挿話 2

武装集団

 白い雲が天高く、まるで刷毛ではらったようにうっすらと見えていた。太陽は遠慮することなく大地をき、吹く風は肌に熱かった。

 何ヶ月も雨の降らない砂漠地帯に追いやられた人間ひとたちは今このときだけを自暴自棄に生き、世界は荒れるだけ荒れ、そこにもはや「秩序のある社会」はなかった。

 世界を襲った病嵐により、取り残された男たちによる荒々しい、まるで自然界の食物連鎖を体現したような情け容赦のない世界では、弱い者から順に死んでいった。むき出しの弱肉強食の世の中で、人間は生きるためには戦わなければならない。

 それは年端もいかない子供でも同じだった。



 難民キャンプから連れてこられたその少年も同様だった。生きるためにはなんでもしなければならなかった。

 病嵐の前から続く内戦によって親とは死に別れ、物心つく時分から孤児となり、ろくな教育もされずに八歳となっていたが、栄養不良から痩せ細り、背も伸びず幼く見えた。

 まともな名前さえないその少年(仮にNとしよう。名無しのNである)は、小さい体に突撃銃を持たされ、他の子供たちと整列させられる。そのことに疑問さえもたない。

 整列する子供たちの前で怒声を張る大人の男は、ぎらつく目に凶悪な色をたたえ、偉そうに訓示する。

「いいか、おまえら。我々はこの世界に理想国家を建設するために戦い続けているのだ。これまでの腐った政府は神の天罰により消滅した。今こそ、我々の理想を築く絶好の機会なのだ」

 とても理解できそうにない言葉は、子供たちの耳には届いてはいない。誘拐され、常にひもじく、飢えた頭で考えることは誰が食べ物をくれるのか、だけであった。

 痩せた子供にとってはひどく重い口径七・六二ミリの突撃銃を抱え、命令どおりに動きまわれば食べ物が得られる──ただそれだけであり、自分たちがなにをやらされているかなど考えもしない。命令どおりにできなければ激しく折檻され、食べ物はもらえない。だから言うとおりにした。

 大人でも音をあげそうな訓練によって少年兵にしたてられていくなかで、事故や病気やリンチで死んでいく子供たちを、少年Nは見てきた。それは恐怖であった。Nは必死に訓練を耐えた。

 死んだ数だけまたどこかから子供たちが補充され、地獄のような訓練が繰り返される。

 大人たちが戦いへと出て行く。訓練で戦えると判断された年長の子供たちをつれて。

 Nはそれを見送る。Nはまだものの役に立たないと判断されて。

 理想国家の建設などと壮大な演説をぶってはいるが、彼らの行動といえば村や町を襲って略奪をはたらくか、同じような武装集団との抗争を繰り広げているだけだったが、そんなことはNは知る由もないし、知ろうという気もおきなかった。そんなことは、生きるうえで関係なかった。

 武装集団のリーダーは、今は勢力を拡大するためにこのような蛮行をやむを得ず行っているのであり、などと言い訳するが、どこまで本気でいるのか疑わしい限りであった。そもそも「国家」というのがなにかわかっているのかどうか。ただの山賊の頭目ボス以上の器ではなく、建設を目指す国家の設計など考える知恵もなかった。そこにあるのは単なる支配者たる自分の姿だけであった。

 あるとき、兵士として役に立たない子供たちも戦いに駆り出された。ダイナマイトを模したおもりを体に巻き付けられ、人間爆弾として訓練を受けている子供たちのなかには、これがどういう意味か薄々感づいていて絶望的な目をするものもいた。

 訓練から数日後、トラックの荷台に、武器のひとつとして乗せられた子供たちは、もちろん、ひとりとして帰ってこなかった。



 ──逃げようぜ。

 ある夜、子供たちが閉じこめられている牢屋のような建物で、低い話し声がした。

 ──このままじゃ死ぬぞ。他のやつらも何人も死んだ。いずれおれたちもそうなる。

 ──でも、どうやって? 大人たちに見つかったら、リンチ刑で殺される。それにここを出ても、食べ物はどうするんだ?

 ──どのみち、ここにいても死ぬだけだぞ。

 ──でも逃げられるとは思えない。

 ──だったらおまえはここにいろよ。

 逃げられそうな年長者の何人かが決心し、ある夜に、大人たちの隙をついて脱走した。

 翌朝、少年兵の脱走に気づいた武装集団の大人たちは、これまでに見たこともないほど嚇怒に赤くなった顔で少年兵たちの後を追った。

 そして大人たちは脱走した少年兵たちを連れ戻した。

 少年兵たちは全員がなぶり殺しにされ、木に吊るされた。

 ロープの先端で揺れる少年たちの死体を指さし、頭目は凶暴な目をむいて子供たちの前で唾を飛ばして声を張り上げる。

「いいか、おまえら! ここから勝手に逃げようなどと考えないことだ。こいつらのようになりたくなければ、おれたちの言うことを聞いて戦え」

 Nは、木の枝からぶら下げられている、暴行により紫色に腫れあがった血まみれの死体を眺める。無数のハエがたかり、黒い靄に覆われているようだった。

 ああはなりたくないな──。

 大人たちの思惑どおり、単純にNはそう思った。他の子供たちも。

 だからその後も、大人たちの命令に素直にしたがって訓練を受けた。できない子供が懲罰を受けて泣き叫び、怪我をしたり死んだりするのを見ても脱走しようとは思わず、折檻を受けないためにNはますます努力した。自然、感覚が鋭敏になり、大人たちの怒気や殺気に敏感になった。

 訓練を繰り返すうち、九歳となっていたNにも兵士として戦う日がやってきた。栄養不良で年齢のわりに体の小さな痩せ細った何人かの少年兵とともにトラックの荷台に乗せられ、ある村へと運ばれた。そこはべつの武装組織が支配する村だった。

 消費するしか能のない武装集団は、他者から奪うしか生きる術がない。

 少年たちは先兵として村に向かって突撃させられた。相手の兵力を見るための捨て駒だった。敵の兵力がたいしたことないとわかれば、大人たちによる本隊が突入するのだ。

 相手が防備に厚い武装集団なら、少年兵たちは一撃で全滅するだろう。たとえそうでなくとも無事ではすまない。

 Nは感覚を研ぎ澄ました。大人たちの凶悪な殺気を嗅ぎ取る──。その気配から、敵の放つ反撃の銃弾がとんでくるタイミングを見計らった。

 敵の銃撃が始まった。近づいてくる者が小さな少年とて容赦はなかった。銃を持って武装していればそれだけで脅威なのだ。

 次々に撃たれる仲間たち。そのなかでNは敵の殺気に向けて、小さな体で大人用の自動小銃をかまえる。その狙いは外さない。確実に敵のひとりひとりを撃ち、無力化していった。恐怖を超えた感覚がNの脳を支配していた。られる前に殺る──そんなシンプルな思考だけで動いていた。

 気がつくと、後方の部隊が武装したクルマで突撃してきた。少年兵たちの死体を乗り越えて。無慈悲な現実を見つめるNは、村に突入していく大人たちの背中を見送る。彼らがこれから村でどんな悪逆非道をはたらこうと、Nにはどうでもよかった。自分の命がこの世にあることだけが重要で、それ以外には関心がなかった。



 よくやった、と、頭目は生き残った少年たちに言った。この調子で励め、と。

 しかしNは無感動にそれを聞く。仲間を失って涙する少年たちもいたが、Nは感傷にひたらない。

 武装集団は村々を襲い、食料や金目のものを奪ったが、食料が尽きると、また別の村を襲撃した。そんなことを繰り返した先に国家建設があるわけもなかったが、頭目は演説する。

「我々の悲願は近い。世界平和を目指して戦うのだ」

 頭目の酔いしれたような言葉に、大人たちが銃を高々に掲げて賛同する。

 国家がなにかわからないNには、そんな大人たちの理想を追う、あるいは追っているかのような姿に、なんの共感も得ていなかった。

 Nは、襲撃やリンチで死んでいく子供たちを見ていく日常を送っていると、生き残るということだけしか関心がなくなり、そのためになにが必要かを見る判断力しか育たなくなった。

 幼いころから暴力が支配する世界しか見てこなかったNは、今の自分の境遇を哀れんだり不幸だと悲しんだりはしなかった。それが普通であり、平和で穏やかな生活というものは知らなかったし、想像もつかない。

 難民キャンプにいたときは武装集団に襲撃される側だったが、今は襲撃する側である、という認識でいた。食うことができれば、それでじゅうぶんだった。

「突撃!」

 頭目が叫ぶ。

 Nは他の少年たちとともに、銃を撃ちながら駆け出す。襲撃のたびに、どこからか誘拐されてきた年下の少年兵が加わったが、真っ先に死ぬのはおおかたその子供たちだった。訓練がじゅうぶんではなく、動きも機敏ではなかった。

 砂漠に遮蔽物は少なく隠れることは難しかったが、Nはしかし正面から来る殺気を感じて銃撃から身をかわした。

 地雷で吹き飛ばされ宙を舞う少年兵の手足を目にしても、Nの感情は動かない。

 流される血を踏んでNは前進し、引き金を絞る。

 何人の命を奪ったか知らないし、それに対して罪悪感など抱かない。

 生きるために戦う。生きるために殺す。Nの目的はそこにしかなかった。そこに興奮も悲しみも喜びもない。そして希望もない。

 だがNは、生き残り続けた。

 いつしかNは十歳になっていた。

 人間らしい心は、ほんのひと欠片さえもその小さな胸の中には残っていなかった。

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