Act 7
小型車両は急発進。シートに体が押しつけられる。
「そいつはお尋ね者のニックスだぞ! 首をとったら豪族から賞金がもらえるんだぞ。戻ってこい!」
背中にそんな声が聞こえたが、すでに車速は上がって、エンジン音にかき消されてしまう。
「お尋ね者……?」
マティウは隣の席で運転に集中している青年の顔をうかがう。そして理解する。
お尋ね者の賞金首──。だから名乗らなかったのだ。だからここから出て行こうとしたのだ。だからあれほど他人とは違うある種危険な雰囲気をかもし出していたのだ──。
「そう……そういうことだったのね……」
マティウのつぶやきが青年──ニックスの耳に届く。しかしニックスは気にもとめない。
それどころではない。後方から追いかけてくる何台もの小型車両に気づいていた。モスコンたちが追いかけてきたのだ。屈強な男どもが乗りこんだ戦闘用の小型車両がたちまち距離を詰めてきた。荷物や武器などの荷重のあるニックスのクルマではそれほど速度は出せない。しかも夜間である。道のない砂漠を走っているわけだから、慎重に運転しなければ、どんな事故が起こるかわからない。陥没や樹木がヘッドライトの明かりに突如現れるかもしれないのだ。
一方の追っ手は多少の危険は顧みない。獲物を逃してしまってはならないと、懸命にスピードを上げて迫ってくる。地面の状態など気にしない。
次第に距離をつめてくる追っ手の車両。
「くそっ……」
ニックスはさらにアクセルを踏みこむ。エンジン音が高くなる。急な加速に、マティウはシートにしがみつく。なにか言いかけたが、激しい揺れに歯を食いしばる。
「マティウ、そいつを捕らえるんだ! 逃げても無駄だぞ!」
背後から届くモスコンの怒声。
続いて銃声。
マティウに当たってしまうのもいとわない射撃の主は、完全にカネのことしか頭にないようだ。
マティウは首を縮めている。
このままでは追いつかれてしまうだろう。追っ手は三台。ここは転回して反撃に出るしかない。しかしもっとオアシスから離れてからだ。そうでないと騒ぎを聞きつけて何事かと集まってきてしまう。十分離れてから反撃するのだ。
武器が少ない。手の届くところにあるのは自動小銃と拳銃だけだ。
後方からの銃弾が光の線となって闇を切り裂く。
運転しながら、ニックスは自動小銃を片手にもつ。残弾数まで確認していなかった。空になってもマガジンをとりかえる余裕はないだろう。
ニックスはステアリングを操作し、クルマをジグザクに走らせる。そしてとつぜん転回すると、追っ手のクルマの横へ回りこんだ。
自動小銃を撃った。振動の激しい車上からでは狙いがつけにくいうえに暗い。ヘッドライトだけが異様に明るく、運転している人間はほとんど見えない。あてずっぽうで撃った。
ヘッドライトが割れる。が、敵車は止まらない。
モスコンたちは、まさかニックスのほうから攻撃してくるとは考えていなかった。まるで獲物を追いつめたハンターのような気分で、ニックスを嬲り殺そうとしていた。
あわてた用心棒は、各自クルマを転回し、ニックスを包囲する機動に入った。
そうはさせるかと、ニックスはその包囲の外にクルマを走らせる。
もはや追う追われるという図式ではなくなった。完全に両者入り交じっての戦闘になった。用心棒にしてみれば、誤って味方を撃ってしまうかもしれず、むやみに攻撃できずにいた。さらに、ニックスからだけではなく、味方の誤射からも気をつけなければならない。
あっという間に不利な状況に陥ってしまった。
一方のニックスは確かにさっきよりは優位には立てたが、決して安全になったとはいえない。敵はあくまでニックスを狙っているのだ。
こっちの貧弱な武装だけでは敵を倒すことなどできない。同士討ちを期待するしかないが、一時のパニックを脱して敵が慎重になると、それもかなわない。
このままでは、いずれ殺られる。
そのとき、すぐ近くで大きな音がした。
ニックスが振り向くと、マティウがグレネードランチャを発射していた。クルマに備えてあったものだろう。擲弾がセットされていたようだ。
闇に爆発の光。一台のクルマに命中した。
それで、敵の攻撃がさらに激しくなった。マシンガンの連射音。
マティウも自分の身が危ないのだ。娼館キャラバンの仲間であっても、今や追われる身だ。
「あたしは、あなたについていくわ!」
マティウは叫ぶようにニックスに言った。
ニックスは答えなかった。周囲がうるさくて、なにを言ったのか聴きとれなかった。
モスコンたちもグレネードランチャを撃ってきた。
爆発の炎があちこちに咲き乱れる。用心棒らがニックスのクルマを確認しながら撃っているのかどうか疑問だった。まるでめくらめっぽうに撃っているようだった。
どうせそれほどニックスに固執しているわけでもなく、単に賞金に目がくらんだだけの連中だ。被害が増えるとなれば、攻撃も荒っぽくなる。
ニックスは、今がチャンスだとわかった。転回させていたクルマをまっすぐになおすと、一目散にその場から離れた。
予想したとおりだった。一台も追ってこなかった。
夜が明ける。
砂漠に光が戻ってきた。
クルマの周囲には広大な大地があるのみで、人影も人工物もなく、遠くに山の影が小さくまだ薄暗いシルエットを見せているだけだった。
何時間も運転していたニックスはやっとクルマを停止させた。装備を点検しなければならなかった。
運転席から振り返り、マティウが乗っていることを思い出した。
マティウは眠っていなかった。腕を撃たれていた。出血はすでに止まっていたが、手当をしなければ腕を失うことになるかもしれない。
けれどもマティウはそんな傷を負っても、ニックスの顔を見て微笑んだ。なにかをやりとげた満足感のような思いで。
「あなたがお尋ね者でもかまわない。ずっとついていくわ……」
「降りろ」
しかしニックスは短く言った。
「おまえといっしょにいるつもりはない」
マティウは信じられないという表情でニックスを見つめる。
「どうして? あたしはあなたを救けたのよ」
「生かしておいてやるから、早く降りるんだ」
「理由を教えて。どうしてあたしがいてはいけないの……。あなたのためなら、なんでもするわ。だから……」
「どうしても降りないというなら、ここで殺す」
ニックスは拳銃をつきつけた。
マティウの目に涙があふれ、砂煙で汚れた顔をつたう。
ニックスは無表情で待った。引き金を引くのに、なんのためらいもなかった。
マティウはやっと理解した。ニックスの本当の気持ちを。それは、なぜ彼がお尋ね者であるのかということの、明確な答えであった。
ニックスはマティウなんかとは、根本的に違う人間なのだった。そのことに、マティウはこれまでまったく気がつかなかった。ただ自分の気持ちを正直に表すことに忙しく、ニックスを理解できないでいたのだ。
マティウは絶望的な気持ちでクルマを降りた。仲間に手をあげた以上、もう戻れなかった。
ニックスはクルマを再発進させた。軽くなった車は、加速も軽やかに走りだす。
脱出は成功した。そのことにニックスは満足していた。それだけだった。他に思うことはなかった。
マティウの泣き叫ぶ声が聞こえたが、ニックスは振り返らなかった。
砂煙がタイヤの後ろに舞い上がり、その土煙が二人の間に立ち込め、お互いの姿が見えなくなる。二度と会うことはないと告げるかように。
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