Act 4
オアシスに着いた。
かつては大きな湖だったそこは、その面積を年々縮小していき、今やかつての十分の一程度になってしまっていた。もともとは遠くの山脈からの雪解け水が地下を通って湧き出していたのだが、その地下水が到達する前に大規模な農場を維持するために盛大に汲み上げられたために水脈が細くなってしまったのである。病嵐後、せっかく開墾した農場は放置され揚水ポンプも停止してしまったが、水量が戻るにはまだ相当な時間がかかりそうだった。人類が絶滅するまでに間に合うかどうか微妙なところだった。
そんな涸れかけた水質の悪い湖だったが、それでも人々にとってはありがたい存在だった。
どの豪族も、なんとかこのオアシスを手に入れて利権を主張したがってはいたが、狭くなったとはいえ、まだまだ広大な湖を独占できはしなかった。豪族は、互いに牽制しながら、なかなか手を出せずにいた。その間、自然発生的に村や町が湖畔のあちこちにでき、独自の自治による暮らしが営まれるようになった。
豪族による搾取がない、自由な空気のなかで、今の世界では珍しく治安のよい地域が奇跡的にできあがっていた。
もちろん、モノの流通も盛んだ。ほそぼそとながらある程度の産業も興され、キャラバンがオアシス周囲に点在する村や町を結び、豪族のもとへ運ぶ荷物が積まれたり、金銀貨がやりとりされたりしていた。
そんなオアシスには、当然ながら娼館もあったが、マンネリに飽き飽きしている客にとっては新鮮味のある移動娼館の人気が高かった。男たちの欲望には底がなかった。
村はずれに連接トレーラーを停めると、目ざとく見つけた町の男が、昼間っから興味津々で訪ねてくる。
「営業は夕方からだよ! 今日は初日だからサービスするよ!」
先頭にたって開店の準備に忙しく立ち働く親方が、愛想よく笑顔をふりまく。立て看板を出したり、受付場所を設置したり、宣伝のために町に散っていったりと、やることは多い。男娼も用心棒も区別なく働く。むろんマティウもだ。
それで夕方の開店を心待ちにしていったん去っていく客たち。
マティウに拾われた青年の怪我は、手厚い治療と若さによる回復力の早さでずい分と良くなり、歩き回れるようにはなった。
トレーラーのデッキに出て、オアシスを背に立ち並ぶ町の粗末な家屋を眺めている。澄んだ眼は町の細部を見透かすようで、ただぼんやりと見ているのではなく観察しているかのようだった。
ふいに振り返った。その視線の先に、一人の男がいた。粗野な物腰から男娼ではないとわかった。娼館がかかえる用心棒だ。
「おい、おまえ」
顔に深い傷痕のある男は鋭く声をかけた。目つきが鋭く、口元の笑みは残酷そうに口角がつりあがり、伸びた髭が顎を覆っている。モスコン、という名前だったが、そこまで青年は知らない。
「マティウのところに転がり込んだやつだな」
青年の意思でマティウに取り入ったわけではなかったが、モスコンはあからさまな悪意をみせた。
「お気に入りだってな? 毎日、遊んでもらってんのかい?」
町から町へと移動するときには旅賊の襲撃が予想された。キャラバンは自衛のために武装していた。移動娼館も同様だ。いわゆる用心棒であり、数台の小型車両に分乗してトレーラー隊の周囲を併走する。いざ襲撃となれば体を張って娼館を守るのだ。戦闘の際には頼もしい男たちだったが、元来荒々しい性質の者が多かった。元豪族警備軍だったり、元旅賊だったりで、そういう生き方しかしてこなかったやつらだ。
オアシスに着き、やりたくもない娼館の準備作業をやらされ、仕事のうちだからとやりはするが、不満もたまっていたのだろう。ケンカを売るにはちょうどいい相手だと、病み上がり青年をみた。マティウの部屋で美味いものを食わせてもらっているのも鼻持ちならなかった。
青年が黙っていると、髭面の用心棒は大股で近づいてきた。青年の無表情が、すましたように見えて、それが澗に障った。
「この野郎……、黙っていねぇで、なんとか言ったらどうなんだ。それとも口がきけねぇか?」
モスコンの顔から笑みが消えた。
「なんだその目は……。マティウにかわいがられているからって、いい気になるんじゃねぇぞ」
一歩近づいてきた。
それでも青年は黙っていた。まったく物怖じしない態度で。
「おれになんの用だ」
青年ははじめて口を開いた。
「おっ、口はきけるらしいな。ちょいと暇なんでな……」
モスコンはまた一歩青年に近づく。
「だからなんだというんだ?」
「察しの悪いやつだな。いっちょ遊んでやろうってんだよ」
「おまえなんかと遊びたくはないな」
「そうはいかねぇ」
いきなりモスコンは殴りかかってきた。
青年は素早く反応した。突き出された拳をかわすと、相手の懐にもぐりこんだ。のどもとを狙って拳を突き上げる。捉えた。
モスコンの体が後方へ跳んだ。不様に地面に転がった。
「くっ……!」
しかし今の一撃で痛めたのは青年のほうだった。まだ傷が治りきっておらず、激しい動きが全身の筋肉を揺さぶった。
青年はその場で膝を折った。
モスコンがゆらりと立ち上がる。かなりこたえたのか、頭を軽く振った。
青年をにらみ、
「なかなかやるじゃねぇか……。今度はおれの番だぜ」
うれしそうに言った。膝をついている青年に近づいていく。
青年は立ち上がろうとした。そこへモスコンの蹴りがきた。
避けようとしたが間に合わなかった。後ろへひっくり返り、げほげほと咳きこむ。
「まだまだだぜ」
用心棒は青年の見下ろし、踏みつけた。
「ここにいたけりゃ、それなりの態度でいることだな」
何度も踏みつけながら、悪態をつく。
「そこでなにをしているの!」
そのとき、鋭い声がした。
マティウだった。
「その人は怪我をしているんだからね。手を出したら、あたしがただじゃおかないよ」
マティウは青年に駆けよると、上体を抱き起こした。
「ケッ……」
モスコンは吐き棄てた。
「マティウ、あんたがそいつにかかりっきりなのを、
「あたしのやることに、誰も文句は言わせないわ。親方さまだって認めてくれるわ」
「ちっ、──勝手にしろってんだ」
モスコンは不機嫌を隠そうともせず去っていく。
「立てる? さ、あたしにつかまって」
マティウは青年に肩をかそうとした。
「ひとりで歩ける」
青年は立ち上がった。
マティウは青年の激にひるむが、心配でたまらない。
用心棒として親方が雇う男たちを、マティウは好きになれない。品がなく、野蛮で身勝手で甲斐性がない。不潔なのもいただけない。それに比べると──青年はミステリアスで輝いて見えた。
娼館には二十人以上もの人間がいた。店長である親方以下、十五人が男娼、八人が用心棒兼店員である。彼らはオアシスや豪族が支配する町を渡り歩いて店を開いた。どこへ行っても歓迎され、大金を落としてくれた。娼館キャラバンは、移動に費用はかかるが、その分、実入りがよかった。
今夜落ち着いたオアシスの町は、二年ぶりに立ち寄る場所だった。そのとき足繁く通っていた馴染みの客が再会を待ち望んで、日暮れ前から列をつくった。
やがて陽が沈み、オアシスに猥雑な夜が訪れる。明かりの乏しい町にあって、娼館キャラバンの周囲だけが、自家発電による明かりで目をむいたように照らし出されていた。その明かりに誘われて、まるで蛾のように集まってくる男たち。
国家が消滅し、コンピューターネットワークもダウンした
ドレスをまとった男娼たちは、トレーラーに作られた専用のベッドルームで客を待つ。
情熱的な印象の赤いドレスをまとったマティウはすでに準備を整えていた。
ドアをノックする音がして、どうぞ、とマティウは答える。
六十歳ぐらいの初老の男が入ってきた。見たことのある顔だった。
「久しぶりだなぁ、マティウ……。あんたが帰ってくるのを心待ちにしていたよ……」
だらしなく相好を崩した染みの目立つ顔。よだれを垂らさんばかりの口元。生理的嫌悪感を覚える客だったが、マティウは怯まない。
「ごめんなさいね。待ってくれた分、いっぱいサービスするわ」
仕事だとわりきったプロの対応で言った。
「さぁ、いらっしゃいな」
しかし頭の中ではあの青年のことを考えていた。張りのある青年の若い肉体のイメージが、客の貧相な裸体と重なった。
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