追いかけ、

「ええー、なんでー?」「あとでいいでしょ?」「ボール、そっちへ行ったぞ」

 言うことを聞かない。近づいてくるクルマを警戒する様子もない。

 クルマが近くまで来て停止する。フレームがむき出しの、運転席の周囲にだけ鉄板の張られた、武骨な小型車両に乗っているのは一人。運転席から立ち上がり、遊び回る子供たちと、女に目を留める。

 さすがに子供たちも遊びを中断し、無邪気にその来訪者を物珍しそうに見ている。

 女は駆け出し、その子供たちを守ろうとするように、来訪者との間に入った。丸腰であった。自身も危険であるというのに、毅然とした態度で来訪者と正対した。

 来訪者は若い男だった。髭の薄さからそう見えた。クルマには武器が無造作に、かつ大量に積み込まれていた。しかし一見乱雑だが、どれも運転席から手の届く位置にあり、すぐに使えるように配置されていた。その無駄のないやり方に、暴力が支配する今の世を生き抜いてきた手練れの匂いを強く感じた。ひとたびその能力が解き放たれれば、周囲に圧倒的な死の惨状が展開されるだろう。

「………………」

 青年は口を開かない。たぶん目の前にある光景が意外すぎて驚いているのだろう。女性が自由に屋外にいるのもかなり稀有な状況だろうが、それ以上に、おそらく世界でただ一ヵ所、子供のいる場所だろうから。

 そこにやってきた一人の男。目的はなんなのか──?

 女は鋭い視線で彼を凝視する。まるで悪魔でも見るような目つきで、これから起きるであろう災厄を思って。

 と、その目が突然見開かれる。

 その青年に見覚えがあった。見忘れるわけがなかった。彼女のなかで、その男の存在は特別であった。忘れるはずがない。

 と、同時に、彼の目的がなんとなくわかった。

 女は口を開いた。

「あなたはニックスね……。あたいはダヴォルカ、移動娼館にいたのよ。安心して。ここは豪族の村じゃないし、あなたを狙う人間は誰もいない」

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