挿話 3
少年兵
その少年は十歳には見えなかった。
栄養失調により、見た目は八歳ほどだ。しかしその目はときに鋭くどこまでも見通すような眼力を備えていた。
名前はない。物心がついたとき、すでに両親はなく、難民キャンプの仮設の孤児センターに、大勢の他の子供たちとともに寝起きしていた。誰かが名を呼ぶこともなかったから、名は与えられていなかった。
食べるものはいきわたらず、こんな難民キャンプに来たところで食い扶持が保証されるわけでもないのに、内戦による混乱と暴力で死ぬよりはマシだと、大勢の人間が集まり、その数は増え続けていた。結果、難民キャンプでは毎日、誰かが死んでいた。栄養失調と病気と暴力によって。
孤児センターでもそれは同じだ。大勢の子供たちが新たに連れてこられては死んでいく。世話をする大人たちにしても、いちいち名前を憶えていられなかった。
八歳のときに武装集団の大人に誘われて難民キャンプを出たが、少年兵として捨て駒のような扱いを受け、やはり名前を呼ばれることもなかった。
そのことに、その少年は違和感を持たなかった。家畜に名前がないのと同じだった。
が、この項では名無しのNとしておこう。
Nは、他の少年とともに汚い小屋に監禁されて、そこから出るときは訓練のときと出撃のときだけだった。自由はなかった。
十歳といえば、すでに年長者に入った。Nより年長者はもう全員これまでの戦いや大人たちからのリンチによって死んでいた。ここにいるのはNより年下の子供たちばかりだった。最年少は六歳。銃を持つには幼すぎて、ダイナマイトを巻いて自爆する人間爆弾として使い棄てられる、武器のひとつだ。その程度の価値しかなく、もはや「人間」ではなかった。本人は死ぬ自覚さえないかもしれなかった。
訓練は毎日のように行われた。号令通りに走り、号令どおりに伏せ、号令どおりに射撃した。弾丸がもったいないからという理由で実弾はもたされず、的を狙うだけであったが、武装集団にとって捨て駒のような少年兵はそれでじゅうぶんだという判断だった。
訓練を指示する武装集団の幹部の元に、頭目がやって来た。どこから調達してきたのか、迷彩柄の軍服を着た正規軍気取りの頭目は、直立不動で敬礼する幹部に、
「ご苦労」
と声をかけ、訓練で土埃にまみれるNら少年兵の様子を腕組みをして眺める。
「これだけしかいないのか……」
「はっ、全員で十五人です」
頭目は苦笑する。
「十五人といっても、おまえ、銃も持てない赤ん坊もいるではないか……」
五、六歳の幼児は、赤ん坊も同然だった。
「銃は持てませんが、爆弾要員として訓練します」
幹部はこれまでと同様の作戦で戦うのを前提として訓練していた。事実、銃を持てない子供にはダイナマイトを模した錘を腰に巻いて目標に向かって走る訓練をさせていた。
頭目は腕組みをとき、
「おまえも知ってのとおり、前回の襲撃ではおれたちにもかなりの損害が出た。そのわりに強奪できた物資はわずかだった。ここのところ人口が減って、村人が村を捨てて廃墟となった地域もある。そのくせ見込みのありそうな村は防備が固くなって、襲撃しにくくなっている。我々の貯蔵物資も底をつきかけている」
頭目がなにを言わんとしているのかわからず、幹部はきおつけのまま背筋を伸ばして聞いている。
「我々のとる戦法は早晩立ち行かなくなるだろう。そこでだ……」
頭目は浅黒い頬に走る傷跡をゆがませ、不敵に笑う。
「攻撃の作戦を変更する。少年兵を我々と同じ攻撃部隊に組み込む」
「はっ……」
御意の返事をしたものの、幹部は意外な顔つきなる。
「しかし……よろしいのでしょうか?」
幹部にとって、少年兵は、大人と違って半人前にしか映らない。体力もなく、大人と同じ戦闘力を期待できない。
頭目は幹部に耳うちするように迫り、
「このままでは主力部隊の兵力が維持できない。少年兵を格上げしてでも補充しなければならない。次に襲撃するのはハムザの村だからな」
「!」
幹部の顔が引きつる。それもそのはず、ハムザはこの地域で最大の勢力を誇る村だ。警備軍の規模も大きい。そこを襲撃するには兵力が足らない。にもかかわらず──。
「我々に残された手段は限られているのだ。どんなことをしても、我々は前進しなければならないのだ」
「ですが……捨て駒作戦を今後やらないとなると、それではどのような作戦で攻撃をしかけるのでしょうか……?」
「夜間に奇襲する」
「!……」
幹部は瞠目する。夜間攻撃は味方を誤射する可能性が高い。それを恐れて夜襲など誰も考えなかった。
「いかなハムザとはいえ、夜襲までは想定しておるまい。勝てる。我々が勢力を拡大していけば、またいくらでもガキをさらって少年兵に仕立て上げられるし、捕虜を奴隷にできるだろう」
病嵐がまさか世界中で同時に起きているとは思っていない頭目だった。この世界のどこかにはまだ女が子を産んでいると思い込んでいた。
インターネットが崩壊してしまって情報が入ってこないため、世界の実情などわかるはずがなかった。ネットが動いていないことが、どういうことなのかという想像力もなかった。
幹部も戦い以外に能のない男だった。そういうものかと頭目を妄信していた。
「イエッサー!」
と返事をした。
その瞬間から、Nの戦いは変わった。
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