Act 3

 謁見の間にいた番兵に案内されて、シムスは宮殿の最奥部に来た。途中、いくつもの関所で、危険物を所持していないか検査された。大袈裟なほど厳重な警備の先にあるのは「金庫」であった。

 この世界でもっとも価値のあるモノがしまわれてある。

 そこに、シムスは向かっていた。

 そこに、シムスは用事があった。

 最後のゲートを通過する。頑丈な鉄格子が通路を塞いでいた。階段を上がったこのフロアには、他に進入できる通路はない。

 ゲートを守る仏頂面の番兵から鍵を受け取り、あとはシムス一人で進んでいった。

 以前にも来たことのある部屋の前で、シムスは立ち止まり、鍵穴に鍵を差し込む。カチャン、となにかを期待させるような音がして、解錠される。

「ダヴォルカ……」

 室内に向かって声をかけた。優しい、しかし強く気持ちのこもった声音で。そして、そっと「金庫」のドアを開ける。

「おれだ、シムスだ。会いにきたよ」

 最上階の部屋のなかは明るかった。窓はふさがれていたが照明が灯いており、驚くべきことにエアコンが涼しい風を送っていた。

 五メートル四方の広さの部屋は、調度品がきちんと配され、「人間の住む部屋」になっていた。部屋の奥には寝心地のよさそうな清潔で大きなベッドが置かれており、手前にはテーブルセット。

 そこに、誰かが腰掛けていた。

 目を落としていた本から顔を上げ、ドアのほうを向いた。憂いを含んだ瞳がシムスを見た。

「会いたかったよ、ダヴォルカ」

 この地球上でもっとも価値のある宝──若い女性がうなずいた。



 十年ほど前、世界を襲った病嵐により、人類は未来を失った。女性だけが罹患し、死に至ったのは、単に人口の半数が消えてしまったというだけにとどまらない。子を生み、種を持続させることができなくなったのだ。わずかに生き残った女性はいたが、人類の繁栄を将来にわたって維持するための全世界的な取り組みは行われなかった。国々は互いに協力する前に大混乱の末に崩壊してしまったからである。

 政府の消滅した土地に次々と出現したのは武装組織であった。人口の半減によりあらゆる産業が衰退し、貨幣すら価値を失ったため、生きていくためには奪い合うしかなくなった。治安は失われ、あとにはむき出しの生存本能だけが残った。苛烈な世界は生き残った男たちをさらに追い込み、人口は急速に減少していった。

 ほんのわずかに生き残った女性たちは、本来は守られるべき存在だったが、その希少価値により、モノとして取り引きされるようになってしまった。性奴隷としての過酷な仕打ちに死んでしまう女性があとをたたなくなり、ますます子が生まれなくなってしまった。

 病嵐発生から十年──。

 淘汰の進んだ武装組織は、いつしか豪族と呼ばれ、かつての国家のように地域の支配者として君臨するようになった。点在する豪族同士は警備軍を組織して互いに牽制しあい、それら豪族の間をキャラバンと呼ばれる商隊が物資のやりとりを担う──そんな社会が生まれていた。

 そんななかで、女は豪族のトップが所有するステータスとなっていた。貴重な宝物のように、人目にさらされることのない場所に軟禁されて──。

 ムハンマドもそうだった。

 ダヴォルカという名の女を囲っていた。中年と呼ぶにはまだまだ若いが、小娘ではない大人の女である。

「シムス……」

 ダヴォルカは部屋に入ってきた初老の男を憶えていた。

「しばらくだったな。会いたかった。ほら、お土産だ」

「なぁに?」

 シムスの持ってきた手提げケースを目を輝かせて見ている。

「パイナップルだ。個人ルートでなんとか手に入れられた。さぁ、お食べ」

 ケースから取り出した紙包みをテーブルの上で広げた。

「すごいわ。パイナップルなんて、何年ぶりかしら」

 農業は人間が生きていくうえで基本的な産業のため、まだあちこちで続けられてはいたが、栽培されているのはほとんどが穀類で、果実のような贅沢で育てるのに手間のかかる農産物は衰退してしまって、目にすることは滅多になくなっていた。

「皮をむかないと食べられないが……」

「だいじょうぶよ」

 刃物はもちこめなかったが、ダヴォルカはテーブルに鎖でつながれて持ち出せないようになっている小さなプラスチック製ナイフを手に持つ。不器用に皮をむくと、甘い香を放つ黄金色のみずみずしい実を切り取って口に放り込んだ。

「どうだ、うまいか?」

 ダヴォルカはあふれてくるヨダレを手の甲でぬぐい、なんどもうなずいた。

「ええ、最高よ」

「そうか、それはよかった。苦労して手に入れた甲斐があったってもんだ。ムハンマドの機嫌もよかったし──」

 ダヴォルカは二切れ目のパイナップルにとりかかる。

「死神ニックスを捕まえたから、機嫌がいいのよ」

 その名を聞いて、シムスは瞠目する。

「なにっ、ニックスだと? 本当か……?」

 シムスの反応が思いのほか大きく、ダヴォルカは逆にびっくりする。

「なによ、そんなに驚くことなの?」

「ニックスは死んだのか?」

「ううん。警備軍の兵隊になったわ。軍団長のアルカジーは今度の戦争で前衛にするつもりらしい。戦死するかもね……」

「あのニックスが、ムハンマドの軍門に下ったのか……」

 信じがたい、といった様子のシムス。

「なんだかニックスを知っているような口振りね」

「知ってるさ。以前、会ったことがあるんだ。あれはべつのキャラバンにいたときのことさ。ニックスに襲撃されたんだが、おれだけ生き残った。その後、数日、ニックスと行動をともにしたんだが……やつは常人にはないオーラを放っていた」

「その話、詳しく聞かせてくれない? 退屈で死にそうだったのよ。ムハンマドはわたしを大事にしてくれるけど、自由に外へ出られないし、ここにある本は読み飽きちゃったし」

 籠の鳥のような扱いに不満があるのは当然だろう。だがムハンマドにしてみれば、こうせざるをえない。

「わかった。話してやるよ。だが先にベッドに行きたいぜ」

「そうだったわね」

 ダヴォルカはパイナップルをもう一口味わうと、仕方なさそうに言った。

「あんたの目的はそれだものね。いつも珍しいものを持ってきてくれるし。そこのシャワールームで体を洗ってきて。シャワーは二分間使えるから」

「なんだ、前より時間が短くなったな」

「水も貴重なのよ」

「まぁ、いい。ベッドで待っていてくれ」

 シムスは部屋の隅にあるドアへ向かう。部屋に充満しているメスの匂いがたまらなかった。

 今の世で女を抱けるのはほんの一握りだ。その幸福を味わえることに、シムスは心が躍った。

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