挿話 1

難民キャンプ

 難民キャンプにはどんよりとした空気が漂っていた。粗末なテントに暮らす人々の目は光を失って濁り、常に不安におびえていた。

 大陸の中央部に広大な、しかし不毛な国土を持つその国は、もう何年にもわたる政情不安によって内戦が続いていた。戦いはいつ終わるともしれず、いくつもの武装集団が互いに利権をめぐって衝突を繰り返していた。一般市民たちは難民となり、故国から隣国へ逃れたが、その隣国も似たような状況にあり、繰り返される軍のクーデターと、反政府勢力や過激派によるテロや武力闘争で国内は荒れていた。

 難民たちは、国連からはじゅうぶんな支援も受けられないため困窮の極みにあった。

 その少年は物心ついた頃からそこにいた。気がついたときには親はおらず、同じような孤児が集められた難民キャンプ内で暮らしていた。わずかな食料を分け合って、誰もがやせ細って同年代の子供より成長が遅かった。

 栄養失調と衛生状態の悪さからくる病気のため、体力のない子供から順に死んでいくなかで、その少年はかろうじて生き残っていた。

 名前はなかった。面倒をみる大人たちは、大勢の子供たちを食べさせるだけで精一杯で、ひとりひとりに愛情をそそぐ余裕もないのだ。

 難民キャンプ内でも、食料や飲料水をめぐっての抗争が絶えなかった。大人たちが物資を奪い合うのを、力のない子供たちは恐る恐る見守っていた。

 そんな難民キャンプにも、ときどき武装集団がやってきた。国連から支給された支援物資が目的なのだ。武器を持たない大人たちはなすすべがなく、貴重な食料や医薬品を奪われたうえに、男たちは殺され女たちは拉致された。

 怒声や悲鳴や銃声が響き渡る。子供たちはテントの奥に隠れ、その災厄が去るのをじっと待つより他ない。運悪く見つかってしまった子供は、連れさられるか殺されるかのどちらかだった。

 武装集団が去ったあとには多くの死体が残された。難民キャンプではそれらの死者を丁寧に葬ることもできなかった。火葬する燃料もないため穴を掘って埋めるしかない。その様相は、死者に対する人間としての尊厳の欠片もなかった。

 そんな様子を日常の風景としてその少年は見ていた。

 そんなある日のことだった。

 その日も朝から太陽が大地をき、気温は摂氏四〇度にも達しようとしていた。

 少年が目覚めると、女たちが死んでいた。大人も子供も老人も関係なく、すべての女性が。男は誰も死んではいなかったが、嘆き悲しむ声があちこちであがり、悲しみのあまり自殺する者もいた。

 その少年の傍らでも、数人の少女が絶命していた。少年よりも年下の幼い体には、すでにハエが集まってきていた。昨日までは元気だった。病気らしい兆候すらなかった。なのに一夜にしてこの有様である。

 少年は茫漠とした思いで、なにが起こっているのかわからずにその光景を眺めていた。世話係の女性ももちろん死亡していた。

 武装集団の襲撃よりもはるかに多い数の死者が難民キャンプを混乱に陥れていた。誰もがなすところを知らず、現実を受け止めきれずに茫然とするしかなかった。

 大人たちの右往左往する姿を、その少年はぼんやりと見ていたのだった。



 それは──のちに「病嵐」と呼ばれる出来事であった。世界中でほぼ同時に発生したウイルス性の流行病は、瞬く間にこれまで築き上げてきた人間社会を破壊してしまった。女性だけが罹患し死亡するというこの事態に、人間はどうすることもできなかった。人類の半分が一度に死亡したそれは単なる人口減ではなかった。社会を維持できなくなってしまったのだ。

 国家も民族も宗教も崩壊した。

 当たり前のように存在したさまざまなものが消滅した。行政も産業もインフラも維持できなくなったのだ。

 それはたしかに非常事態であった。人々の生活が立ち行かなくなったのだから。が──それよりももっと切実で重要な問題があった。

 女性がいなくなった……それは、人類が絶滅の危機に陥ったということを意味した。当然のことだが、新しい命が誕生しなければ、いずれ人間はこの地球上から姿を消す。それは遠い未来の物語ではなく、百年を待たずに訪れるだろう。単なる予想ではなく、確実な現実だった。

 世界は絶望し、混乱した。

 各地で暴動が頻発し、目を覆わんばかりの惨劇が起きた。人間同士の残酷な殺し合いで、世界の人口はさらに減少した。

 もちろん、難民キャンプのその少年にそんな世界情勢などわかるはずもなく、ただ生き残る本能だけで生きていくだけであった。

 国連が機能しなくなったために救援物資も届かず、人々はさらに飢えていた。自らなにかをしなければならない状況に立たされた難民キャンプの大人たちだったが、高度な知識もなく、なんの行動力もなかった。

 その日その日をなんとか死なずに生きていた少年のもとに、またも武装集団が現れた。

「おまえら、おれたちと来い。メシを食わせてやる」

 武装集団を率いる髭面の眼光鋭い男はそう子供たちに呼びかけた。

 世界中が混乱するなかでも変わらなかったものがあった。この地域で何十年と続く武力闘争だった。人間はどんなに過酷な状況であっても、互いに争うことはやめなかった。戦いは、進化の過程において残った人間の本能だった。理性でいくら訴えても、平和は永久に実現することはなかった。

 武装集団は相変わらず覇権を握るべく銃をとった。銃器は世界中に有り余っていた。

 その彼らが、子供たちを誘った。

 すると、

 ──ここにいてもしょうがない。

 子供たちは武装集団についていった。

 その少年も、他の子供たちについていった。

 そのとき彼は八歳であったが、栄養不良のため六歳ぐらいにしか見えず、まともに育てられていないため言葉もろくすっぽ解さなかった。

 武装集団の目的は、手足となって働く少年兵に仕立て上げることであった。が、その少年にそんなことなど想像できるはずもなく、難民キャンプなんかよりもずっと過酷な運命が待っているなど思ってもいなかった。

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