Act 5
窓の外は残照がぼんやりと景色を浮かび上がらせ、夜の帳が降りようとしていた。
昼間、外へ出たいと親方に申し出たが一蹴された。今日は初日で忙しい、というのだった。しかしせっかくオアシスに着いたというのに、ずっと閉じこめられていたフラストレーションはもう限界にまで高まっていた。
明日まで待て、と言われたが、ダヴォルカは待てなかった。
準備はできていた。
(こっそり抜け出して、また帰ってくればいいだろう……)
出入り口のドアは、外から鍵がかけられていたが、ドア横の壁に、密かに小さな穴をあけていた。ふさいである板を外せば体をねじこんでなんとか通れた。服装も親方が用意してくれたものがあった。男性用の服だった。女だとわからないように、あちこちに詰め物がしてある。それでもバレないように外出は夜間のみだ、と親方は用心深い。
つまり今夜出られないとなると、明日の夜までまる一日待たねばならないのだ。その一日を想像すると苦痛だった。
護身用の小型拳銃を懐に隠し、ダヴォルカはトレーラーハウスを出る。
町は、娼館ほどではないにしろ明るい。砂漠の真ん中ではせいぜい月明かりが大地を冷たく照らしているぐらいなのに、町には人工の照明が、人の心を惑わすようにあちこちで光を放っていた。どこからともなく音楽も流れてくる。
ダヴォルカも、楽しげな囃子に誘われるように歩を進める。
豪族の町のような大きな建物はないが、自由な空気が人々の間に満ちているのがわかった。夜を楽しむ余裕がオアシスにはあった。
食事や酒を出す店に客がつめかけ賑やかだ。そんな店が町のところどころにあり、その周囲だけ明るさが際立っていた。その明かりを頼りにさらに人が集まってくる。一日の労働をねぎらって路上に車座になって宴に興じる男たち。
わずかばかりの小銀貨を持ち出していたダヴォルカはなにが売られているのだろうと店をのぞく。銀貨は、一応コインの形をしていたが、貨幣の価値を保証する国家がない故、純粋に銀の重さで取引される。このオアシスでも通用するだろうと思った。
どこで作られたかわからない、銘柄ラベルさえない正体不明の酒が売られていた。ボトルごと売ってもいたが、品不足のため高価なので、カップで買ってその場で飲む客が多かった。早くも酔っ払って路上に座り込んでいる老人もいた。そのまま眠りこんでしまいそうだったが、昼間の暑さが嘘のように夜間は気温が下がって体調を崩してしまうというのに、まるっきり気にしていない様子。
ダヴォルカは小銀貨を一枚差しだし、酒を求める。
店主の中年男は小銀貨を手に取ると、伸びた口ひげをもぞもぞと動かし、
「これだと、ウォッカがカップ半分だな」
と、顔を半分フードとマフラーで隠しているダヴォルカを値踏みするように見返した。自由な交易を行えるオアシスにあっても酒は希少だった。年々、人類が生産できるものの量が減っている。それにともないモノの価値も相対的に上がった。
「それでいい」
ダヴォルカは、女であると気取られぬよう声を低くして答えた。小銀貨はそれほど多くは持ち出せなかった。景気よく使ってしまう気にはなれない。
「はいよ」
もっと買えと言わんばかりに、ウォッカを半分そそいだ陶器のカップを突き出してきた。
ダヴォルカはそれを受け取り、他の客と同じように店先であおった。味はおいしくはなかったがアルコール度だけは高かった。焼けつくような刺激が腹の底へと落ちていった。
一気に飲み干すと、その店を後にし、さらに町の奥へと歩を進める。なにか他に美味しいもの、素敵なものは売っていないかと期待して。
が、その足が突然止まる。
オアシスの陽気な空気のなかに、その雰囲気に似合わない気配がしたのだ。女性であるダヴォルカには、それが敏感に感じられた。
(なんだ……?)
異様な、ひと言でいうなら人間離れした気配の発する方向を見定める。
視線の先に若い男がいた。そこでダヴォルカは思い出した。その独特の雰囲気は、どこかで、それもごく最近感じたことがあった。
(この気配は……!)
それは、マティウの囲っている名も知らぬ男のものに違いないと気づいた。
彼は、オアシスに住む他の人間と同じように歩いているようでいて、明かりの届かない闇だまりを選んで移動しているようだった。その間にもなにかを探しているような素振りがさりげなく見えた。
(なにを探しているのかしら?)
ダヴォルカはそっと後をつけてみることにした。親方には釘を刺されていたが、マティウが夢中になってしまうほどの男に興味があった。
オアシスでの初めての夜。それは退屈で気を張り続けた砂漠の旅からの解放であり、移動娼館の用心棒たちにとって気分が高揚する
娼館での開店準備から始まる仕事も客を迎えるころには一段落し、持ち場につかなくてよい何人かはさっそく町へと繰り出した。おいでおいでと誘っているような電灯の明かりになにかを期待して。
目ざとく見つけた酒場があった。
「ここにしようぜ」
酒に飢えた用心棒たちは、もう我慢がならなかった。小銀貨はもってきていたし、ひと晩で飲み尽くす気でいた。明日がどうなるかわからない今の世で、欲望を抑えるなどという考えはなかった。
どやどやと酒場に入る。
プレハブの小屋のベニヤ板の壁は落書きによって無秩序に占拠され、酔った客が暴れでもしたのか穴を補修した跡がいくつもあった。
回転を早めるためか、それとも用意するのがわずらわしかったのか、イスはなく、高い小さな丸テーブルだけの立ち飲みスタイルだ。
それでも用心棒たちは気にしない。いくつかの丸テーブルに陣取り、店主に酒を注文する。
「この店でいちばん
どうせ飲むのなら、上等な酒が欲しかった。酒がどれだけ生産されているかわからないが、昔のようにカネさえ出せば良質の酒が飲めるというわけではない。いつか一滴も飲めなくなる日がくると思えば、今のうちに飲んでおこうというものである。
カウンターの向こうで他の客に酒を出していた店主は、
「いいブランデーがある。今時珍しいから、なくならないうちに飲むといい。二度と手に入らないかもしれないからな」
見たことのない顔の客に、ついタメ口になる。
「ブランデーか……」
しばらく飲んでないな、と用心棒はつぶやき、店主の態度になぞ頓着しなかった。
「おれはとにかく量が欲しい。小銀貨十五枚で多く頼むぜ」
べつの用心棒が注文する。砂漠を移動中や豪族を回っているときは、物資があまり手に入らず倹約を強いられた。オアシスにたどり着いたときぐらいは羽目を外して飲み明かしたかった。また、そんな自由なときがなければ、やっていられない。
他の用心棒たちも好き勝手に注文する。店主はその対応に忙しくなる。
酒が来るまでの間、用心棒たちは所在なげに店内を眺める。規格がバラバラの照明器具が天井からぶら下がり、店内をまだらに照らしていた。電力は自家発電と共同発電の併用でもじゅうぶんとはいえず、なんとなく薄暗い。その照明が壁の張り紙をぼんやりと浮かび上がらせていた。
「ん?」
ひとりの目が、その張り紙の写真に釘付けになった。テーブルを離れ、近くに寄ってじっと凝視する。
「どうした? おまえの分の酒がきても、こっちが飲んじまうぜ」
だがそんな言葉も耳に入らないようで、しきりに張り紙を見つめている。
そこには一人の男の顔写真と懸賞金の文字があり──つまりは賞金首の張り紙だった。中金貨十五枚という、破格の懸賞金のかけられた男の写真を穴があくほど見ているその用心棒──モスコンは、やがてクルリときびすを返すと、テーブルには戻らず、店を出ていこうとする。その思い詰めたような表情になにか異変を感じ取った仲間の一人が呼び止める。
「どこへ行くつもりだ? 酒はいいのか? というか、なにがあった?」
肩に手をかける。
「奴だ。間違いねぇ」
振り返らず、モスコンは答えた。さきほどまでと打って変わった殺気がその背中から立ち上っていた。
「なんの話だよ」
「マティウの世話になっている、あのいけ好かねぇ小僧だ」
「やつがどうした?」
「やつはお尋ね者だったんだ。中金貨十五枚の懸賞金がかけられてる。しかも生死は問わないという。おれはヤツを殺して懸賞金をいただくぜ」
「なんだと? あの張り紙がそうなのか!」
「おっと、おまえらに話したのは、どうせバレるからと思ったからだ。ヤツを仕留めるのはこのおれだ」
「待てよ。懸賞金がかけられてるとなれば、かなりの手練れだ。ひとりじゃ返り討ちに会いかねないぞ」
「ヤツは病み上がりだ。大怪我してまだ完治してねぇ。今なら
モスコンの目の色が違っていた。獲物を捕らえようとする猛禽類の目だった。
「ヤツはなんて名前なんだ?」
仲間の男は壁の張り紙を振り返る。紙質のよくない印刷の文字に目を細めた。
「ニックスだと……!」
目を見開いた。
「待て! ヤツは死神ニックスだぞ、一人でやるのは無茶だ!」
顔色を変えてモスコンを制した。ニックスなら噂を聞いたことがあった。最強の豪族ヤコフの警備軍に所属していたが、仲間の兵士二十人を虐殺して逃亡したという。その噂がどこまで真実なのかはわからない。しかし、長く懸賞金をかけられたお尋ね者だというのに、いまだに生きている、という時点で、すでにただ者ではない。生死を問わないとなれば、これまで幾度となく刺客に命を狙われてきただろうに。それら命知らずの刺客の襲撃をことごとく跳ね返し、返り討ちにしてきたのなら、その手腕は人間離れしているのではないかとさえ思えてくる。
「ふん、こんなチャンスを、指をくわえて見逃す手があるものか。どんなすごいヤツか知らねぇが、噂は大袈裟に伝わるってことさ。今朝がた見たヤツにそんな雰囲気なんぞ毛の先ほどもなかったぜ。懸賞金はもらったも同然だ」
モスコンは仲間を振り切って店を出ていった。酒なぞのんびりと飲んでいる場合ではなかった。
ダヴォルカは信じられない光景を目にした。
マティウのお気に入りの青年が、闇のなか、素手で人を襲うところだった。それは一瞬の出来事で、まさしく訓練された戦闘員の技であった。
(彼はいったい、何者だろう?)
ダヴォルカは首をひねる。ただの男ではない。娼館キャラバンの用心棒よりもはるかに高度な戦闘力を有している。
どこでそんな技術を獲得したのか──。組織された警備軍ぐらいしか思い当たらないが、だとしても、そこらの山賊あがりの豪族では、なかなかこのレベルに達するのは難しいだろうと、ダヴォルカはこれまでいくつかの豪族を渡り歩いてきて、そんな印象を持った。
意識を失ったか、あるいは死んでしまったかは、遠くからでよくわからなかったが、地面に倒れた相手からなにかを取り上げていた。おそらくカネや拳銃だろう。それをするのも手際がよかった。ものの十秒もかかっていない。洗練された動きにはまったく無駄がない。
そうやって青年は、まるで夜行性の肉食獣のように夜の闇にまぎれて何人かを襲ったが、目的のもののすべてが見つからないようで、娼館キャラバンに戻ってきた。
声はかけなかった。得体の知れない相手に対する本能的な畏怖が、その身を近づけさせなかった。
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