Act 5

 シムスは丘を登る。道などない。草木の生えない斜面を石や岩を伝いながら一歩一歩登っていく。

 体力の低下はシムスが思っている以上で、以前この水場に来た一年前より体がつらい。しかしそれは加齢によるものではなく、ここへ至るまでの扱いが酷かったからに違いない、と思い込む。

 と、同時にたった一人で放り出された不安も大きい。武器を持たされたとはいえ、サブマシンガン一丁である。出会う相手が複数でしかも武装している確率が高いのに、それを敵に回して水場を守れとは厳しい話だ。

(おれにできるか……?)

 シムスは今さらながら心細い。ニックスが守ってくれる、などと都合のいいことを考えていたが、現実はそんなわけにはいかない。

 岩陰から岩陰へと身を隠しながら移動して、洞窟の入り口を目指す。岩陰から周囲に目を走らせ、誰もいないのを確認すると、より高い位置にある岩の陰へと駆け込んだ。

 そこでシムスは不意をつかれる。いきなり飛びかかられた。サブマシンガンをかまえる間もなく、斜面を転げ落ちた。

 岩にぶつかって痛みに顔を歪めていると、目の前に人影が立った。いましがた飛びかかってきた男に違いなかった。シムスに向けて軍用の自動拳銃をかまえている。万事休すか──そう思っていると、男の顔に見覚えがあった。

「ファラハン!」

 その名が口をついて出た。

「久しぶりだな、シムス。二年ぶりか。まさか再会するとはな」

 ファラハンと呼ばれた男は親しげに話しかけるも、拳銃の銃口は向けたままだ。鋭い目は肉食獣のようであった。

「シムスはキャラバンになったんじゃなかったのか? なんで一人でいるんだ?」

「キャラバンは襲撃されて、おれをのぞいて全滅した」

「おやおや……」

「ファラハンこそ、まだ旅賊をやってんのか?」

「武力がなければ生きちゃいけねぇからな。この水場だって守れやしねぇ」

「相手も旅賊か?」

「そうだ。まだ戦いは終わっちゃいない、膠着している。人数は向こうのほうが多いようだ。確認してはいないが、二十人はいるだろうな」

「ファラハンの仲間は?」

「答えられるかよ。おまえがあいつらの仲間じゃないと言い切れないからな」

「おれは今さっきここへ来たばかりだぞ」

「そこがへんだろ? たったひとり生き残って、なんでこんなところに来れるんだ? 爆発音も聞こえているはずだ。いくら水が欲しくても危険を冒してまで水場には来るまい、そのサブマシンガン一丁で」

 シムスの性格をファラハンはよく憶えていた。二年前、シムスは旅賊からキャラバンに転身した。旅賊では先はない、と思ったのだ。これから歳をとっていき、無理ができなくなる。それを憂いての判断だった。

「たった一人で来たわけじゃないさ。信じられねぇかもしれないが、おれのキャラバンを襲った襲撃者といっしょに来たんだ」

「なんだと? おまえは水場の在処を条件にそいつにとりいったのか!」

「命は惜しいからな。そのためにはなんだって教えるさ」

「くそ……大事な水場を売りやがって」

「なんとでも言え。だが、おまえだって襲撃者が誰だか知ったら降伏するさ」

「そいつは今どこにいるんだ?」

「この水場を求めてやってきたやつらをやっつけに行った」

「一人でか?」

「そうさ。やつの名を聞いて驚け。おれのキャラバンを襲ったのは、あの、死神ニックスだ」

「なんだと?」

 そのとき、爆発音がした。直後、自動小銃の連射音。リズミカルなフルオートではなく、明らかに狙っているだろうという感じの銃声。それはまさしく一撃必殺の射撃音であった。

 シムスもファラハンも、丘の陰の向こうで行われている戦闘の音に注目した。

 静かになった。時間にして三〇秒もなかった。最初の爆発時に立ち上った黒煙が空に拡散していくほどの時間……。

 戦闘が終わったのか──。だとすると、どちらが勝った……?

 だが二十人を敵に回して戦ってもニックスが勝ったろう、とシムスは期待している。死神ニックスが死ぬわけがない。

 しかしファラハンはそうはみていない。シムスの言う男が本当にニックスかどうか疑わしい。本物だとしても、噂は大げさに一人歩きするから、不死身の超人などとはあり得ず、旅賊二十人相手に殺されているだろう。

 ファラハンがシムスを連行して仲間のところへ戻ろうと思ったとき──。

「あっ、ニックスが来た!」

 シムスが喜色を浮かべ、賭に勝ったかのように叫んだ。

「まさか……」

 ファラハンのつぶやきが喉の奥で固まる。

「やはり敵を全滅させたんだ。おおい!」

 シムスは、ファラハンがまだ拳銃をしまっていないのも忘れて立ち上がった。サブマシンガンを持つ手をあげて、大きく振る。

 ニックスは急がない。近づいてくるその歩みは無警戒のようでいて、その実、隙がない。

「シムス、逃げるぞ!」

 突然、ファラハンが叫んだ。

「なんだ、いきなり……」

 不審がるシムスに向かって、ファラハンはさらにたたみかけた。無邪気に上げていた手を強くつかみ、下ろさせた。

「やつがニックスなら、おれたちを生かすと思うのか? ここまでは水場の案内人として生かしておいてくれたが、水場に着いたとなればもう用はない。ニックスがおれたちを始末しないわけがない」

 それを聞いて、シムスは自分の甘さを悟った。ファラハンの言うとおりなのだ。ニックスは常に言っていたではないか。

 ──おれはおまえなぞ信用しない。

 ファラハンがニックスを仲間として受け入れるなど、ナンセンスにもほどがある。ニックスにそのつもりもないだろうし、ファラハンたちがニックスに気を許すなど無理な話だ。

「行くぞ、シムス! 水場は放棄だ」

 ファラハンが叫び、走り出す。シムスはニックスのほうを今一度見ると、視線を引きはがしてファラハンを追った。



 こうして、シムスは晴れて自由の身を取り戻した。思い返せば、きわどい旅だったかもしれない。あのニックスを前にして生還したのだから。

 しかし……と、シムスは思う。ニックスは言われているほど非人間的な怪物ではなかった。大胆さのなかにも慎重さを持った、勘の鋭い男であった。ただ、そこに潜む人間性には、決して相容れるものがないのも確かだったが。

 いずれにせよ、できればもう関わりたくはない相手だ。少なくとも、捕まえて報奨金をもらおう、などとは思わない。

「これからどうする? おれたちの仲間に戻る気はないか?」

 ファラハンは恩情をみせてくれたが、シムスはやんわりと断る。

「いや、またキャラバンをやり直すよ。この歳で戦いながら生きていくのは厳しい」

「しかし力なき者は淘汰されてしまうのが今の世の中だぞ。襲われる草食獣ではなく、強い肉食獣のほうがいいぞ」

「そうだな。ファラハンには向いている生き方かもしれん」

「では、町についたらお別れだ。次に会ったときは、今度こそ敵と味方で戦うことになるかもな」

「それもまたやむを得ぬて」

 旅賊の車列が砂漠を行く。町に向かって。

 ファラハンに同乗させてもらったトラックの荷台で、シムスは車外の景色を眺める。時間の流れを感じさせない単調な乾いた大地が遠くまで広がって。

(しかし次に再会するのは、ファラハンなのか、それともニックスなのか……)

 シムスはそんなことを思いながら、地平線に沈みゆく夕日をまぶしそうに見やった。

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